遥かに、清志郎へ

RCのライブを最初に観たのは80年の11月。江古田にある
武蔵大学の講堂だった。ライブ・アルバム『ラプソディ』
が発売されたのが同年の6月だったから、まさにブレイク
寸前の出来事だった。清志郎がMCで10月に発売されたば
かりのシングル「トランジスタ・ラジオ」を「新曲です!」
と紹介しながら歌い始めたことが忘れられない。翌年にな
ると日比谷野音を満員にし、やがて武道館公演へと漕ぎ着
けるほど彼らの人気はうなぎ登りになっていったが、その
少し前には学園祭に出演する”ちょっとした仲間”に過ぎな
かったのである。フォーク・トリオ時代のRCを知っていた
僕にとって、彼らのロック・バンドへの変貌とグラム・ロ
ック風の奇抜なメイクは衝撃だった。それでも「エンジェ
ル」のようなバラードは、かつての「甲州街道はもう秋な
のさ」や「ヒッピーに捧ぐ」を自然と思い起こさせた。ま
たロックといっても、RCの場合はメンフィス・ソウルのミ
ッドテンポを基調にしていた。パンクのファストなビート
とは最初から規範が違っていた。そのミッドなグルーヴに
満ちた「きみが僕を知ってる」が好きだった。”女と寝てい
る奴より気持ちいい”というロック賛歌「気持ちE」の強が
りの向こうに、無口な青年の姿が覗いていた。

あれはいつのことだっただろうか。一度だけ国分寺の駅を
降りて、多摩蘭坂を訪れたことがある。確か夏の暑い日だ
ったと記憶する。空は澄み渡り、風が爽やかに頰を撫でる
午後だった。清志郎が見ていた風景をどうしても自分の目
で確かめたかった。周りの草いきれの匂いを感じたかった。
歩いてみると何の変哲もない通り道だったが、それ故に彼
が拾い集めたイメージの断片が浮かび上がり、刺さった。

音楽家の縁の土地を訪ねて涙を隠したのは、その時が初め
てのことだった。


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# by obinborn | 2018-06-23 19:02 | rock'n roll | Comments(0)  

『ペット・サウンズ』再び

鹿と戯れるこのジャケットをパロディにしたアイドル・
グループの作品を見かけたことがある。念には念をとい
うことだろうか、アーティストとタイトルの文字フォン
トまで精巧に似せたそれを眺めながら、『ペット・サウ
ンズ』が発売された1966年から随分と時間が経ってし
まったことを知らされた。

あまりに語られ過ぎたアルバムであり、そこに付記すべ
きことはもう殆ど残されていない気がする。しかし、彼
らも当時はいわゆるアイドル・グループだったことを覚
えておきたい。ジャケットを裏返すと侍に扮したメンバ
ーの写真が目に入ってくる。こうした無自覚さと実際の
音楽との落差にビーチ・ボーイズ、つまりリーダーであ
ったブライアン・ウィルソンが置かれていた当時の混沌
とした状況を伺い知ることができる。

音楽自体がロック・バンドのフォーマットを離れ、オー
ケストレーションを用いたシンフォニックな響きを重視
している。ニール・ヤングが脚本を手掛けた映画『過去
への旅路』に使用されたLet's Go Away For Awhileなど
最たるもので、歌詞に邪魔されないインストゥルメンタ
ルの作品だけに、かえって抽象的な美しさを増した。

ニール・ヤングといえば、彼がスティルス・ヤング・バ
ンド時代に作ったLong May You Runには、ブライアン
の独白とも言うべきCaloline Noのフレーズが挟まれてい
た。旧友であり同じバンド・メイトだったスティーヴン・
スティルスに向けて、ニールは「きみも長い時間を駈け
抜けてきたんだね」と語り掛け、労わりの感情を表す。
そこに被さってくるのが、まさにCaloline Noのメロディ
であり、かつては犬猿の仲と噂されたニールとスティー
ヴンの溝を埋めるかのようなドラマを想像させた。

