トルーマン・カポーティと私
頃だった。テイファニーや冷血は勿論読んだけれど、「夜の樹
」などの短編も良かったし、何よりいっぺんに引き込まれたの
は、少年が南部を巡っていく冒険奇譚『遠い声、遠い部屋』だ
った。アメリカの優れたフォーク・シンガー、ナンシー・グリ
フィスはこれをアルバム表題に掲げたこともあるくらい。そん
なこともあって、いつしかカポーティはぼくの隣人となってい
った。とかく普段の言葉は届きにくい。町やテレビの喧噪のな かにあってはなおさらだろう。だからこそ遠い声を聞きたいと 思う。ぼくのささやかな願いとはおよそそんなことだったりす
る。
人々は過剰なまでにネットというツールで繋がりを求める反面、
そこで現れにくい(あるいは極めて困難な)ニュアンスとか心 の襞に関しては意外なまでに無頓着であったり無関心であった りする。それはそれで仕方ないのかもしれない。このぼくだっ
て人のことは言えまい。少なくともぼくはPCを利用しながら、
邪心に取り込まれてしまうことがあるのだから。
音楽の原稿を書き始めてから今年で24年めになる。その間には
いいこともあったし悪いこともあった。ごくフェアに振り返れ
ばおぼつかない部分もあったと思う。それでも幾人かの人はぼ
くの原稿を誉めてくれたし、そうでない時は逆に文才のなさを
呪ったりもした。
「人々が私をどう思おうとも、それが本当の私でない限り、ど
うと言うことはない」
カポーティが遺した言葉である。その毅然とした態度にぼくは
今日も背中を伸ばせてみよう。
by obinborn | 2014-01-08 20:20 | one day i walk | Comments(0)