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ロング・インタヴュー、山本智志(その2)

ーー読者の方のなかには編集というお仕事がなかなか具体的に
 思い浮かばない人もいらっしゃるかもしれません。実際にはど
 ういうお仕事なのかを簡単に説明して頂けますか。

 単行本と雑誌とでは多少仕事の中身が異なりますが、基本的には編集というのは、記事のテーマを考え、原稿を依頼し、締め切りまでに原稿をもらうという仕事です。もちろん、必要な資料や写真を集めたり、写真家やイラストレイターに仕事を依頼したり、デザイナーに本文のレイアウトなど誌面のデザインをしてもらったり……。入稿したあとは校正を何回かやって、校了に持っていく。社外編集者としての雑誌の仕事はそれでひとまず終わりです。書籍の場合は、その後の印刷屋さんや製本屋さんとのいろんなやりとり、本ができたあとの取次店や書店対策、そしてプロモーション計画など、仕事はまだ続くし、ときには予算の確保・管理という大きな責任を引き受けることもあります。
 でも、一番楽しいのは、どんな記事を作ろうかと考え、その原稿をだれに書いてもらおうかと考えているとき。そのあと、筆者に会って原稿を依頼し、その内容についていろいろ打ち合わせをしているとき。そして、原稿を受け取って、それを“最初の読者”として読むときです。とくに3番目は役得というか、本当にうれしい。いまのようにメールに添付して原稿を送信してもらうのではなく、筆者と会って直接“生原稿”を受け取り、その場で読ませてもらうんです。読んだ感想も直接伝えるわけで、その緊張感も好きだった。「ここはもっと突っ込んで書いたほうがいいのでは」とか、「この段落はちょっとわかりにくいですね」とか、注文を出すこともありました。そう言われて筆者がどう思ったかはわかりませんが、ぼくはそのやりとりも楽しかった。まして、「こういう記事が読みたかったんです」とお礼を言いたくなるような原稿をもらったときは、本当にうれしいものです。

☆☆☆佐野元春との出会い

ーー山本さんといえば佐野元春を初期から聞いてこられた良き
 理解者としても知られています。まずは佐野さんとの出会いに
 ついて教えてください。

 ニューミュージック・マガジンを辞めたあとのぼくに目を掛けてくれていた音楽雑誌の編集長がいて、ある日、何か仕事がないかと彼に会いに行ったんです。1981年のことです。編集部でいろいろ話しているうちに、彼が「きみならきっと気に入ると思うんだが」と机の引き出しから1本のカセット・テープを取り出して、聴かせてくれた。それが発売前のシングル「サムデイ」でした。一度聴いたあと、もう一度聴かせてもらいました。それまでずっとおしゃべりをしていたのに、曲がかかっている間はふたりともほとんど無言でした。その曲にぼくはすっかり魅せられてしまった。そのカセットをその場でコピーしてもらい、家に帰ってからも繰り返し聴きました。そして、聴いているうちに、「この男に会わなくてはいけない」と思いました。
 翌日、エピック・レコードに電話をして、親しくしていた宣伝担当者に「佐野元春に会えないか」と頼んだんです。そうしたら彼は、「お、いま、ちょうど佐野のマネジャーが来ているから聞いてみるよ。ちょっとこのまま待ってて」と、電話を保留にした。そして1分か2分もしないうちに電話に戻ってきた。「OKだってさ」という返事でした。マネジャー氏に電話が代わり、あっけないほど簡単にインタヴューの日時と場所が決まった。ぼくはまだ駆け出しのフリーランス・ライターで、雑誌に自分のページを持っているわけではなかったし、インタヴューさせてもらってもその記事をどこに書けるか、当てがあるわけではなかった。それでもマネジャー氏はインタヴューの申し入れを受けてくれたんです。いくら佐野元春がまだビッグ・ネームというわけではなかったとはいえ、おおらかな時代でした。
 佐野元春に初めて会ったときのことは、いまでもはっきりと覚えています。ニュー・シングル「サムデイ」のことはもちろん、すでに発表されていた2枚のアルバムのこと、デビューまでの紆余曲折やデビュー後も悪戦苦闘の連続だったこと、ライヴのこと、ソングライティングのこと、日本のロック状況や好きな英米のロックのことなどを、ぼくらは与えられていたインタヴューの時間をはるかに超えて話し合いました。そして、長いインタヴューの割には短い原稿を2本、「サムデイ」を聴かせてくれた編集長の音楽雑誌と週刊誌の音楽コラムに書きました。
 佐野元春の印象は、初めて会ったそのときも30年経ったいまも、ほとんど変わりません。ぼくの質問をじっと聞いて、それにじっくりと答える彼の態度や口調が、なんていうか、とても新鮮で、かつ不思議な感じがしました。この人は英語で考えて、それを頭の中で日本語に翻訳してしゃべっているのではないか、と思ってしまうような、独特の口調がとくに印象的で、まるで日本語の上手な海外アーティストにインタヴューしているような気がしたほどでした。しかも彼の話はひとつひとつがとても明快で、インタヴュー・テープを起こしても、彼の発言には言葉を整理したり補足したりする必要がほとんどなかった。われわれ、原稿書きや編集者にとってこれほどありがたいことはないですよね。そのまま記事や見出しが作れるんですから。ニューミュージック・マガジン時代を含めて、それまで取材を通じてそんな日本のミュージシャンに会ったことはありませんでした。

