金持ちのいる、とても罪深い邸宅で。
頭の回転が早くウィットに富み、ハンク・ウィリアムスの魂と逃亡者の情熱と洞察。
グラム・パーソンズはそんな男だったんだよ。俺たちはカントリー・バンドを作るために
じっくりと話し合った。何しろ俺たちのザ・バーズは地平線の向こうに消えてしまった。
だから俺たちは計画を実行に移したんだ。
幸いにもまだカントリー・ロックという言葉は使われていなかった。
俺たちは恋に破れた二人の恋人たちのように荷物をまとめ、サンフェルナンド・ヴァリー
へと旅だった。普通の音楽生活を求めて踏み出した大きな一歩は、気がつくと俺の人生の
なかでもとても価値ある経験へと変わっていった。ブリトーズの『The Gilded Palace Of
Sin』のなかのすべての曲は、ヴァレーでの小さな家で俺たちが暮らしながら作った歌ば
かりだよ。
俺たちはカントリー・ミュージックにちょっぴり社会的な意識を持ち込んだ最初のソング
ライターだったと思う。「罪な町」では地震や軍国主義や、はびこりつつあったキリスト
教原理主義のことを予言した。「僕の叔父」は朝メイルボックスに郵便を見に行ったグラ
ムが徴兵の知らせを受けた時の歌だ。そして「ジュアニータ」はドラッグの乱用とそれに
関する失望に関する曲なんだ。
(クリス・ヒルマン 新たに編まれたブリトーズ88年のコンピレーション・アルバムに
寄せて)
by obinborn | 2012-07-16 19:13 | rock'n roll | Comments(15)
ツイッターで小尾さんが書いていた
「数の問題かよ?」。
春頃、初めて首相官邸前に行ったとき、
確かに人の数に最初は高揚するし、
これだけの人が同じ思いを抱いているのかと
感動に似た気持ちをおぼえたこともあります。
しかし、先日の代々木公園は正直
のぼりの数が異様に目立ちました。
全国から集まった労連の人々が隊列を組み、
スタートするのを待っているところには
自分のような一般市民?(ホントそんな感じ)が
混ざる隙間もなく、NO NUKES MORE HEARTSなどが
主催し、個人が集まり歩いていたデモとは
まったく空気が違いました。
なんでしょうか、あの雰囲気。
申し合わせたような、自由がないような。
小尾さんの集団性アレルギーについて、
僕はリアルタイムで知らないので
語ると嘘になりますが、共感するところ多しです。
(続く)
結局、人波と日射に圧倒され、公園の木陰に逃げこみ、
フライングダッチマンのライブも遠くで音だけ聴いて、
デモにも参加せずというテイタラクでした。
本当にさまざまな要素を含むこの問題は
解決には長い時間を必要とすると思います。
僕らの世代なんかじゃ終わらない、
何代にもわたる問題なのはあきらかです。
自分のペースで動こうと決めて動いていても
続けるうちにいろいろ思うところが増えてきます。
自分の信じる報道やデータ、
学者や活動家たちの本を読み、映画を観、
勉強していますが、実際に街へ出てみると
悩みが増えるばかりのこの頃です。
これからも自分の感覚で違和感を感じたら
NOという態度で臨もうと思いますが。
ちょっと思ったことを書きました。
どうもお邪魔しました。
例えば、原発なしでもすべての需要電力を賄えるという反対派の人々
