Just My Imagination

この一ヶ月で最も心に残ったのが、矢作史生さんの音楽論考
だった。彼はブルース・スプリングスティーンのBobby Jean
について、およそ以下のように考察する「青年期に於ける友情
と別れを主題にしたこの歌には実在のモデルが存在する。しか
し、この歌は聞く者一人一人にそれぞれのBobby Jeanを思い
起こさせる力を持っている」と。そう、まさに私たちにはかつ
て同じような服、同じような音楽、同じような映画を好んだ友
がいただろう。この歌はそうした多感な青年どおしが、時の流
れとともに離れ離れになっていく痛みを歌っている。互いが出
会った時の様々な光景を喚起させながら、最後のトドメが「さ
ようなら、ボビージーン」という激烈な歌詞であり、かつて私
も胸を抉られるような感動を覚えたものだ。

ところが、最近の音楽記事は逆に実在のモデル探しをし、それ
を知識の披瀝と言わんばかりに自慢する傾向にある。そうした
週刊誌的な種明かしが、どれほど聞き手のイマジネイションを
奪っていくかをジャーナリズムの人間はもっと考えた方がいい。
それは昔私がポール・ウィリアムスの音楽評論から学んだこと
とも重なる。ウィリアムスはディランのMr.Tamblinmanについ
て麻薬のディーラーであるだろう、といった詮索(犯人探し)
的だったかつての自分を恥じ、こう書き留める「僕はまるで
夜はいつも真っ暗だと信じていた子供のように愚かだった。
今僕はこの歌をあるがままに受け止める。そう、ここにあるの
はなだらかな自己放棄の感覚なのだ」と(『アウトロー・ブル
ース』より)

以前TAP OF POPSの記事が「ぼくの好きな先生」には実在する
人物がいることを種明かしていたが、忌野清志郎が生きていた
ら激怒したに違いない。あれほど慎重に特定のモデル探しから
距離を置き、言葉を選びながら書いた歌詞がこれでは台無しで
あ〜る。そう、R.Cサクセションの「ぼくの好きな先生」は、
"煙草と絵の具の匂い”のする学校の教室へと私たちを連れ戻し、
当時いただろうちょっと風変わりな先生を想像させる。イメージ
豊かに描いてみせる。歌のイマジネーションとはそういうものだ。私たちはそれぞれが想像するBobby Jean、Tamblinman、「ぼくの好きな先生」を信じている。

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by obinborn | 2018-07-26 16:59 | one day i walk | Comments(0)  

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