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☆☆☆☆佐野元春を聞く理由


ーーそのような出会いから今日まで佐野さんの音楽を見守り続
 けてこられたわけですが、彼の音楽のどういう部分に惹かれて
 こられたのでしょうか。

 どういう部分に惹かれたか、ですか。うまく答えられないかもしれません。ただ、はっきり言えることは、佐野元春の新しいアルバムを聴くたびに、そこに収められた曲はぼくにいろいろなことを考えさせる。何度か聴くうちに、その曲について考えてしまう。それは詞のある1行についてだったり、歌の主人公のことだったり、イントロがもたらすイメージについてだったり。ブリッジに入ってゆくときの昂揚感、耳を捕らえる転調、独白といった感じのうたいかたや感情を撒き散らすようなシャウト……。とにかく、彼の曲を聴くと、いろんなことについて、つい考えを巡らせてしまうんです。
 多分、佐野元春というロック・アーティストのソングライティングにおける作家性に、いつもぼくの関心は向かってしまうのだと思います。その最初の体験が「サムデイ」であり、「ロックンロール・ナイト」でした。あの2曲がぼくを捕えて放さなかった。佐野元春はとても自覚的に、フィクションとしてのロックの楽曲を書き続けてきた。そんな彼の歌の中に浮かび上がるロックのロマンティシズムとでもいったものに、ぼくは強く引きつけられたんだと思います。
 佐野元春に対する評価はいろいろあるでしょうが、ぼくは彼の音楽をためらいなく「日本語のロック」と呼ぶことができる。それが佐野元春を聴き続けてきた一番の理由かもしれません。彼の楽曲は総じて“洋楽的”で、一部は“翻訳小説”のようでしたが、そうした点もぼくは好んだのかもしれません。それまで友部正人や鈴木慶一など、何人かの同世代のアーティストの歌に強い共感を覚えたことはありましたが、自分よりも年下のミュージシャンの歌をそんなふうに聴いたことはありませんでした。
 ロックであること――いまどきそんな価値基準を後生大事に抱えている奴がいるなんて滑稽だと言われるかもしれませんが、ぼくにとってロックと呼べる音楽かどうかということは、いまも大事なんです。もちろん、いい音楽はロック以外の分野にもたくさんあるし、80年代以降ロックが輝きを失ってしまったのはたしかですが、だからといってロックを卒業してほかの音楽を聴くということはぼくにはできなかったし、したくなかった。そう思っていたときに佐野元春を聴いたというのは大きかったのかもしれません。

ーー70年代も後半になるとロックはどんどん産業化が進み、一方でパンク/ニューウェイ
ヴのようなロックの体制内批判といった新しい動きも出てきました。またジョン・レノン
に関して言うと、彼の新しい歌 「もう一度始めてみようよ(Starting Over)」が届いたば かりだった80年の冬のある日、悲劇的な結末を迎えてしまいます。
当時を振り返ってみると、いわばロックの荒野が広がりつつあったように思うんですね。
それは荒野であり砂漠であったかもしれません。佐野元春のレコード・デビューは80年
の3月でしたが、ぼくにとって彼の音楽はまるで枯れかけた花に水を注ぐ、そんな勇敢で
向こう見ずな行為のように映りました。

 それはぼくもまったく同感です。話が逸れますが、ニューミュージック・マガジンを辞めるまでの1年あまり、編集部内でのぼくと他の編集部員の意見の対立というのも、そうした点にあったのかもしれません。ロックがつまらなくなっていくなか、そんなつまらないものを聴くくらいならもっとほかの素晴らしい音楽を聴け、と言わんばかりにワールド・ミュージックや歌謡曲やその他の音楽に誌面の多くを割くことには同意できなかったし、それが誌面刷新だとも思わなかった。ロックがつまらなくなったからといって、さっさとほかの音楽に乗り換えるというのでは、創刊から10年間、ロックを啓蒙し続けてきたニューミュージック・マガジンの責任はどうなるのかと、ぼくは主張しました。第一、それまでもマガジンはけっこうつまらないロックも紹介してきたではないか。それと同じことを今度はほかの音楽の分野でやろうというのか。そういう議論でした。たとえばポスト・パンクなどの新しい動きを伝える記事を作るべきだし、つまらないロックの現状をきちんと指摘する記事も作っていかなくてはならないのではないか。そう思っていました。
(続く)

by obinborn | 2012-01-21 06:51 | インタヴュー取材 | Comments(0)  

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