の”根拠”も本当に正確なデータであるかどうかは誰にも解らないし、
他の情報についても然りであることは、漠然と多くの人が(たとえ口
に出さなくとも)思っていることだと思います。
一番危険なのは脱原発=オーガニック(笑)な暮らしが待っている
とでも言わんばかりの安易なユートピア的な幻想です。
ところが実際の現代的な暮らしというのはもっと複雑に様々な要素
が絡み合っている。No More Nukes,More Heartsという言葉は美し
いけれど、それじゃきみのアンプリファイドされたエレクトリック・
ギターは? といった図式に収束しかねません。結局私はそういう
黒白が簡単に付けられない問題に関して、一方的に東電は悪魔の手先
とか言ってしまうような無神経さが我慢ならないのです(続)。
象徴的かもしれません。坂本なんかにしても、私なんかの感覚で言わ
せてもらえば、件の「たかが電気よりも命を」発言なんか、アンタそ
んな大風呂敷広げちゃって大丈夫? というのが偽らざる感想です。
例えば温室効果を出すガスの基準枠まで現代人は売買で取り引きで
きます。実際に国連や欧州連合はそれを売買しています。いわば
先進国の贖罪意識をお金で薄める、もしくはチャラにするということ
です。そういう時代に生きているにもかかわらず、それを認めずに
生きることは私には傲慢な行為に映ってしょうがないのです。つまり
それだけ人類は最初の形態から離れ、遥か遠いモダンタイムズに生き
いるということなんだと思っています。
この地球上で人間が生きる罪を
自覚すればするほど、何も言えなくなる。
でも、あきらかに民意を無視する政府への
憤りもあるし、子どもを育てる上で
不安は大きくなるばかり。
活断層の真上に原発があるのはやはり恐い。
いくらツイッターやフェイスブックで
つぶやいても届かないし、
署名集めても都民投票さえやらせてもらえない。
これじゃ市民は街へ出るしかないと
思うのも無理ない気がします。
自分の暮らしの裏側を見ずして
脱原発を叫ぶことは僕も傲慢だと思います。
でも、このままでは、また地震による
原発事故で自分の家に帰れない人を作ってしまう。
多くの子どもたちが被ばくしてしまう。
そんな恐怖と悲しみが怒りに変わり、
根源的な生理で動いている人も多くいます。
何が誰が正しいとか間違いということではなく、
小尾さん、この大きな問題を少しでも
解決していくにはどうしたらいいのでしょう。
自分で探すことが本当の答えだと
わかってはいても聞いてしまいます。
私は昨年起きた福島原発の事故を考え、受け止めています。
ところが私が呉越同舟的な官邸前や代々木デモに違和を表明しただけで、
お前は原発推進なのかという烙印を押されてしまう。ネットの怖さ云々
以前に、二者択一的なものの見方しか出来ない、つまり「揺らぎ」を解せない人たちのダメな部分です。私はむしろそういう発想に馴染めない。
多少偽悪的なユーモアとして、あるいはもっともらしいヒューマニズム
への嫌悪として、私がぼくのお父さん=原発従事者とか、原発が町を興
してくれたよ的な皮肉短文をツィートしても誤解されてしまう。何だ
かますます息苦しい世の中になってしまいました。
主旨と脱線してしまうかもしれませんが、sallyさんはこうした現代的な環境についてはどうお感じになられていますか?
