追悼:ハル・ブレイン
それにしてもハル・ブレインの訃報にはひとつの時代の
終わりを感じずにはいられません。彼の場合はセッショ
ン・ドラマーだっただけに表舞台に立つことはありませ
んでしたが、その分熱心な音楽ファンによって注目され
てきたと言えるでしょう。そんなブレインが影武者とし
て活躍した60年代に於いては、バック演奏が誰それであ
るという興味は殆ど共有される環境にありませんでした。
無論器楽演奏をメインとするジャズの場合は例外でした
が、多くのポビュラー音楽の現場でスポットライトが当た
るのはあくまで主役の歌手/グループであり、ヒット曲
のソングライターやプレイヤーといった裏方に関する情報
は余りに乏しかったのです。ここら辺は日本の歌謡曲や
演歌も同じようなものでしたよね。そんな時代状況のな
か、ハル・ブレインは徹底して”匿名の人”でありました。
ザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」やママス&パパス 「夢のカリフォルニア」と「マンデー・マンデー」のド
ラマーが誰か? なんていう関心は当時全く相手にされま
せんでした。あるいはザ・バーズのドラムス奏者がマイケ
ル・クラークであれば、「ミスター・タンブリンマン」を
叩いているのが彼であり、カレン・カーペンターが歌いな
がらドラムをプレイする人であれば、「雨の日と月曜日は」
のフィルインが彼女だと想像するのは、音楽ファンのごく
自然な姿だったのです。フィル・スペクターのレッキング
・クルーの一員としてキャリアをスタートさせたハル・ブ
レインは、やがてブライアン・ウィルソンやヴァン・ダイ
ク・パークスと接点を持ち、『ペット・サウンズ』や『
ソング・サイクル』といった西海岸ロックの傑作アルバム
に寄与していきます。ここで特徴的なのはいわゆるスモ
ール・コンボでの自己主張という意識ではなく、どちら
かというとオーケストレーションの一環として、歌のスト
ーリーを補完するような役割を果たしているということで
す。そんなブレインの特徴が最もよく現れた演奏がサイモ
ン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」と「ボクサー」
(いずれも69年)だと筆者は感じるのですが、いかがで
しょうか?
今こうして書いている間にも、ハミルトン・ジョー・フラ
ンク&レイノルズの「恋の駆け引き」やアルバート・ハモ
ンドの「カリフォルニアの青い空」でのブレインのドラム
スを思い出し、涙が止まりません。ジョージ・マーティン
がアメリカ(バーネル、ベックレイ、ピーク)を通して、
起用したのもハル・ブレインその人でした。そういう意味
ではポップ音楽の骨格にまだ良きメロディがあった時代に
寄与したのがブレインだったのかもしれません。
by obinborn | 2019-03-12 17:33 | one day i walk | Comments(0)