ロング・インタヴュー、山本智志(その5)

ーー 佐野元春は活字の時代からネットの現在まで、音楽評論家の
 寄稿文やファンの声などを積極的に取り上げてきましたね。そ
 うした意味で彼はアーティストであるのと同時に、自分の音楽
 を俯瞰出来る観察者でもあり続けました。ぼくが記憶している
 ところでは『ノー・ダメージ』(1983年)に山本さんのライナー
 ノーツが付けられていたのが最初だったと思います。また佐野
 さん自身も雑誌『This』の刊行に関わっていったわけですが、
 基本的にジャーナリズムに関する信頼がないとこうした発想は
 出てこないし、音楽が表現者だけのものとして完結してしまい
 ます。音楽は聞き手に届けられてこそ輝くという佐野さんの信
 念を感じられることはありますか。

 知ってのとおり、『ノー・ダメージ』は佐野元春の初めてのコンピレーション・アルバムで、彼はこのアルバムを発表してすぐにニューヨークへ旅立ってしまいます。『サムデイ』を含めてたった3枚のアルバムを出したあとのアンソロジー的なアルバムでしたから、ニューヨークに行く前に、レコード会社との契約を果たすために作らなくてはならなかったのではないか、と思ったくらいでした。しかし、佐野は正当な評価を得られなかった、あるいは見逃されてしまったシングル曲やそのBサイドを寄せ集め、レコード会社主導のベスト盤には望めない、手応えのある編集アルバムに仕上げました。
 国内制作のアルバムにライナー・ノーツが付けられるのは当時としてはきわめてめずらしいことで、エピック・レコードから依頼されたときは「へええ、洋楽じゃないのにライナー・ノーツを付けるんだ」と意外に思いました。おそらくそのアイディアも佐野本人から出されたものだったのでしょうが、ぼくはエピックの担当ディレクター氏に、解説文のようなものよりもアルバムの意図について佐野元春に話してもらったことを文章化したほうがいい、と提案しました。で、そういう形にすることが決まり、佐野にインタヴューして原稿をまとめました。その一問一答はもっと長いものだったんですが、インナー・スリーヴのデザインの都合で、掲載されたのは最初の原稿の半分くらいになってしまいましたが。
 佐野元春は、音楽ジャーナリズムを信頼しているというよりも、健全な音楽ジャーナリズムはあってしかるべきだ、と思っているのではないかと思います。ポップ・ミュージックが「聴き手に届けられてこそ輝く」というのは当然のことで、それはいまではそのへんの歌手やミュージシャンもインタヴューで口にする。しかし、だからなのかどうか、聴き手を意識するあまり、“需要と供給”の関係で音楽を作っているんじゃないかと疑ってしまうようなアーティストが、むかしにくらべても多いような気がします。
 音楽の聴き手も映画の観客も本の読者も、ヒット作に群がる人たちは口を揃えて「感動しました」「元気をもらいました」と言いますよね。口の悪い評論家がそうした大群を「感動乞食」と呼びましたが、昨今のそうした人々の紋切り型の言動にはぼくも首を傾げてしまいます。“あんなもの”に“感動する”んだったら、さぞや毎日が感動の連続だろう、と皮肉のひとつも言いたくなりますよね。そもそも大衆というのは付和雷同的で、ときに賢明な選択もするのですが、どうも昨今の大衆は後者の能力に欠けているようです。
 佐野元春の音楽は、聴き手に解釈されることを望んでいるのだと思います。おそらく佐野は、多感な10代のころに熱心に音楽批評を読んだ経験があるのでしょう。もしかしたらその後も、いや、いまでも読んでいるかもしれない。ボブ・ディランについて、ニール・ヤングについて、ブライアン・ウィルソンについて、音楽評論家たちがいま、どんなことを書いているのかを読んでいる。彼はすぐれたロック・アーティストであると同時に、とても成熟したロックの聴き手でもあるんです。高名なロック・ミュージシャンとはいっても所詮はぼくらと同じ“ロック少年の成れの果て”ですから、音楽批評を読みたいという欲求を無視することはできないだろうなと思いますよ。だから、彼は自分について書かれた評論も読みたいんじゃないかなあ。多分、ね。「ふーん」と首を傾げながら、苦笑しながら、うなずきながら、楽しんで読んでいる。彼のそんな姿を想像します。