何やら『ペット・サウンズ』本体というよりは余談が中
心になってしまったが、上記のような物語を恐らく聞き
手の数だけ生み出したという点でも、時間という試練を
乗り越えた素晴らしいアルバムだと思う。

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# by obinborn | 2018-06-21 04:07 | one day i walk | Comments(0)  

RADWINPSの「HINOMARU」に思う

無数のものを束ねる国歌や国旗といった”象徴"は
高揚感を促す。その一方で負の感情を呼び覚ます。
若い人は知らないだろうが、昔沖縄国体で日の丸
が何者かによって焼かれるという事件があった。
またジミ・ヘンドリクスが歪んだトーンで奏でた
「星条旗よ永遠なれ」も忘れることが出来ない。
いずれも国家への何かしらの抗議だった。

RADWINPSの「HINOMARU」にはそうした葛藤
がない。作者は「政治的な意図はありません。左で
も右でもなく、みんなが一つになれる歌を作りたか
った」とコメントしているが、果たしてロック音楽
はいつから「みんなが一つになる」ための道具にな
ったのだろうか?

自分の国を慈しみ、生まれた故郷を大事にする。そ
のことに異議はない。だがこの「HINOMARU」は
作者の意図を超え、もっと大きな物語へと収斂して
いく。ヒロイックな歌い方といい、静から動へと劇
的に盛り上がる編曲といい、少なくともこの歌には
声を持てない人たちの声を聞き取ろうとする姿勢は
感じられない。危うい時代の危なっかしい歌であり、
排外主義や国威発揚の場にいつ利用されるかも解ら
ない。そう、かつてブルース・スプリングスティー
ンが作ったヴェトナム帰還兵の独白「アメリカ生ま
れ〜Born In The U.S.A」が、レーガン大統領によ
って曲解されてしまったように。

「みんなが一つになる」なんてまっぴらゴメンだ。
君たちが勢いよく拳を振りかざすのなら、私は顧み

られない一粒の石になるだろう。


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# by obinborn | 2018-06-15 04:23 | rock'n roll | Comments(3)  

6月10日はロッキン・アフタヌーンでした!

今日はロッキン・アフタヌーンのギグ&DJでした。
ロス・ロイヤル・フレイムズ、ザディコキックス、
ザ・ハート・フロム・ア・スタングのバンドの皆さん、
二見潤さん、knittersさんのレコード・セレクター、
そして何よりも来てくださった方々、主催されたHさん、
ありがとうございました!私は30分ほど回させて頂き
ました。以下プレイリストです。

*    *    *

James Brown&theFamous Flames/Night Train
The Carter Brothers/Southern Country Boy
Spencer Bohren/Straight Eight
Electric Bluebirds/Alligator Man
Dave Edmunds/Louisiana Man
Charles Man/Walk of Life
Gary U.S Bonds/Jole Blon
Steve Jordan/Why Can't Be A Friends?
Clifton Chenier/Bon Ton Roulet
Fats Domino/Be My Guest
Fats Domino/I'm Gonna Be a Wheel Someday


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# by obinborn | 2018-06-10 22:14 | one day i walk | Comments(0)  

トランプ政権時代のブルーズ〜ライ・クーダー『放蕩息子』を聞いて

ライ・クーダーの新作『The Prodigal Son〜放蕩息子』
が素晴らし過ぎます。2012年の前作『Election Special
〜選挙特報』は力感漲るアルバムだったけど、今回も予想
を大きく上回る出来栄え。個人的にはまるで前作と地続き
のような逞しい印象を受けました。すなわち労働者や非正
規雇用者(私なんか日雇いワーカーですよw)など社会的に
弱い立場の人間の側に立ち、初期を思わせるシンプルなブ
ルーズ、ゴスペル表現のなかでテーマを際立たせています。

