追悼:ドニー・フリッツ
ピーター・ギュラニックの『スウィート・ソウル・ミュージック』によると、ドニー・フリッツは駆け出しの頃「B面のフリッツ」と揶揄されていたとか。なる程ソングライターとしては同じアラバマ・チームのペン=オールダムに比べると無名だったのかも。何しろ向こうにはアリーサのDo Right Woman(この曲はペンとチップス・モーマンの共作だが)という全国区のヒットがある。対してフリッツの場合は組むパートナーがアーサー・アレキサンダーやエディ・ヒントンだった。こりゃちょっと地味ですよね。そんなフリッツだったが、ヒントンと共作した「ベッドで朝食を」がダスティ・スプリングフィールドに取り上げられたことは余程嬉しかったようで、09年の秋にインタビューした時もしきりに強調していた(但し全国ヒットはしていない〜こんなこと取材時には言えないですよね^-)もう一つの勲章はトロイ・シールズと共作したWe Had It Allだろうか。この曲を憧れのレイ・チャールズがカバーしたことを誇らしく話すフリッツの姿が忘れられない。そしてダン・ペンとフリッツが手を携えたRainbow Roadはアーサー・アレキサンダーの代表曲として親しまれたのだった。あるいはトニー・ジョー・ホワイトとともに作ったTake Time To Love(これは名曲!)やSumpin' Funky Going Onも印象深い。同じマスル・ショールズのエリアながら、 フェイムやMSSSではなく、クィン・アイヴィのブロードウェイ・スタジオで録音されたジミー・ブラスウェルやドン・ヴァーナーの持ち歌Hand Shakingは、ヒントン=フリッツ=オールダムが書き下ろしたものだった。かくの如くドニー・フリッツの仕事は基本的に南部一帯に留まるものだったが、人々の記憶にずっと残るものとなった。「僕はまだ10代の頃からアーサー・アレキサンダーと旅をして回った。アラバマはそうでもなかったけど、バーミンガムは人種差別が醜くてね。『おい、お前はなんで黒ん坊なんかと一緒にいるんだ?』なんて言われた。だから僕はこう言い返してやったよ『一緒に音楽をやっているのさ!』ってね」ちょうど10年前にそう語ってくれたドニー・フリッツが28日の朝亡くなってしまった。
by obinborn | 2019-08-29 17:28 | one day i walk | Comments(0)