☆☆☆☆☆☆ロック音楽を語ることはいつの時代も楽しい

ーー音楽ファンのなかにはクリティック(評論)なんかどうでも
 いいと考える方も多いと思います。魅力ある文章で聞き手に伝
 えられないぼくらの責任もあるだろうし、批評の受け皿となる
 音楽雑誌に元気がないという現状もあります。山本さんは日頃
 から『ぼくは音楽を聞くのも好きだけれど、音楽について書か
 れた文章を読むのも好きだ』と、簡潔に音楽と文章との関係を
 言い含められてきましたね。やはりそのお気持ちは今も強いので
 しょうか。

 その気持ちは変わりませんね。さっきの話と重複しますが、ぼくは音楽について書かれた文章を読むのがとても好きなんです。こうして同業者や友人、あるいはミュージジャンたちと一緒にどこか酒場や喫茶店に入ると、なにがそんなにもいいのか、ぼくらはいつもロックについて話していますよね。それは、サラリーマンが飲み屋に入ると、景気や会社の業績や上司の悪口など、結局は仕事の話になってしまうというのとはわけが違います。ロックについて話し合うのが楽しいからやっている。自分が聴いたアルバムのことや好きなアーティストについて、話さないではいられないといった欲求に駆られることが、ときどきあるんです。
 音楽批評を読むのが好きなのも、それと同じ理由からです。ロックが好きで、ロックについていろいろ知りたくて、ロック雑誌や評論集を読むのですが、そのうちに筆者に関心が向かうことがある。そこに書かれていることのすべてに同意できるわけではなくても、この人の言っていることに耳を傾ける価値があると感じる。読みながらうなずいたり、首を傾げたり。それはまったく、喫茶店で友人たちとロック談義をするのと同じ楽しさなんです。

ーー学生時代からアルバイトとして『ニューミュージック・マガ
 ジン』に関わってこられたわけですが、長い間音楽業界にいる
 と業界どっぷりというような方も見受けられます。山本さんに
 は不思議とそういう手垢を感じないのですが、それは先ほどの
 話ではないですが、自分を俯瞰出来るかどうかという点に関わっ
 てくる問題だと思います。ご本人はどう感じていらっしゃいま
 すか。

 業界どっぷり、ねえ(笑)。小尾さんがぼくに“業界の臭い”をあまり感じないとしたら、それは多分、ぼくがレコード会社やマネジメントと一定の距離を取ることで、“売る側”に加担するような仕事をしてこなかったからなのだと思います。レコード会社もそんな能力がぼくにないことを知っていたから、幸か不幸か、あまりそういう仕事の依頼もなかったんです。
 “業界どっぷりの音楽評論家”って思われるのはいやだなあ、という気持ちはたしかにぼくにもあります。でも、ミュージシャンが自分のファンを選べないのと同様、音楽評論家が音楽ファンからどのように思われるかはわかりませんからね。仕事の評価を受けるというのは、そういうことなのだと思います。原稿を書くときのぼくはそんなふうに考えています。
 で、批評を読むときのぼくの考えはこうです。いいアルバムであれば、そのミュージシャンが人間的にどんなにいやな奴でも、音楽評論家としてはそのアルバムを評価するべきですよね。それと同じで、いくら業界臭がぷんぷんしている音楽評論家でも、その評論がすぐれていれば、ぼくはその評論家を認めます。そんな評論家がいるのかと聞かれると困りますが。たしかに業界寄りのロック評論家の文章は、多くは書きなぐりで、なかには目を覆いたくなるほどひどいものもある。もう少し時間をかけて書けばいいのに、と思うこともあります。そんな記事に出くわしたときは、担当編集者はいったいなにをやっていたんだろうと思います。ひどい記事の責任の半分は編集者にあると思います。

