人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ロング・インタヴュー、谷口邦夫(上巻)

 オレンジ・カウンティ・ブラザーズというバン
ドを覚えている方はどれくらいいらっしゃるだろ
うか。76年にレコード・デビューして79年に解
散するまで、彼らはカントリーやテックス・メッ
クスを引き寄せながら、自分たちの音楽を作った。
埃っぽい情感に安酒場の賑わい、そして一途な思
い。彼らに脈打っているのは、そんな血の通った
光景だ。恐らく音楽を愛し過ぎていた故に彼らは
時代の波に乗ることが出来なかったのだろう。そ
うした逆説がまたあまたの伝説となり、今宵もま
たどこかのバーで人々は彼らの名を呼ぶ。オレン
ジ・カウンティのペダル・スティール・ギター奏
者、谷口邦夫に話を聞いた。

ロング・インタヴュー、谷口邦夫(上巻)_e0199046_13322064.jpg




  

☆成増には昔、グラントハイツという米軍用の住宅
がありました。

ーーまずは谷口さんの個人史を少々お伺いしたいと
思います。

 生まれは板橋区の成増です。結婚してからは隣町
の和光市に移ったのですが、それ以外はずっとこの
近辺です。家は兄弟が多くって女女男男男の5人兄
弟で私は末っ子でした。一番上の姉はパット・ブー
ンが好きで、二番目の姉さんはプレスリーの姿はそ
うでもないけど声が好きだとか言っていましたね。
ですから音楽に目覚めたのはそういう家庭環境があ
ったからだと思います。あと私の家はずっと質屋を
やっていますので近くにあるグラントハイツという
米軍用の住宅、ここは今では光が丘に移っているん
ですが、そこから持ち込まれたレコードにも影響を
受けました。ハンク・スノウとかファッツ・ドミノ
とかチャビー・チェッカーなどのレコードが日本盤
ではなく洋盤で集まってきたんです。今それが手元
に残っていたら膨大なコレクションですよね(笑)。
日本人では小坂一也の「デビー・クロケットの唄」
とかクレイジー・キャッツのソノシートなんかをよ
く聴いていました。幼稚園から小学校低学年くらい
でしょうか。ナベプロのアメリカン・ポップスのカ
ヴァーがテレビに溢れていて、演歌が入り込む隙が
なかったかな。

ーー楽器を手にされるようになるにはどういうきっ
かけがあったのでしょうか。

 姉たちに教えるため家にはピアノの先生が毎週来
ていたんです。その先生が「この子は音感がいい!」
って誉めてくれたみたいなんですね。母親がその気
になって私にヴァイオリンを買ってくれたらしいん
ですけど、首がくすぐったくって全く習いませんで
した。その時やっていれば、ケイジャン、安積始じ
ゃなくて私が弾いていたかも。
 それからは中学くらいで、兄がギターを始めてい
たこともあってギターも練習しましたが、インスト
ゥルメンタルよりは歌を歌うことのほうが好きだっ
たので、歌の伴奏ということでギターを始めました。
三つくらい上ですとヴェンチャーズ世代なので例に
よってエレキのテケテケテケ~なのでしょうが、そ
の時は加山雄三やグループ・サウンズが流行ってい
る時代で、私はビートルズやモンキーズそしてアメ
リカのフォーク・ソング。中三の頃はニュー・ロッ
ク全般が好きでした。

ーーやがて高校生になられる。

 歌を歌いたかったので高校ではアメリカ民謡同好
会に入りました。当時は五つの赤い風船なども好き
で、山野楽器が主催していたフリー・コンサートな
ども見に行きました。URCから出た五つの赤い風船
と高田渡とのカップリングLPを同級生に借りて、け
っこう衝撃でした。それですぐにオート・ハープを
買ったんです。私と二人で組んでいた稲田っていう
奴はやがて”梅祭り”というバンドでデビューしたん
だけど、知らないかな。
 ちょっとお笑いが混ざったフォークでしたけれど、
その稲田と二人で学園祭で「遠い世界に」や「血ま
みれの鳩」といった五つの赤い風船の曲を歌いまし
た。彼が普通の6弦ギターだったので、私は音に厚
みを持たせるために12弦ギターを弾いたり、オー
ト・ハープをじゃ~んと弾いたり。オート・ハープ
といってもカーター・ファミリーのように色々と出
来るわけじゃなく、「遠い世界に」で使っていただ
けなんですけどね。その頃から弦が多くてちょっと
変な楽器が好きだったのかもしれない。
 私が通っていた城北高校というのは進学校なんだ
けど、教頭の息子のバンドが和田アキコが司会をや
っていた『R&B天国』っていう番組で優勝して、
ドラム・セットを貰って来たりしたのでバンド活動
にはうるさくなく、まあバンカラではあるんだけれ
ど、わりと自由な校風でした。当時はCSN&Yのラ
イヴ・アルバム『フォー・ウェイ・ストリート』辺
りをよく聴いていたのですが、その頃になるとギタ
のめちゃくちゃ上手い奴(現在はジャズ・ベーシス
トの桜井郁雄)を入れて三人編成で、その『フォー・
ウェイ・ストリート』に入っていたニール・ヤング
の「カウガール・イン・ザ・サンド」や、ジェイム
ズ・テイラーの「スウィート・ベイビー・ジェイム
ズ」を高校の講堂の落成式で歌いました。