60年代にスタジオ・ギタリストとして多くのセッションを
こなし、70年にソロ・デビューしてからは実り豊かな時代
を過ごし、80年代には映画音楽へと視野を広げた。90年代
にはブエナ・ベスタに象徴されるようなワールド・ミュージ
ックとの接点を持ち、以降はややコンセプトを優先させたア
ルバムを紡いだ。今までのライの歩みをざっくり振り返って
みると、そんな印象を受けますよね。

無理な音楽的越境がないことが『放蕩息子』の生命線ではな
いでしょうか?ヴォーカルにしてもギターにしてもごく自然
体であり、未知の音楽に誘ってやろうという”さもしさ”より、
プリミティブな社会的な動機が音楽の大きな背骨になってい
ます。

もともとライは30年代や40年代の不況時代に歌われたブルー
ズやフォークに共感を寄せた人でした。たとえ自分の印税に
結びつかなくとも、そのような古く埋れた曲をメジャー・フィ
ールドで展開したところが画期的でした。そのことを振り返っ
てみると、今回の『放蕩息子』で彼が再び原点に立ち戻ろう
とした姿勢が、ごく自然な回帰に思えてなりません。

恐らく『放蕩息子』はトランプ政権時代に生まれた鬼っ子的
なブルーズなのでしょう。「神様とウディ・ガスリー」には
こんな歌詞が出てきます「ねえ、ガスリーのTHIS LAND IS
YOUR LANDを歌っておくれ。やがて専制君主は失脚するだ
ろうね。ガスリーさん、あなたは夢見る人だった。そして私
もまたこの社会を良くしようとしているドリーマーなんです」

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# by obinborn | 2018-06-04 20:06 | one day i walk | Comments(0)  

6月3日の木下弦二

3日は木下弦二のソロ・アコースティック・ライブを高円寺
のペリカン時代にて。自ら書いた東京ローカル・ホンクの曲
から荒井由実や吉田拓郎のカバーまで、全29曲をたっぷり歌
ってくれた。ひと言で弾き語りと言っても、彼の場合はジョ
アン・ジルベルトやカエターノ・ヴェローゾに連なるような
リズムのさざ波や和声感覚に長けていて、周りの空気を震わ
せる。その一方でジョン・レノンやジミ・ヘンドリクスを思
わせる語彙もあり、様々なバックグラウンドがあることを感
じさせる。生まれ持った才能を自覚し、その澄んだ水を涸ら
さないよう修練を重ねながら、この人は歌を届ける。柔らか
いヴォイシングとなだらかなメロディの輪郭に、この夜もま
た惹き付けられた。

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# by obinborn | 2018-06-04 16:44 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

映画『I AM THE BLUES』を観て

28日は新宿のK'sシネマにて、ダニエル・クロス監督のドキュ
メンタリー映画『I AM THE BLUES』を鑑賞した。昨年公開
された『約束の地〜TAKE ME TO THE RIVER』がソウル音楽
の伝承をテーマとしていたのに対し、今回はブルースそれもル
イジアナ・バイユー一帯に生息するかなりマイナーな音楽家た
ちに焦点を絞るという超マニアックぶりだ。また『約束の地』
が辛うじて未来への架け橋を物語っていたのに対し、本作はど
こまでもダークな死生観を描いているのが対照的。アフリカン
=アメリカンの終着駅としてブルーズを着地させるというイン
テリ的な視点ではなく、アメリカ深南部の日常、つまりクロウ
フィッシュ釣りや、どこまでも続く綿畑、あるいは各地に点在
するジューク・ジョイントやチトリン・サーキットを生活の糧
とするワンナイト・スタンドのブルースマン達を、クロス監督
は生々しく、しかし抑制されたタッチで鮮やかに描き出す。