ーーこれまで出会ったロックに関する文献で印象に残っているも
 のを幾つか教えて頂けますか。

 まず、北中正和さんの初めてのロック評論集『アローン・トゥゲザー』(1976年)。この中に収められている「ドノヴァンの光と海」という評論は、ニューミュージック・マガジンの1970年6月号に掲載されたもので、札幌で浪人生活を送っていたぼくはこの記事を読んで大きなショックを受けました。ロック音楽について書かれたあのような繊細な文章を読んだのは初めてでした。ドノヴァンが好きで、いいなあと思っているのに、その良さがどういうものなのかよくわからない。その音楽を聴いて自分がなにをどう感じているのかがよくわからなかった。それが、北中さんの書いた記事を読んで、さあーっと霧が晴れたようにわかったんです。ああ、ぼくはドノヴァンに対してこういうことを感じていたのだ、と。それからというもの、北中正和さんの書いた記事を丹念に読むようになりました。
 もちろん、中村とうようさんや相倉久人さんの評論も読みましたが、ぼくにとってそれらは言ってみれば“必須科目”でした。親に近い年齢のおふたりの評論は、わかろうがわかるまいがとにかく読んでいたという感じでした。でも、たとえば「ミュージック・ライフ」誌などに掲載されていた音楽記事の大半は、評論とは別のものでしたから、その意味からもとうようさんや相倉さんが、ぼくが音楽評論家として意識した最初の人たちだったのはたしかです。
 ニューミュージック・マガジンを熱心に読んでいたときに、北中さんのほかにもうひとり、無視できなかった音楽評論家に浜野サトルさんがいます。なんと言うか、北中さんや浜野さんによって啓発された面がぼくには少なからずあると思います。浜野さんの著作『都市音楽ノート』は1972年に出たのですが、渋谷のロック喫茶ブラック・ホークの暗い店内で繰り返し読みました。北中さんにくらべてもちょっとむずかしい文章で、ときには国語の辞書を引きながら読んだものでした。1978年に出た浜野さんの『ディランにはじまる』も好きな本です。
 ブラック・ホークといえば、そこでDJ をしていた松平維秋さんの『スモール・タウン・トーク』にも思い出深い文章が詰まっています。ブラック・ホークは、まずいコーヒーとすぐれた音楽で知られたロック喫茶で、松平さんは言ってみればブラック・ホークそのものでした。フェアポート・コンヴェンションもザ・バンドもオールマン・ブラザーズ・バンドも、初めて聴いたのはブラック・ホークでした。レコードも買えず、満足なステレオもない貧乏学生だった1971年のぼくにとって、ブラック・ホークはすばらしいロックが大きな音で聴ける貴重な場であり、松平さんは信頼できる音楽の水先案内人でした。
 あとは、そうだなあ、渋谷陽一かな。彼はぼくと同い年なんですが、1972年に彼が“アンチ・ニューミュージック・マガジン”の旗を掲げて「ロッキング・オン」を創刊したときは、「やるなあー」と感心したものです。初期のロッキング・オンはあまりに同人誌っぽくて、入っていくにはためらいを感じましたが、70年代半ばには会社の自分の席で彼の書いたものをよく読んでいました。とうようさんが編集部に現れると、「ロッキング・オン」を机の下にささっと隠したりしてね。
 山名昇さんの『寝ぼけ眼のアルファルファ』や小尾さんの『Songs』、天辰保文さんの『ゴールド・ラッシュのあとで』も、伝わってくるものの多いロック評論集です。読んでいておもしろい。うなずくところが多い。音楽が聞こえてくる。そして、筆者の顔が見えてくる。それはぼくが筆者を知っているからですが、面識がなくても、読んでいるうちにその人のことをとてもよく知っているような気がしてくるものです。

ーー自分のイメージ(肖像)とか評価というものは、自分で言うのではなく他者
が自由に決めることなので多くは語りません。ただ少なくともぼくの音楽に対す
るアプローチというのは、特定のアーティストなりバンドなりを調べること以上
に、自分がその音楽に何を感じているのかという一点なんですね。こればかりは
ロック音楽に多少なりとも自覚的になってきた高校生の頃からまったく変わらな
いです。ポール・ウィリアムズの『アウトロー・ブルース』に「町を歩いていた
らアパートメントの窓からザ・バーズが聞こえてきた」という一節があったと思
うのですが、そういう書き方があるんだ、そんな高校生の感想文のようなことを
書いてもいいんだと、新鮮なショックを受けました。そうした体験にも自分が意
識しない部分で影響されているのかもしれません。

