佐々涼子『エンジェルフライト』

 年が明けてまもなく起こったアルジェリアのテロは
衝撃的だった。テレビが映し出すのは政府機から搬送
され出てくる棺の山々である。黒い傘や敷物で覆われ
その中味は覆い隠されているが、そのなかに横たわっ
てるのはまぎれもない死体の数々。旅立つ際は当人も
まさかこんな姿で日本に帰ってくるとは思いもよらな
かっただろう。その死者が再び語り出すことはない。

 国際霊柩送還士とはそんな遺体を保管し、修復し、
最後には遺族のもとへと届ける人たちのことだ。一般
的にはまだまだ知られることのない職業だが、そうし
た仕事に関わる人たちのドキュメントが『エンジェル
フライト』(2012年)である。海外で亡くなった日本
人もしくは日本で命を落とした外国人を、その原因を
問わず故郷まで返す。その間には遺族への説明や航空
券の手配、領事館や葬儀店との交渉などなどさまざま
派生する細かい作業があり、どんなに損傷の激しい遺
体でも正面から向き合わなければならないという過酷
で、ちょっと想像に耐え難いような任務がある。むろ
ん人は死ぬ時間まで決められない。電話が鳴れば、メ
ールを受信すれば霊柩送還士たちは早朝であろうが深
夜であろうが、羽田なり成田の貨物ターミナルまで今
日も車を出す。

 「あなたに遺族の気持ちがわかるんですか? それ
を書けるっていうんですか?」と4年まえにはまずぴ
しゃりと断られたと、取材者である佐々涼子は明かす。
それは「覗き見趣味と言われても仕方なかった」とも。
そんな彼女(68年生まれ)がエアハース・インターナ
ショナルという国際霊柩送還の専門会社に密着し、理
解し、やがて社員たちと息を合わせていく様子が興味
深い。つまり実際におびただしい数の”物言わぬ人たち”
と向き合うことによって、佐々の死生観までが次第に
語り明かされていくのだ。

 取材を始める以前の彼女に限らず、私たちは死をど
こか忌まわしいものとして遠ざけてきたのではないか。
あるいは海外で日々殺戮され闇へと葬られる幾千もの
死をまるで他人事のように扱ってきたのではないか。
少なくともあの東日本大震災のまえまでは。そのよう
な問いが発せられるのも、佐々が死体や悲観に暮れる
遺族たちの姿を ”近いもの”として社員とともに目撃
してきたからに他ならないだろう。死に関する麻痺し
た感覚を死体が逆に問い改めていく。佐々は恐らくそ
んな体験を促されたはず。その結果、彼女が母親の病
や、幼少期に隠匿されていた弟の死、あるいは同世代
のジャーナリストである山本美香の事故死を自分のこ
ととして受け止めていく。それが本書に取材記とは別
のセカンド・ストーリーを付加してゆく。

 エアハース・インターナショナルの社員たちの熱心
な働きぶりも、ちょっと言葉を失くすほど献身的なも
の。とくにエンバーミング(防腐処理)の一環として
行われる顔面破損の修復や死化粧については一定の経
験と職人的な技が要求される辛抱強い仕事だ。そばで
見ている佐々が「そこまでしなくとも」と思ってしま
うほどに徹底して為される死化粧。そこに感じられる
のは昨今の成果主義や効率論からは零れ落ちてしまう
高い職業倫理であろうが、日々死と向き合っているが
故に伝播する気とか魂といったものが彼らを支えてい
るのかもしれない。彼らは言葉少なくこう口を揃える。
「ご遺族のためです」と。出来る限り故人が元気だっ
た頃の顔に復元するのは、破損がひどい遺体に接した
場合、こちら側に残された人にとっても一生のトラウ
マになってしまうから。

 そのような遺族の感情も遺体を巡る各国のダーク・
ビジネスの実態も、あるいは社員がこの職業を選び取
った過程や作者の内面に沸き上がる心持ちも、この『
エンジェルフライト』にはぜんぶ書き留められている。
対面して正しく弔われた遺体もあれば、もう永遠に会
う機会を奪われた遺体もある。波の彼方へと呑み込ま
れていった無数の死体のことを、ぼくはときどき考え
る。

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by obinborn | 2013-02-12 15:10 | 文学 | Comments(0)  

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