クラン・レコードの平野実さんを偲ぶ
語られる輸入レコード店・クランのことだ。テックス・メックス
とルイジアナのスワンプ・ポップ&ザディコを看板にした同店は、
いつしか人と人の交差点となり、何人かのミュージシャンやライターを輩出していった。その渦の真只中にはいつも店主の平野実さんがいらっしゃった。今や故人となってしまった彼をクランの思い出とともに偲びたい。そう、1978年から2008年までの30年、平野さんはずっと店を支え続けたのだった。
☆ ☆ ☆
開店は78年 当初は当時潮流だったSSW~スワンプ・ロックを中心に掛けるロック喫茶だった
私が最初に行ったのは79年の夏 初めてのリクエストは『ジェシ・ウィンチェスター』
リクエストはLPの片面単位ごと あの頃はこうした店が主流だった
トム・ウェイツ『クロージング・タイム』をフルで流す夜も
西武池袋線江古田駅北口から約5分 三叉路前の青梅(現:西京)信用金庫が店の目印だった
コーヒーは豆を挽いていた 値段は250~300円前後と記憶する
夜は次第に呑み屋へと変化 私はサントリーホワイトのボトルをよく入れていた
美味しかったフードはボルシチ ごく初期にはカレーも置いていたらしい
まだSNS環境がない時代 店に置かれた一冊のノートが「つぶやき」の場だった
渋谷のブラックホークを意識してか、月曜夜に英トラッドを聞く会を開催
トイレには「ウンコは家でしましょう」の張り紙が
店では野良猫がよく平野さんに懐いていた 心温まる風景だった
マチケン(町田謙介)、クランでソロ・ライブ
友部正人が自主制作盤『何でもない日には』販促のため来店
湯布院のSSW通販店タンボリンと親交 「田圃林通信」を配布
八王子のロック喫茶「アルカディア」と親交 「アルカディア通信」を配布
常連の長谷雅春氏、「ビール・ストリート」~「レッドビーンズ(赤豆報)」と自らミニコミで大活躍
私(小尾)のミニコミ「ハックルバック」にも平野氏は寄稿して
くださった
当初から委託中古盤などを扱っていたが、やがて輸入盤専門レコード店へと方向転換
Pヴァインがチェスの権利を獲得した80年代前半頃から、同社と取り引き開始
平野氏、本格的な音楽体験のため、幾度かテキサスへと旅立つ
スワンプ・ポップに着眼 大河シリーズ『ジェイ・ミラー・セッションズ』を取り扱う
フラーコ・ヒメネスの貴重なインディー録音盤をがっつりと輸入
ジョー・キング・カラスコやバックウィート・ザディコら新世代もいち早く紹介
ロス・ロボスのメジャー・デビュー作『AND A TIME TO DANCE』を輸入 音楽メディアなど各方面に衝撃を与えた
ファビュラス・サンダーバーズやリロイ・ブラザーズも積極販売
スティーヴ・レイ・ヴォーン来日時には「SRV公演のため本日臨時休業」の張り紙も
サニー・ランドレスが帯同したジョン・ハイアット来日公演のため臨時休業
スティーヴ・ジョーダンやフレディ・フェンダーの輸入盤を国内配給開始 ライナーも平野氏(ときにペンネームの黒岩姓で)担当
アコーディオンやラブボードといった楽器、スラック・キーの教則本、ルイジアナ音楽研究の第一人者であるジョン・ブローヴェンの著作なども販売 音楽ファンから信頼を得る
ダグ・サームのビデオ上映会を開催 小型テレビ画面で見せられた
レコを買うとポイント制の割引券(茶色の名刺サイズ)が貰えた
レア盤の購入には、例えば¥2,800円プラス割引券20枚要というハードルあり
そのハードルでリードーシーのポリドール盤やSDQのマーキュリー盤を購入した思い出も
ブレイヴ・コンボのカール・フィンチ、来日時のステージで招聘の平野氏を讃える
平野氏、『ミュージック・マガジン』『レコード・コレクターズ』に幾つかの記事を寄稿
『ミュージック・マガジン』の連載で店が紹介される
山崎直也、中山義雄といった鋭い感性の音楽評論家諸氏も店を愛した
さらにチカーノ・ラップのカセットまで取り扱うマニアックぶりを発揮
この頃からクレイジー・ケン・バンドの横山剣氏と親交
90年代後半からは古着や中古オーディオ機器の扱いも始める
平野さんは配線回路に詳しく、機械の修理にも長けていた
クラン閉店は2008年の春 とくに告知はぜず、粛々と
平野さんは常に無口で淡々とした風情 「世間に動ぜず」が基本姿勢だったように思える
私が最後にお会いしたのは2014年秋のスクイーズボックス・ナイト
お元気そうだったのに…

by obinborn | 2016-11-01 18:36 | blues with me | Comments(0)