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追悼:ライル・メイズ


ライル・メイズが亡くなってしまった。長らく闘病生活が続き、
近年はかつて苦楽を共にした盟友パット・メセニーから声が掛
かることもなくなっていたが、この途方もない喪失感は何だろ
うか。ロスアンジェルスで2月10日の朝、息を引き取ったとい
う。享年66歳。マイルズ・デイヴィズやチック・コリアといっ
たジャズの革新者たちがいつしか暗礁に乗り上げ、フリーのイ
ンプロヴァイザーたちが迷宮を彷徨い始めた70年代の後半、そ
れらの流れとは別の地平から、メセニー=メイズの双頭コンビ
(つまりパット・メセニー・グループ)は頭角を現した。いわ
ゆるハードバップやアヴァンギャルドの文脈から解き放たれた
その音楽は新しいと同時に「カントリーな」懐かしさを運び込
むイマジネイティブな要素に満ち溢れていた。そんな二人の
才能にいち早く反応したのがジョニ・ミッチェルだ。74年の
『コート&スパーク』以来貪欲なまでに自らの音楽地図を広げ
ていたジョニだったが、メイズとメセニーを起用したライブ盤
『シャドウズ&ライト』(80年)は、彼女の音楽的な野心が実
を結んだ傑作として知られる。共演者であるジャコ・パストリ
アスやドン・アライエスの姿も今なら映像でしっかりと確かめ
ることが出来る。

メイズの経歴を簡単に振り返っておこう。1953年の11月27日
にウィスコシン州マリネットに生まれた彼は、73年にウィスコ
シン大学を卒業し、ナショナル・ステージ・バンドのインストラ
クターを務めたのち、自身のスモール・コンボを結成。76年に
はウディ・ハーマンの楽団にピアニストとして抜擢された。78
年になるとパット・メセニーと運命的な出会いを果たし、以降
彼のグループの鍵盤奏者として献身的な役割を担った。ビル・
エヴァンスのリリカルな奏法に影響を受けつつも、もう一方で
フランク・ザッパのロックを讃え、ストラビンスキーの現代音
楽に傾倒する自由闊達で広角なプレイヤーであり、コンポーザ
ーだった。

私は80年代に最盛期のメセニー・グループのライブを二度ほど
観ることが出来たが、それは得難い体験だった。メセニーのギタ
ーが空高く飛翔すれば、メイズの鍵盤が春風のように頰を撫でる
といった具合で、いわゆるブラック・ミュージックの語法とは別
の角度から、彼らは80年代のジャズを牽引していった。時に悪口
を言う人もいたし、揶揄する向きもあったが、私は何一つ気にし
なかった。個々に刻まれる音楽体験とはきっとそのようなものに
違いないから。

メイズの故郷ウィスコシン州には今日もカントリーな風が流れ、
草原と戯れていることだろう。


追悼:ライル・メイズ_e0199046_18355950.jpg



by obinborn | 2020-02-11 18:37 | one day i walk | Comments(0)

 

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