 ぼくも北中正和さんの評論を読んで、似たことを感じました。もちろん北中さんが書いた記事を”高校生の感想文”のようだとは思いませんでしたけれど(笑)、北中さんもポール・ウィリアムズも、たしかにそれまでの音楽評論とはあきらかに違うものでしたよね。ウィリアムズはぼくが最初に名前を覚えた外国の音楽評論家でした。
 ニューミュージック・マガジンが、ウィリアムズが創刊したロック専門誌『クロウダディ』と特約していたので、単行本化される前の「アウトロー・ブルース」が部分的にマガジンに連載されていたんです。晶文社から1972年に『アウトロー・ブルース』が出たときはすぐに手に入れ、懸命に読みました。ただ、ウィリアムズの文章はイメージが複雑で、書いてあることを理解するには自分の音楽的知識や想像力が乏しすぎると感じたものでした。
 70年代半ばにはローリング・ストーン誌の日本版が作られていたので、先ほど名前を挙げたキャメロン・クロウや、のちにブルース・スプリングスティーンのプロデューサー/マネジャーになったジョン・ランドウ、それにポール・ネルソンやバッド・スコッパ、スティーヴン・ホールデンといったロック評論家の記事やアルバム評をよく読みました。ランドウは映画評もよく書いていたので、それを読んでサム・ペキンパーの「ビリー・ザ・キッド」などの映画を観に行ったこともありました。
 グリール・マーカスのことも、彼がローリング・ストーン誌に書いたボブ・ディランの『ベースメント・テープス』のアルバム評を読んでその名前を知りました。その2年後に、ニューミュージック・マガジンが増刊号としてマーカスの評論集『ミステリー・トレイン』を出したとき、ぼくは本誌の編集部員だったので、とうようさんが自らその本の編集作業をしていたのをそばで見ていました。ポール・ウィリアムズとはまた別の意味で、マーカスの評論もぼくには難解なものでしたが、ウィリアムズもマーカスも、難解というかやっかいだったのは原文ではなく翻訳文のほうだったのだな、といまでは思っています。

ーー山本さんは音楽だけではなく、本や映画も大好きですよね。
 以前から『いつか映画のなかに出てくるロックについての書物
 を作ってみたい』とおっしゃられていました。そこにもまた音
 楽を単なる情報として捉えるのではなく、もっと生活に根ざし
 たものとして語りたいという思いを強く感じます。ロックが出てく
 る映画でお好きな作品を幾つか挙げて頂ければ。

 音楽にまつわる好きな映画はたくさんあります。思いつくまま挙げてみます。キャメロン・クロウの10代の体験をもとにした『あの頃ペニー・レインと(Almost Famous)』、キャロル・キングの半生を題材にした『グレイス・オブ・マイ・ハート(Grace of My Heart)』、落ちぶれた80年代ポップ・アイドルと多感な女の子とのロマンチック・コメディー『ラブソングが出来るまで(Music and Lyrics)』、60年代のワンヒット・ワンダーを描いたトム・ハンクス初監督作品『すべてをあなたに(That Things You Do!)』、説明不要の『ブルース・ブラザーズ(The Blues Brothers)』、ニック・ホーンビーの同名の小説の映画化『ハイ・フィデリティ(High Fidelity)』、グランジの時代におけるシアトルの青春群像『シングルズ(Singles)』、アメリカン・ミュージックの源流をたどってアパラチア山中に分け入る女性音楽学者の物語『歌追い人(Songcatcher)』もいいですね。
 ジョン・C・ライリーがロックに魅せられた男を熱演する『ウォーク・ハード(Walk Hard)』や、ばかばかしくも大事なことを伝えているジャック・ブラック主演の『スクール・オブ・ロック(School of Rock)』、ダブリンのR&Bバンドの物語『ザ・コミットメンツ』や、60年代の海賊放送とイギリスのロック状況を忠実に描いた『パイレーツ・ロック(The Boat That Rocked)』、ヴィム・ヴェンダースによるとてもリアルなブルースの旅『ソウル・オブ・ア・マン』などなど。

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『あの頃ペニー・レインと』2002年作品
(10代からローリング・ストーン誌の記者として駆け出していたキャメロン・クロウ
の自伝的映画であり、同時にロック音楽をめぐる寓話的な成長物語でもある。夢と失意。
栄光と挫折。それら多くの複雑な感情をクロウは痛みとともに描き切る)


 多感な時期に音楽と映画と小説のトライアングルの中で自分の想像力を膨らませた、という経験は多くの人にあると思うんですが、ミュージシャンも映画監督も小説家も、それは同じです。ブルース・スプリングスティーンはアイリス・マードックの小説を読み、ポール・トーマス・アンダーソンはエイミー・マンの歌にインスパイアされた。スティーヴン・キングやニック・ホーンビーのようなロックおたくの作家も多いし、ホラーや幻想文学に専門家以上に通じたアリス・クーパーのような人もいる。ビリー・ボブ・ソーントンやジェフ・ブリッジス、ガイ・ピアースやスカーレット・ヨハンセンも、自分のアルバムを出している。みんな、音楽と映画と小説の中で育った、ということですよね。

ーー今回はお忙しいところ、二ヶ月にも亘ってありがとうございました。
 互いの都合もあってメールでのインタヴューという形になってしまい
 ましたが、感謝しています。それでは最後に山本さんにとって生涯の
 フェイヴァリット・アルバムを5枚ほど教えて頂けますか。またそれ
 ぞれのアルバムに関するコメントもぜひお聞きしたいと思います。
 
