1月26日
しまう。われわれは当然ながら被曝しているし、放射線の被曝許容量が次々と引き
上げられている点に関しても、それは日本国民がパニックを起こさないための方便
に過ぎないのだった。
地質によって放射能が蓄積するから関西圏に逃げればいいというものでもないらし
い。86年のチェルノブイリ事故の際に京都で検出された放射能がやがて減少し、1
年後にまた京都で増大したように、放射能という”見えないもの”は気流に乗って
いくらでも横断し、そこには地域も国境も関係ないのである。
この書には原子力行政という国策のまやかしも十分暴かれているが、小出氏が正直
だなあ〜と思わせるのは、仮に福島のすべての人たちを避難させてもその人たちの
これまでの暮らしが失われてしまうことをきちんと逡巡しているから。ときに第一
次産業の打撃は深刻である。私は強制避難命令が出ている飯館村にそれでも残った
老夫婦のことを記憶に留める。私はその老いた男の言葉を噛み締めるしかないのだ
った。「この先どこに行っても同じ。避難所は狭く安らぎもない。だから危険だと
しても故郷を離れたくない」
今日も私たちは市場に出たものだから安心と(半信半疑ながらも)スーパーで魚や
野菜を買うが、その”大丈夫”の基準値を下げてしまったら、関東圏の漁業や農業
が立ち往かなくなってしまうという裏事情もあるのだった。そして残酷なことに、
子供や若い女性のがん発生率はまるでくじ引きを引くように、長い歳月のなかで
(急発性ではなくいわゆる晩発性障害として)訪れるのだという。
作家の池澤夏樹さんは「手に負えないものを手にした」人類の奢りとして、的確に
原子力を見据えている。昨日があり今日があり明日がある。あなたも私もどこかで
そんなことを漠然と信じていたのではないだろうか。それは昨日あった会社に今日
もまた通勤するような感覚として。今日見えた景色がたぶん明日もまた見えるだろ
うという根拠のない感覚として。
中野・哲学堂にて
by obinborn | 2012-01-27 02:22 | one day i walk | Comments(3)
みんなきっと無関心なんかじゃない。無関心のふりをしているだけ。「最後には国がどうにかしてくれる」「忙しいからそこまで気が回らない」「国民投票したって何も変わらない」「デモに参加するほど暇じゃない」など。これってすべて言い訳にしか聞こえません。要はその時々の満足を求めて生きているだけ。(続き)
2月19日(日)高円寺で楽しげなデモがあります。商店街を中心にした老若男女の和気あいあいどたばたデモです。きっと参加しやすいと思います。お近くにお住まいの小尾さんファンの方、いかがですか。
また、これは地元京都でのフライングダッチマンのライブ映像です。美しい三条京阪界隈ののんびりした雰囲気にそぐわないメッセージの重さが際立ちます。
http://www.youtube.com/watch?v=Q5p283KZGa8
小尾さん、お邪魔しました。
条や普天間問題とセットになったデモに関してはぼくは生理的にダメです
し、自分が享楽的な都市生活を過ごしている一点をスルーしてデモで満足
している輩も大嫌いですが、そういう高円寺のような政治色のない集会であれば参加してもいいかな、と思っています。知らないこと、無関心なこ
とは本当に罪深いです。sallyさん、お知らせ&コメントありがとうござい
ます!