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追悼:Shimeさんへ

入院中に知ったshimeさんの訃報は辛かった。彼と同じく癌に冒された身としては、一人取り残されてしまったような寂しさを感じてしまった。僕がテキーラ・サーキットやブロークン・アッシェスのライブを観ていたのはもう23年くらい前のことで、近年はすっかりご無沙汰していた。そんなある日、shimeさんのほうからfbのフレンズ申請があり、しかも「はじめまして。私はshimeという歌うたいの者です」と丁重な挨拶文があったのには驚いてしまった。こういう些細な部分に人気者にもかかわらず、決して驕り高ぶらないshimeさんの人柄が現れていた。
その申請の直後くらいの時期からまず僕の病が発覚し、彼が後を追うように闘病生活に入っていった。一度だけ僕は彼のページで「今や成人の二人に一人が癌になる時代だけど、その分現代の医療は飛躍的に進歩している。だから希望を持って治療に臨んでください」と、およそそのような励ましのコメントを書いた。残念ながらshimeさんからの返信はなかったけれど、それどころの事態ではないのかもしれないな、と察するようにした。時と場合によって、とても返信を書くような気分になれないのは誰だって同じだ。時に言葉は無力であり、誰かを傷付ける。
さて、ここからは手前勝手な想像に過ぎないのだが、ひょっとしたらshimeさんは熱心なファンや取り巻きではない僕に、第三者の目と耳を通して、自分の音楽を書いて欲しかったのかもしれないなと、ふと思った。今の僕がきみのことを書くとすれば、たぶん次のようになるだろう。
shime自ら言うところの"歌うたい"という言葉が、いい歌であれば新旧を問わず、生まれた国を選ばず、曇りのない眼で歌い継いできたshimeの道筋をはっきりと指し示している。彼が愛したのは全国各地に点在するライブハウスのシーンだった。そんな旅先で育まれるファンとの交信を大事にしながら、彼は多くの聞き手たちから愛された。こんな幸せ者はそうはいないだろう。きみが愛したニール・ヤングのlong may you runは、もはやきみ自身の歌になっているよ。
今朝僕は退院する。本当の意味での闘病生活はこれからだ。志半ばのまま逝ってしまったshimeさんの分も、しっかり生きて音楽を語り継いでいきたい。そう、あなたがこれまで歌ってきたように。

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by obinborn | 2022-03-25 11:41 | one day i walk | Comments(0)  

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