基本的には今も現役で活躍するボビー・ラッシュを語り部に据
えながらおよそ120分が進行してゆく。今宵のショウのギャラ
ンティに納得しないラッシュを見兼ねたエージェンシーが「今
からATMで全部下ろしてくるよ」と渋々了解するひとコマから、
レイジー・レスターのハーモニカの息遣い、バーバラ・リンが
奏でる左利きギターの高揚(SO GOODに、YOU'LL LOSE A
GOODTHING)まで臨場感がたっぷり。小ネタでいえばエク
セロ・レーベルの知られざるシングル盤が男女の邂逅の伏線と
なっていたり、サニー・ボーイの”乞食ジャケット”が写し出され
たり、ロバート・ウィルキンスの「放蕩息子〜Prodical Son」
が、毎日の生活のなかごく自然にセッションされていたりと、
見所は多数あり。

どうしても私たち日本人はブルーズに対して音楽のスタイルと
して入門してしまう。しかし、それらとは全く異なる暮らしが

ブルーズの生命線だ。思えばラッシュにせよ、レスターにせよ、
リンにせよ、21世紀まで生き残ったブルーズ音楽の生き証人だ。
また、映画が撮影されている間に亡くなってしまったバド・ス
パイアーズもいる。いわばこの映画『I AM THE BLUES』は、
滅びゆくブルーズ音楽に思いを込めた置き手紙なのだと思った。

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# by obinborn | 2018-05-28 18:12 | blues with me | Comments(0)  

ニール・ヤング『ROXY:TONIGHT'S THE NIGHT LIVE』を聞いて

ニール・ヤングが75年にリリースした『今宵その夜』は、
熱心なファンには到底忘れることの出来ないアルバムだ。
ドラッグで亡くなった二人の友人、つまりローディのブル
ース・ベーリーとクレイジー・ホースのギタリストだった
ダニー・ウィットンを偲んで作られたというその作品は、
何でも73年のある夏の夜にニールとバンドがベロベロに
なるまでテキーラを飲み、ふとした思い付きでハリウッド
のリハーサル・ルームDで行ったライブ演奏を中心に構成
されていた。録音から発売までに2年もの間隔が開いてし
まったのは、あまりにプライヴェイト過ぎるという理由で
レコード会社がリリースを渋ったためだが、”個人的”な
アルバム故に、人々から長らく記憶されるものとなった。

そんな『今宵その夜』のセッションをライブの場で実践し
直したのが今回新たに発掘されたアーカイヴ音源『ROXY
:TONIGHT'S THE NIGHT LIVE』だ。CDのデータでは73
年の9月20、21、22日の三日連続公演から抜粋したと記さ
ているから、あの”酔っ払いセッション”からあまり間髪を
置かずに実践されたライブだった様子が伺える。

ラフでルーズな演奏はロキシーのライブでもまったく変わ
らず、実に自然体なニールと彼のバンドの魅力を捉えてい
る。つまり完成度を目指すのではなく、コマーシャリズム
に走るのでもなく、今一番歌いたいことを歌うという一貫
した姿勢である。サンタ・モニカ・フライヤーズと命名さ
れたここでのバンドは、ビリー・タルボットとラルフ・モ
リーナというクレイジー・ホースのリズム隊に、ペダル・
スティールの名手ベン・キースとグリン出身のニルス・ロ
フグレンを合体させた編成で、四人ともに以前からニール
とは親しい間柄だ。とりわけニルスの掻きむしるようなリ
ード・ギターが生々しい。

「ハイスクールに通っていた頃のように/あの無邪気な日々
に戻りたい/そう川辺を下って/ズボンの小銭をチャラチャラ
鳴らしながらね」と歌われるMELLO ON MY MINDの懇願
がとりわけ染みる。「気休めに映画でも観よう」といった
内容のSPEAKIN' OUTでは、穏やかな描写だけにかえって
主人公の孤独が浮かび上がってくる。「その疲れた眼を開け
ておくれ」と死者に訴えるTIRED EYESには、涙の一つや
二つが溢れ落ちてくる。そして74年の『渚にて』に収録さ
れることになった終曲WALK ONで、やっと朝日が立ち昇
ってくる。故人たちへの弔いが終わり、再び歩いていかなけ
ればならないことを人は知る。


