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『夕凪の街 桜の国』を読んで〜もう一つの被爆体験

直截な表現が必ずしも真実を伝えるとは限ら
ない。むしろ抽象化された文や絵のほうが遥
かに心に何かを宿らせる。私たちが音楽や映
画そして文学という”飢えた子の前では役に立
たない”ものを求めて止まないのは、スローガ
ンや法律やマニュアルでは到底補うことが出
来ない心の襞に触れたいがためであろう。

私がいつもメッセージ・ソングや反戦歌とい
うフォーク・ソングのフォーマットに窮屈さ
を感じてしまうのも恐らく前述したことと関
係する。極端なハナシ、反戦や平和を訴える
だけならばデモや集会に行ったり議員や官僚
に嘆願書を提出することのほうがずっと現実
的な選択である。音楽にはもっと音楽にしか
語れないものであって欲しい。

”はだしのゲン騒動”に揺れた今年の夏、私は
未読だった『夕凪の街 桜の国』(04年双葉
社)という漫画を読んだ。作者こうの史代は
広島市の生まれでありながら被爆者でも被爆
二世でもない昭和40年代生まれ。本人があと
がきで記しているように原爆は「よその家の
事情」だったという。だがそんな距離感を抱
えた彼女だからこそ間接的な表現を用いなが
ら被爆を遠近法で見つめることが出来たので
はないだろうか。

戦後の広島で皆実という若い女性が過ごす日
々を描いた「夕凪の街」では、被爆体験者な
らではのリアリティやトラウマが胸に迫るの
だが、それの連作となる「桜の国」では一転
場所も現代の東京近郊に設定され、そこに暮
らす係累・七波の物語となっている。過去と
現在、広島と東京、二人の女性。そんな対比
によって作品は静かながらそれ故に深い陰影
を湛えているのだと思う。そして父の後をそ
っと追いつつ広島までバス旅行する七波の姿
は私にソング・サイクルという言葉を思い起
こさせる。親のいない子がいないように、生
まれた町を持たない者はいない。そのことを
こうの氏は大言壮語的にではなく広島と東京
との循環のなか、抑制したタッチで描き出し
ていく。

政治的な見解や”犯人探し”は注意深く避けら
れている。算数の出来ない子供を前に学校の
先生が「すぐ原爆のせいとか決め付けるのは
おかしいよ」と諭す一コマにも、作者の思い
が滲み出るかのようだ。池澤夏樹氏の言を借
りれば、特定の誰かを糾弾することで何かが
解決するのであればとっくに放射能は止んで
いるだろう(『春を恨んだりはしない』)
歴史や事象といったものはいつも複合的だ。
そんなことをこうの史代さんは言いたかった
のかもしれない。

ドラマティックに盛り上げていくのではなく、
肉親や兄弟、級友や職場の同僚といった身近
な人々との会話を軸に淡々とストーリーを積
み重ね、普段の日常のなかで被爆を捉え直し
ていく。彼女のそんな心映えが爽やかに伝わ
ってくる優れた一冊だ。

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by obinborn | 2013-09-09 09:56 | 文学 | Comments(0)  

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