3月29日

ドキュメンタリー番組がいつも嘘臭く思えてしまうのは、突き詰めて言う
と、限られた時間枠で起承転結を作らなければいけないからだと思う。
まして震災や原発事故のように、まだ始まったばかりのことに承はあっても
結があるわけがない。

古川日出男の『馬たちよ、それでも光は無垢で』(新潮社2011年)を読んで
そんなことを考えた。著者は66年福島に生まれた作家であり、これは原発事故
後現地に赴き、彼が見たもの感じたことを極めて感覚的に小説化したものだ。

何しろ時間軸は過去と現在を往復するし、場所も相馬や郡山からニューヨーク
やリヴァプールまで飛躍する。また観察する目線が人のそれから馬や牛から見
た光景へと随時転化していく様も鮮やかだ。

橋下徹市長のように役に立つ・立たないとか無駄である・無駄でないという
解りやすい二元論を立て結論を急ぐような人には即座に切り捨てられてしまい
そうだが、ゲージツというものは本来とても抽象的なものだ。そうした
尺度でしかものを見たり感じたり出来ない人に説明しても仕方ないかも。

ゲージツ家が政治的なものにコミットしていく難しさとは、当然ながらそういう
デリケートな部分にも関わってくる。そんなに政治に関心があるならジョン・ホ
ールや喜納昌吉のように議員になれ!とか短絡的に言われかねないから。
あるいは逆に、音楽家は黙って音楽をやってろ!とか言われたりね。

福島を徹底的に見届ける。文章化する。結論もないし、解りやすい救済の言葉も
書かれていないが、『馬たちよ、それでも光は無垢で』を読むと著者の心の流れが
次第に見えてくる。橋下サンには紙のムダなんて怒られるかもしれないけど(苦笑)。        
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by obinborn | 2012-03-30 11:28 | 文学 | Comments(0)  

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