音響の達人、ダニエル・ラノア
冬になるとやはりカナダの音楽家を聞きたくなる。ケベック州
出身のダニエル・ラノワは今や泣く子も黙るプロデューサーと
して、ジョー・ヘンリーやT.ボーン・バーネットと並ぶ”音響派”
の大御所だが、70年代にはウィリー・P・ベネットなどカナダの
SSWのアルバムで修行を重ねた。ブライアン・イーノに影響され
たラノワは、その独特の深いエコーを伴った音響哲学をボブ・デ
ィラン『オー・マーシー』『タイム・アウト・オブ・マインド』
ネヴィル・ブラザーズ『イエロー・ムーン』『ロビー・ロバート
ソン』などで実践し、いずれも成功へと導いていく。とくに80
年代に低迷していたディランはラノワとの出会いによって、第一
線へ返り咲いたという印象が強い。そんなプロデュースと前後し
てラノワは、自身の初ソロ・アルバム『アケディ』を89年にリ
リースし、一躍時の人となった。ルーツ音楽のポスト・モダン化
というか客観視というか、ケイト&アンナ・マクギャリグルが
ラノアと組んだら一体どうなっていたのだろう?という好奇心を
駆り立てるほどだ。原理主義者にはやや抹香臭いサウンドメイキ
ングながら、エミルー・ハリスやウィリー・ネルソンといったカ
ントリーの音楽家がラノアの力を借りながら、評価が分かれるア
ルバムを生み出したのが90年代というワン・ディケイドだった。
何しろ自我の強いあのニール・ヤングでさえ『ラ・ノイズ』をラ
ノワに委ねていたほどだ。それにしても『アケイディ』というア
ルバム表題は、フランスからカナダに入植していったアケイディ
アンのことを思い起こさずにはいられない。その移動する民族が
遥か彼方〜アメリカのルイジアナ州に辿り着いた物語が、まさに
ザ・バンドの「アケイディアの流木」だった。なお最後に蛇足だ
が、ルイジアナ州出身でありながら徴兵を拒否しカナダに亡命し
たジェシ・ウィンチェスターが、時おりフランス語の歌詞を混ぜ
ていたことにも筆者の興味は及ぶ。
by obinborn | 2019-01-10 18:02 | one day i walk | Comments(0)