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# by obinborn | 2018-05-23 17:10 | rock'n roll | Comments(0)  

ニール・ヤング『ROXY:TONIGHT'S THE NIGHT LIVE』を聞いて

ニール・ヤングが75年にリリースした『今宵その夜』は、
熱心なファンには到底忘れることの出来ないアルバムだ。
ドラッグで亡くなった二人の友人、つまりローディのブル
ース・ベーリーとクレイジー・ホースのギタリストだった
ダニー・ウィットンを偲んで作られたというその作品は、
何でも73年のある夏の夜にニールとバンドがベロベロに
なるまでテキーラを飲み、ふとした思い付きでハリウッド
のリハーサル・ルームDで行ったライブ演奏を中心に構成
されていた。録音から発売までに2年もの間隔が開いてし
待ったのは、あまりにプライヴェイト過ぎるという理由で
レコード会社がリリースを渋ったためだが、”個人的”な
アルバム故に、人々から長らく記憶されるものとなった。

そんな『今宵その夜』のセッションをライブの場で実践し
直したのが今回新たに発掘されたアーカイヴ音源『ROXY
:TONIGHT'S THE NIGHT LIVE』だ。CDのデータでは73
年の9月20、21、22日の三日連続公演から抜粋したと記さ
ているから、あの”酔っ払いセッション”からあまり間髪を
置かずに実践されたライブだった様子が伺える。

ラフでルーズな演奏はロキシーのライブでもまったく変わ
らず、実に自然体なニールと彼のバンドの魅力を捉えてい
る。つまり完成度を目指すのではなく、コマーシャリズム
に走るのでもなく、今一番歌いたいことを歌うという一貫
した姿勢である。サンタ・モニカ・フライヤーズと命名さ
れたここでのバンドは、ビリー・タルボットとラルフ・モ
リーナというクレイジー・ホースのリズム隊に、ペダル・
スティールの名手ベン・キースとグリン出身のニルス・ロ
フグレンを合体させた編成で、四人ともに以前からニール
とは親しい間柄だ。とりわけニルスの掻きむしるようなリ
ード・ギターが生々しい。

「ハイスクールに通っていた頃のように/あの無邪気な日々
に戻りたい/そう川辺を下って/ズボンの小銭をチャラチャラ
鳴らしながらね」と歌われるMELLO ON MY MINDの懇願
がとりわけ染みる。「気休めに映画でも観よう」といった
内容のSPEAKIN' OUTでは、穏やかな描写だけにかえって
主人公の孤独が浮かび上がってくる。「その疲れた眼を開け
ておくれ」と死者に訴えるTIRED EYESには、涙の一つや
二つが溢れ落ちてくる。そして74年の『渚にて』に収録さ
れることになった終曲WALK ONで、やっと朝日が立ち昇
ってくる。故人たちへの弔いが終わり、再び歩いていかなけ
ればならないことを人は知る。


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# by obinborn | 2018-05-23 17:10 | rock'n roll | Comments(0)  

カシムラくんを追悼する:その2

カシピーの姿を最初に見たのは確か2008年頃だったと思う。
カウボーイズが沼袋の美容院!でライブをやった時にハーモ
ニカで客演したのがカシピーだった。通常のハコではなかっ
たことがかえって印象を深めたのかもしれない。彼は本番中
からビールをがんがん飲み、赤ら顔になって機嫌良く吹いて
いた。ドラムも現在の植村さんに変わる以前で、東野りえち
ゃんが叩いていた時代のことだ。もう10年前の話なので当日
のことはよく思い出せないけれど、ステージ終盤にクリーデ
ンスの名曲LODIを演奏したことは今でも鮮やかに覚えている。
僕の記憶が正しければこの夜にハルさんがカシピーを紹介して
くれたんじゃないかな。