 1年ほど前、札幌の実家に戻ったので、小尾さんのDJイベントに参加することもむずかしくなりました。残念です。考えてみると、小尾さんとこれまで音楽やそれにまつわるいろいろな事柄について膝を交えて話し合ったことはなかったですね。ですから今回、こうして“筆談”のような形ではあったけれど、“話し合えて”よかったと思っています。今度はぼくが小尾さんにインタヴューする番ですよね。その機会が来るのを待っています。
 で、生涯のフェイヴァリット・アルバムは?という問いは、死ぬ前日に何が食べたいかという“最後の晩餐”の質問に似ているような気がします。あるいは、「あなたにとってロックとは?」と聞かれたような気がする。「どう答えればいいっていうんだい?」と聞き返したくなります。うーん、どうしよう。
 まず、ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』。それから、ジェイムス・テイラー『ワン・マン・ドッグ』。フェアポート・コンヴェンション『アンハーフブリッキング』。んー、エリック・ジャスティン・カズ『イフ・ユーアー・ロンリー』。そして、ジャクソン・ブラウン『フォー・エヴリマン』。それぞれについてのコメントは不要ですよね。どれも70年代前半の作品ばかりで、ぼくが東京に出てきて、アパートと大学とニューミュージック・マガジン社の間を行き来する生活の中で、繰り返し聴いていたアルバムです。名作かどうかは別にして、ぼくにとって思い出深く、いまも大好きなアルバムです。まあ、死ぬ間際に紅鮭と焼き海苔とカブの漬物、それに炊き立てのご飯と豆腐の味噌汁を望むようなものでしょう。
 あまりにも当たり前のセレクトなので、ニルス・ロフグレン、トム・ペティ、それにアンドリュー・ゴールドやジュールズ・シアー、ダニエル・ラノワ、あるいは仲井戸麗市など、共感を覚えるほとんど同い年のロック・アーティストのアルバムを選ぼうかとも思いましたが、それもちょっとね。ザ・バンド、オールマン・ブラザーズ・バンド、フリー、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、リトル・フィート……。ぼくの中のロックのイメージを決定づけたアーティストたちも、本当に好きです。ベスト5のリストが20くらいできそうです。それをひとつにまとめて“個人的ロック100選”リストを作って、交換しましょうか。
 このインタヴューのやりとりはとても楽しかったです。ところによっては、なにか自分の青春物語をしゃべったみたいになってしまいましたが、自分の過去を振り返るいい機会になったし、質問にこうして答えたことで、ある意味、いい区切りになったような気がします。ぼくのほうこそ、どうもありがとうございました。

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取材・文 小尾 隆
(2011年12月から2012年1月にかけて)
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by obinborn | 2012-01-21 04:07 | インタヴュー取材 | Comments(3)  

Commented by Osamu at 2012-01-21 22:40 x
今回のインタビュー、以前にも増して、個人的に心の底から拍手、称賛、そして感謝の言葉を送りたいほどです。
山本さんを存じてあげているとか、いないとかはともかく、おふたりの気の置けない会話(筆談)のやり取りが、なんともうらやましく、温かく、後半には少しせつなくもなりました。勿論、広義で同業者ともいえる立場であり、語られたミュージシャンや、例えばサム・シェパードの著書(僕も個人的に好きです)など、ある意味音楽との係り方が同世代でもあるという、さまざまに共感できる部分がその大半を占めているせいかもしれませんが・・・。けしてそれだけではない、なにか熱い想いが込み上げて来ました。
小尾さんの、この、いたって個人的なインタビューの数々、これからも楽しみにしています!最後になりましたが、狭山でお会いできなくなりましたが、山本さんにもよろしくお伝えください。
Commented by obinborn at 2012-01-22 01:16
osamuさん、いつも感想をありがとうございます。社会という厳しい荒波
に放り出されてからosamuさんもぼくも30年近くなると思います。いろいろな意味で言い含めるのですが、規範的な他人のようになりたいと努力した時期がぼくにもありました。でも結局、紆余曲折を経て、結局ぼくは自分以外の他人にはなれなかったんですね。そしてosamuさんもまた(笑)。この歳になってやっと、ぼくは少しだけ世界を見渡せるようになりました。
Commented by Osamu at 2012-01-22 09:22 x
まったくその通りですね、この年齢になっても(なってこそかな?)まだまだ、学ぶことばかりのような気がします。これからも、お互い、大いに紆余曲折しながら、生きていきましょう~笑。

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