矢野さんの訃報を受けてから一方的にゲームセットを告げられたような、突然一人置いてきぼりにされたような、モヤモヤとした日々が続いている。まだ付き合いの浅い僕ですらそうなのだから、バンド・メンバーや同じ会社の仲間、そして古くから彼と親交があった方々の気持ちは察するに余りあるだろう。
今ふと思い出すのは、昨年の6月末に矢野さんから暫くぶりにメールを貰った時のことだ。その時はこんな自分にも彼が心を開いてくれたことが嬉しかった。
そこには彼が不運にもコロナに罹り短期の入院をしたこと、幸いにも比較的軽症で済み、今はもう退院している旨が書かれていて、癌で闘病中にもかかわらず原稿を書いている僕から元気を貰っています、とまで報告してくれたのだが、同時にコロナのような感染病は無自覚のまま他人を巻き込んでしまうからこれからも心配だ、しばらくは練習スタジオに入るのが怖い...とも告白していた。
その時の僕は彼に対してコロナを心配する気持ちは解るけど、リスクゼロを考え始めたらキリがないよと慰め、自分の方からメールを打ち切ってしまったのだが、あの時矢野さんが発していたであろう切実なシグナルにどうしてもっと真剣に向き合わなかったのだろうか、と後悔している。
それからのバンド活動が困難を極めたことは、相次ぐライブの中止や延期の知らせが端的に物語っていた。人一倍神経が細やかな矢野さんにとって、皆んなが楽しみに待っているライブのキャンセルもまた大きなプレッシャーとなり、気持ちを追い詰める要因になってしまったことだろう。
ある人たちはコロナなんかあまり気にするなという。あれはもうインフルエンザ並みの現象なんだからともいう。確かに今の偏った報道は自分も酷いと思う。ただコロナがいろいろな形で人々の暮らしに入り込み、じわじわと心を浸食してしまうのもまた事実なのだ。コロナに罹ったことで心身を病み、亡くなってしまった矢野さんを想うと、胸が張り裂けそうになる。