そんなことを反芻しながらクリーデンスの『GREEN RIVER』
をレコード棚から引っ張り出してきた。BORN ON THE BA
YOUの焼き直しとも言えるGREEN RIVERに始まり、レイ・
チャールズのTHE NIGHT TIME IS THE RIGHT TIMEに終わ
る69年のアルバムで、LODIはB面の2曲めに収録されていた。
これは各地を往来する旅人のロード・ソングであり、「おお、
LODI、また道の真ん中で故障しちまったぜ」というフレーズ
が図らずもアメリカ各地をツアーするジョン・キャメロン・
フォガティの心情を捉えていた。この曲がダン・ペン、ブル
ージャグ、エミルー・ハリスらによって広くカバーされてき
た理由も、きっとそんな孤独感ゆえに違いない。そしてカウボ
ーイズのヴァージョンが加わった。これほど勇気付けられる
ことはない。顔を真っ赤にしながらカシピーはハーモニカを
吹いていた。

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# by obinborn | 2018-05-06 11:26 | Comments(0)  

さようなら、カシピー

カシピーという愛称で親しまれたハーモニカ奏者、カシムラ氏
が亡くなってしまった。近年はずっと闘病生活をしていた彼だ
が、遂に力尽きた。オイラがカシピーを知ったのは、東京アン
ダーグラウンド永遠の風雲児であるハル宮沢さんに紹介しても
らったからだ。ハルさん率いるコスモポリタン・カウボーイズ
のライブに客演し、楽しそうに吹いていたカシピーの姿が忘れ
られない。その後もオイラが出したパブロックの本を褒めてく
れ、去年行われたバブロック・ナイトに行きたいという旨を書
いてくれたのだが、結果それが最後の”会話”になってしまった。
けっして濃密な付き合いとは言えなかったが、こんなオイラを
気に留めてくれたことがすごく嬉しかった。オイラもいつの日
か、君のいる天国に行くようになるだろう。それが10年後にな
るのか、あるいは半年後なのかは誰にも解らないけれど、その
時はいっしょに音楽を語り合おうぜ、カシピー。幾つかの心温
まる日々とともに、いま君のことを思っている。合掌。

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# by obinborn | 2018-05-06 09:54 | rock'n roll | Comments(0)  

映画『さすらいのレコード・コレクター』を観て

2日は新宿のK'sシネマで『さすらいのレコード・コレクター』
を観てきた。主人公のジョー・バザードはメリーランド州に
暮らす初老の男で、ブルース、ブルーグラス、ヒルビリーとい
った戦前の音楽にしか興味がない。何しろロバート・ジョンソ
ンが最後にいいと思えたブルースであり、娘が買ってきたジョ
ン・レノンのレコードをフリスビーにして飛ばしてしまったと
いう偏屈な男である。その代わりにジョーが10代の頃からアメ
リカ各地を回って集めてきたSPレコードのコレクションは2万
を超える膨大な量で、幾つかの再発レーベルに音源を提供して
きた功績も計り知れない。

そんな男の独白が『さすらいのレコード・コレクター』だ。原
題であるDESPERATE MAN BLUES(極端な男のブルース)が
示すように、その収集癖やレンジが決して広いとは言えない音楽
観には賛否両論あるだろう。少なくとも70'sロックを研究してい
る僕とは全く相容れない世界のありようだ。それでもこの映画
が共感を呼ぶのは、たとえ世間の流行がどうであれ、己の道を信
じて歩む男の姿が克明に描かれているからだろう。本職は決して
明かされないものの、同じコレクター仲間だった妻に先立たれた
ことを終盤で告白し、食事を作る手間を省くために町の簡素な
レストランで日々の空腹を満たすジョー・バザードの姿が明かさ
る。SPのお宝があると情報を聞きつけたわりには、さほどの成果
が上がらなかった黒人の家庭にも感謝の言葉を忘れない。まさに
レコード・コレクターの鑑のような人だ。一番好きなカントリー
・マンはジミー・ロジャーズとか。そしてロニー・ジョンソンに
サンハウス、あるいはチャーリー・パットンが生きた日々へと、
ジョーは今日も思いを馳せる。