マディとストーンズのチェッカーボードのライブDVD
輸入盤でCD付き2000円と激安〜と飛びついたら
なんとUS盤でリージョン1でした
そのままでは再生できませんのでこれから購入を考えてる方は
国内盤か再生可能なヨーロッパ盤を選んでください
さいわい手持ちのパソコンの外付けドライブはリージョンコードを4回変更できるようで
2から1に変更して見ています
しかし結局
動画は2-3回見てあとはCDしか聴かないかもしれませんね
今回のことは生活の根本から考えるきっかけにはなったけれど、なにも原発だけが問題ではないし、以前から感じていましたが、ここまであらゆる矛盾を放置していた(無知だった?無関心だった?)自分を情けなく思います。政府を批判するなら政治をもっと知るべきだし、差別に反対するならしっかり社会構造を学ぶべきだし、東電を避難するならエネルギー問題の根本から探るべき。自分も含め日本で暮らす人々は、もっと取り巻く社会を背負って、くんずほぐれつで生きるべきだと思います。(続く)
僕は広告会社に勤めています。どちらかというとやわらかい方の会社ですが、やはり、職場では原発の話題は暗黙のタブー。意思をはっきり示したことはないのですが、自分の耳にこれらの話題があまり聞こえてこないのでたぶんタブーです。これも原発に限らず、自分の政治的な意思表明はタブー。なんなのでしょうか、この閉塞感。きっと小尾さんがお考えの自由への希求のレベルとは開きがあり過ぎて驚かれると思います。でもこれが僕を取り巻く現実で、自己表現の教育をしてくれなかったと学校を責めるほど無責任ではないし、国民性だよとつまらないまとめもできず。(続く)
3.11以降に知った多くの学者や活動家たちは詳細で膨大なデータからさまざまな意見を言う。思うに、それぞれ発言の位置や角度、目的が違うのに、小尾さんが揶揄された「脱原発=オーガニックな暮らし(笑)」を短絡的に夢想するような人々はこれらの意見を並べて考えることをしない(できない)。何層にもわたる複雑で奇々怪々な問題なのに、まるでフリーズしたらすぐシステム終了するように結論を急ぐあまり、わからない部分に差しかかるとシャットアウト(自分と関係がない)という姿勢自体に違和感を覚えます。僕が感じるに、悲しいかな、この社会では人々を動かすには何年経ってもわかりやすさと即効性が有用なような気がしています。つまらないですね。わからなさや自分との違いにこそ魅力があるのに。もう一歩踏み込んで考えれば先は広がるのに、一瞬では理解できないだけでストレスと感じてしまう。ユーモアをかいさない。これじゃ自らストレス社会を作っているだけ。もちろん自戒の念をこめて。(続く)
ただ、批判する人を批判する罠にはまってはいけない(ディランでしたか?)ということと、外野を歩いてばかりではなく、ときには中に入ったり、また出たりという動きが自由にできればと思っています。『Songs』のシネイド・オコーナーのローマ教皇批判事件の話を読み、小尾さんの立ち位置をしっかり確認しました。感動しました。小尾さんの言葉に心をとらえられた一人です。音楽は時代と密接に結びついてますが、この何年かは全くといっていいほどディランとヴァン以外で現役音楽家の新譜を買わなくなり、60〜70年代の英米音楽をレコードで聴いています。こんな自分が現代の息苦しさを訴えるのもナンですが。小尾さんの単純な二者択一的メッセージは危険を孕むという意見には激しく共感。一見ヒューマニズムを装い、わかりやすいメッセージを唱える方々にのせられないよう、日々揺れてばかりの自分は小尾さんの言葉から学んでいるつもりです。長々と乱文、失礼いたしました!
と思ってしまうのです。自分がもっと素朴にデモというお祭りに参加して
無邪気に東電解体!とか叫べればどんなにいいだろうとも思います。しかし、物事というのはそんなに単純ではない。昨日から坂本龍一ばかり棚に
上げて申し訳ないのですが、彼もいつしか自分が出ている巨額のCMと「電気」の問題を考えざるを得なくなる(続)
家をまるごと失った友だちがいます。その人はおよそこのようなことを言っていました。「自衛隊の人たちの献身的な行動力を見て、私はいつまでも心が折れているわけにはいかないと思った」と。嘘偽らずの率直な感想
だと私は思いました。誤解を招かないように一応申し上げるのですが、私
自身は左翼でも右翼でもありません。そりゃ、10代の時に感動したジョンの「イマジン」みたいな世界を描ければどんなにいいだろうと今も思います。でも現実の私は、一国の平和が他国での戦争であることを十分に知っています。うまくまとめられないのですが、Sallyさん、他にも思うところ
がおありであれば、どんどんディスカッションしていきましょう!
いろいろと丁寧にお答えくださりありがとうございました。
IAEAとWHOの関係を描いた「真実はどこ?」。
とても興味深い内容でした。
もしまだ見ていらっしゃらなかったら、
お時間あるとき、ぜひに。
http://www.youtube.com/watch?v=oryOrsOy6LI