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『ドライブ・マイ・カー』に関するメモその2

『ドライブ・マイ・カー』について昨日書き忘れたことを幾つかメモしておきたい。まず第一に3時間という上映時間の長さについて。何でも濱口監督は当初慣例的な120分枠に収めるように言われていたらしいが、ロケを進めていく段階で必然的に3時間超えになってしまったという。恐らくこれは車で移動する距離を映画を観る者にそのまま擬似体験してもらうことを目指してのことだと思う。また車に乗っている時間とは即ち長く険しい人生の道のりでもあるといった暗喩であり、実際車の中で交わされる家福と高槻、あるいは家福とみさきとの会話から煩悶や相互理解が生まれている。
次に映画と同時進行する劇中劇について。日韓中と3カ国の役者が言語が異なるままに一つの劇を演じているのだが、これは皮肉にも家福の妻(音)が不実をしていても保たれた夫婦関係と重なる。もう少し肯定的な見方をすれば、たとえ言語が違ってもアートという意思疎通は可能であるといったメタファーが込められているのかもしれない。
いずれにしても家福という中年男が娘ほども歳が離れた運転手みさきとの出会う点が『ドライブ・マイ・カー』の生命線だろう。そこには一人で抱えていた傷口が第三者を介在させることで共有され、浄化されていくといった人生の真実がある。アカデミー賞という権威や浮ついた評判などどうでもいい。私たちは皆時間という名の孤独な漂流者であり、見せかけや体裁ではなく、内なる声に耳を澄ませる者だけが最後に救済されるのだ。『ドライブ・マイ・カー』が問い掛けてくるのはそういうことだ。自分の車を運転しなさい、と。

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by obinborn | 2022-03-31 04:59 | one day i walk | Comments(0)  

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