3月7日
今年東京に二度目で降りました
私は早朝バイトをしているのですが さすがに今日はめげそうでした
こんな日は帰り道 アヒルさんに問い掛けます
oさんともこの前語ったのですが 羽根だけで温度調節している生きものは
不思議な気がします
近所にある神社はこんな風になっていました
3月の言葉として 高山樗牛が引用されていました
「己の立てるところを深く掘れ そこには必ず泉あらむ」
解説にはこうあります
人は立つ場所や位置によって それぞれ水脈への距離も地盤も違う
当然 容易に泉を掘り当てられる人もいれば 困難な人もいるだろう
しかし掘ることをあきらめなければ きっと自分(だけ)の泉を見つける
ことが出来るはずである
卑近な話しで恐縮ですが AKB48のメンバーの名前を全員言えるなんて
飲み会で自慢しているような同世代を見ると悲しい気持ちになります
彼にとってはそれで若い世代と回路を保っているつもりなのでしょうが
ぼくにはそれが卑屈というか迎合しているように思えてならないのです
ぼくは「おニャン子クラブ」の名前も覚えられなかったし 興味もまったくなかった
20代からそんな奴でした
パフュームの良さもまったく解りません
でも少なくともヴァン・モリソンは知っているぞと(笑)
世の中が均質化に向かうのを危惧しています
個性を変わり者として片付けてしまう風潮もすごく気持ち悪いと思っています
とまあ いつの間にかヴァン・モリソンのような頑固オヤジになってしまった
”52歳のすれっからし” オビンでした
今日はこれから久しぶりにハンバーグを作ります(笑)
一度道を極めた人が下山してパブ・ロック街道で笑みを交わしているような
ヴァン08年の最新作 腹八分目のヴォーカルと寛いだ演奏が以心伝心となって
聞き手をどこまでも包み込んでいく アルバム表題にもこの人ならではの哲学が
込められた
by obinborn | 2011-03-07 12:31 | one day i walk | Comments(4)
ちなみに、自分の周りにヴァン・モリスンの名前を知っている知り合いは1人もいませんが、それでも別にかまいません(苦笑)。こういう人物の作品は、それこそ今後の人生においても長らく付き合っていけるものですから。AKBももっとましな曲を出してくれればいいのですが(苦笑)。
という対立軸をことさら意識せず 自分の肌合いに合うものを求め
ていったら自然と後者になってしまいました 平均律のなかにはい
ないんだなという実感を得たのは社会人になってから いやあ〜
自分を絶対多数のなかに合わせるのは大変な経験でした(苦笑)
それは何も自分だけではなく他人も同じように感じる現象なのだ
と今になって思うのです それだけ平均を求めれば中心は空洞に
なるという”からくり”です
ヴァン・モリソンとともに歳を重ねてきて本当に良かったとシミジミ
思う今日この頃 こうした思慮深い音楽は聞き手にとって羅針盤の
ような伴侶となるはずです なんちゃって(^0^)
力が入り過ぎていて、何でそんなに無理して気張っているのかと。
JJ CALEが淡々と何十年も「同じようなこと」をやり続けていることに価値を見出す。それは格好良くなろうとか、虚勢を張ってるとか、無理している所が無いからですね。
格好いいってことは、何て格好悪いことなんだろう。そう思います。ありきたりですが、やはり自然体であれということでしょうか。
音楽の聞き手にしてもぼくが心を許す人っていうのはみんな
ちゃんと自分の軸足というのを持っています だからJJケイルは
凄いし 彼のファンっていうのも筋が通っていると思います
まさに自分だけの泉を呟きながら掘るという 時間に対するそう
した認識が素晴らしいと思います
ウィルコ・ジョンソンにもそうしたすごくピュアなものを感じます
JJと同じくまさに”無冠の帝王”ではないかと