ロング・インタヴュー、谷口邦夫(上巻)_e0199046_6113752.jpg


☆☆ペダル・スティールは初心者にはちょっと手が
出せない楽器なんです。

ーーそうしてどんどん音楽にのめり込んでいかれる。

 楽器をやるという目的で大学に行きました。たま
たま入学したのが法政大学だったのですが、そこで
カントリー・レンジャーズっていう軽音楽部のC&
W(カントリー・アンド・ウェスタン)のバンドに
入ったんです。他の大学にも伝統あるC&Wのバン
ドというのはあったと思うのですが、法政のそこは
戦後初めてC&Wを演奏した学生バンドだったらし
いです。ただ世の中はもう完全にロックの時代に入
っていたから、そのバンド自体もC&Wから新しい
音楽を模索し始めた時でした。そこで本格的にペダ
ル・スティールを習い始めました。ギターでは他に
上手い人たちが沢山いましたので、こりゃ今から始
めても遅いんじゃないかとも考えた。しかし、ペダ
ル・スティール・ギターという楽器はある程度きち
んと教えてくれる先生がいないと初心者にはちょっ
と手が出せないものなんですね。メカニカルな部分
からチューニングが狂った時の調整方法まで含めて
シロウトが自己流で始めるにはなかなか大変な楽器
なんです。
 私の場合はたまたまペダル・スティールの第一人
者である尾崎孝さんが二学年上にいたり、尾崎さん
の紹介で私が使っている日本で唯一のペダル・メー
カーFUZZYの社長である藤井さんと知り合えたり
しました。藤井さんというのはジミー時田のマウン
テン・プレイボーイズのペダル奏者だった人で、あ
のバンドはベースがいかりや長介でギターは寺内タ
ケシ、マンドリンはジャイアント吉田でした。これ
がドリフターズの前身だと言われています。藤井さ
んには初歩的なピッキングを教わったり、FUZZY
の工場でアルバイトして、毎日スティールで使うス
テンレスのバーを磨いたりしていました。オレンジ
で使っていたペダル・スティールはそのバイト代で
買いました。そんなわけで私はペダル・スティール、
安積はフィドルを習い始めたんです。

ーー当時はどんな音楽を聞かれていたのでしょうか。

 先ほどお話したCSN&Yやニール・ヤングから広が
ってカントリー・ロックと呼ばれていたものも勿論聞
いていたんですが、やはり子供時代に体験したファッ
ツ・ドミノのような黒人のリズムが頭にありましたか
ら、そういう意味では物足りなさも感じていました。
そんななかでジェイムズ・テイラーの『マッド・スラ
イド・スリム』を聞いた時、これだ!って思ったんで
す。というのもジェイムズの音楽っていうか、ザ・セ
クションの演奏にはブラック・ミュージックの要素が
自然に溶け込んでいて、白人離れしたリズム感が気持
ち良かったんです。それでも彼のヴォーカルはハンク・
ウィリアムスやジョージ・ジョーンズなんかのカント
リー・シンガーの伝統を通過していますよね。『マッ
ド・スライド・スリム』を初めて聴いたのは、大学を
受験する夏のことでした。大学時代は必要に駆られて
ペダル・スティールの入った有名なアルバムを聴きま
くっていました。そこで出会ったのがニュー・ライダ
ーズ・オブ・パープル・セイジのバディ・ケイジです。

(中巻に続く)

by obinborn | 2012-06-17 06:30 | インタヴュー取材 | Comments(6)  

Commented by okuyama at 2012-06-18 13:25 x
お疲れさまデス。
酒冨にリンクさせてもらいます。
Commented by obinborn at 2012-06-18 15:39
リンク、ありがとうございます!
これからもまた面白いコンテンツを増やしていってください。
Commented by NOAH at 2012-06-28 10:32 x
おびさん、こんにちわ。インタビュー楽しく読ませていただきありがとうございます。久々に3枚のCDをひっぱりだして聴いていました。

京浜ロックの夜景をバックに流れる谷口さんのペダルは
まさにあの日のハイライトでした。遅ればせながら
はじめてオレンジをあの日聴いて夢中でCDを探したんです。

言葉の一つ一つを読んで音楽を大切にしている方なんだと
あらためて感じました。
ライブがありましたら是非、聴きに行きます。

ありがとうございました。
Commented by obinborn at 2012-06-28 12:21
インタビュー読んでいただきありがとうございます!
ペダル・スティールの世界も奥が深そうですね。
Commented by はじめまして at 2012-07-28 20:35 x
 実は、CD再発の時1988年頃、知りました。人づてに「LAZY」のボーカルが、藤田さんを崇拝し1976年ごろ(?)つきまとったとゆう不確かな情報が入ってきました。
 日大出身のバンドで朝倉紀行さんのバンド(セミアマバンド)と「LAZY」が同じ事務所だったとネットできき’(後の「トライアングル」所属前の話」)、「LAZY」の最初の所属事務所がもしや「オレンジ…」とも同じではと思ったりしたのです。 さらに柳ジョージとレィニンウッドもでは?と思ったりしました。
ごぞんじないでしょうか。
Commented by obinborn at 2012-07-28 21:02
 コメントありがとうございます。私も所属事務所のことまでは解らないのですが、マネジメント・サイドもまだまだ未分化の時代でしたから、そうした繋がりがあったかも知れませんね。また機会があったら聞いておき
ます。

<< 6月17日 ロング・インタヴュー、谷口邦夫... >>