凡作だった『ロケットマン』
映画『ロケットマン』は結論から言えば凡作だと思います。
自分はチャリを漕いで10分の劇場だったから観てもいいか
なと思い、たまたま行っただけでした。その位始めからあ
まり期待はしていませんでした。つまり有名なアーティスト
の人生を映画という2時間の枠に収めることがそもそも傲慢
なのかもしれませんし、「いや、それを成し遂げることこそ
監督の腕の見せ所だ!」という真逆の意見もあるでしょう。
それでも2時間前後で無理やり起承転結を付け、エルトンの
人となりを解った気になるのは、何かエルトン本人にも申し
訳ないような気持ちがしてしょうがなかったのです。そんな
意味では、こうして家に帰ってきて彼のレコードを聴くほう
が僕は遥かに自由でイマジネイティブになれます。アーテ
ィストの評伝よりも楽曲そのものが好きということかもしれ
ませんし、そう簡単に自分のエルトン体験を成功と挫折のス
トーリーへと収斂させたくないという想いなのかもしれませ
ん。例えばFBに挙げたTiny Dancerは今回の映画にも使用
されていましたが、はしょりにはしょって使われただけに字
幕担当者はかなり雑で、「表通りでは宣教師がわめいている/
『神様のための切符を買いなさい』だとさ/振り返ればあの
娘が笑っている/ならばこのブールヴァードも悪くないね」
という肝心の部分(新興宗教への警戒と実在の彼女のリアル)
が無残にも削がれていました。比べる訳ではありませんが、
こんな安易な使い方であれば、同曲をバンド内で失われた
友情を復活させるべく援用した『あの頃ペニー・レインと』
のシーンの方がずっと心に残るのでした。音楽を巡るイマジ
ネーションとは、つまりそういうものだと僕は思っています。
by obinborn | 2019-08-28 18:32 | one day i walk | Comments(0)