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7月5日の中村まり

5日は下北沢のleteで中村まりのソロ・ライヴを。フィンガー・
ピッキングで愛用のマーティンを奏でながら歌い、ときにハー
モニカを吹き、ある場面ではバンジョーに持ち替える。一見し
たところ淡々としたステージ運びだが、そこには豊かな起伏が
あり、旅人が各駅停車の汽車に乗りながら止まる駅一つひとつ
ごとに何かしらの発見をしているという感じだ。つまり彼女は
そこでブラインド・ウィリー・マクテルに気が付き彼のDeliaを
歌うかと思えば、時空を飛び越えてロン・セクスミスのUp The
Roadに共感する。そしてこの日はスティーヴン・フォスターの
Hard Times(Comes Again No More)までに寄り添った。

優れたソングライターとは、きっと他の人が作った歌にも敏感
に反応するのだろう。中村まりがまだレコーディングされてい
ない自作曲When The Day Is OverやStill In The Sunをライヴご
とに育んでいくのと同じように、彼女は埃まみれのカントリー
・ブルーズを歌い、ときにアパラチアン山脈に伝わる語り部の
ような歌と共振し、グリニッチ・ヴィレッジの髭男デイヴ・ヴ
ァン・ロンク版Green Rocky Roadでブルージーな表現に特化す
る。その場面場面があまりに鮮烈だったので、ぼくは今こうし
て書きつつも、しばし放心しているところだ。

例えば季節労働者の歌やトレイン・ソングの数々と、モダン・
タイムズに生きている私たちの暮らし。そこには何の繋がりも
見えないし、リアルに実感出来ることも少ない。ところが果た
して本当にそうだろうか? 海が荒れる。豪雨が家々を浸食す
る。給湯器が壊れてしまえばシャワーで一日の疲れを洗い流す
ことも出来ない。恒久の星々や、そっと夜を照らす月に比べれ
ば、あまりに心細く情けなくなってくるような気分だ。

中村まりの歌は暗黙のうちに問い掛ける。暮らしの叡智。人々
の語らい。毎日食べるパン。それらの愛おしさについて。そし
てぼくは自問する。雨や風に耐え得る本物の歌とは一体どうい
う歌なのだろうかと。アンコールで歌われたGoing Back To My
Homeの鮮烈さはどうだろう。途中に挟まれたハーモニカがま
るで汽笛のように鳴りながら、家に帰りたいという気持ちをど
こまでも後押ししていった。

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by obinborn | 2014-07-06 01:20 | 中村まり | Comments(0)  

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