白眉はポール・ジェレミアがハザードの自宅を訪れる場面だろう
か。僕がデイヴ・ヴァン・ロンク以上に敬愛する白人のブルース
・リヴァイヴァリストがジェレミアなのだが、彼ら二人が演奏家
と収集家という立場を超えて、愛するブラインド・ブレイクを語
り、歌い、微笑みを交わしていく様が脳裏から離れない。


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# by obinborn | 2018-05-02 17:09 | blues with me | Comments(0)  

4月27日のサーディンヘッド

音の粒子が降り注ぐ夜だった。そのひとつひとつが繊細であり、
骨太であり、山あり谷ありの楽曲のなかで一枚の大きな絵を描
き出す。そんなサーディンヘッドのライブを27日は下北沢のrp
mにて。複雑な構成を伴った変拍子の嵐もあれば、綺麗なメロ
ディが浮かび上がってくる場面もある。そんな変幻自在のサウ
ンドスケープに時の経つのを忘れた。

誰もいない放課後の教室で、一人ギターを抱えた青年がいる。
無口な彼は思うように言葉を発することが出来ない。そう、例
えば自分のこれまでのことや、これからのことに関して。それ
でも彼はギターを弾き出す。幾多のジーニアスたちの演奏に慄
きつつも、いつしか自分の語法を身に付けて。


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# by obinborn | 2018-04-28 06:57 | one day i walk | Comments(0)  

リヴォン・ヘルム「もし自由を感じられたらどんなにいいことだろう」

6年前の今頃、再来日したデヴィッド・ブロムバーグはステージ
からこう呼び掛けた「リヴォンが亡くなったらしい...」と。そん
な断片をまるで昨日のことのように思い出している。そう、今日
はリヴォン・ヘルムの命日だった。彼にとって最後のスタジオ・
アルバムとなってしまった『ELECTRIC DIRT』(Vanguard 09
年)を聞いている。一曲めがガルシア=ハンター作のTennessee
Jedだったことが面白い。というのもリヴォンは最初デッドのよう
なヒッピー・ロックを毛嫌いしていたから。そんな彼はこう打ち
明けている「何だ、音楽の根っ子は俺らザ・バンドと一緒だったん
だね」と。そんなエピソードを反芻しながら、Tennessee Jed
が鳴り出し、以下ステイプル・シンガーズ、ハッピー&アーティ・
トラウム、マディ・ウォーターズ、カーター・ファミリー、ランデ
ィ・ニューマンと連なっていくカバー曲が、計らずともリヴォンの
広範な音楽地図を物語っていく。アルバムの最後に置かれたのは、
ニーナ・シモンの名唱で知られるI Wish I Knew How It Would
Feel To Be Freeだ。かつては公民権運動を背景にして歌われた
「もし私が自由を感じることが出来たらどんなに素敵かしら」と
いう歌詞が、時と場所を変えて、リヴォンの白鳥の歌になった。

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# by obinborn | 2018-04-19 17:09 | one day i walk | Comments(0)  

4月8日の東京ローカル・ホンク

どんなに勇ましい言葉よりも、遥かに染み渡る音がある。それら
がまるで木霊のように広がっていきました。ホンク、いつもあり
がとう!


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# by obinborn | 2018-04-09 01:05 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

サーディンヘッドの鰯釣りに行ってきました!

大きく真っ白なキャンバスがあって、そこに自由な絵を描いて
いく。一筆書きのような大胆な線があるかと思えば、水彩画の
ような繊細さに満ちたラインもある。そんなロック・カルテッ
ト、サーディンヘッドのライブを6日は下北沢のラウンにて。
そこにはブルーズの解体があり、ファンクの応用があり、とき
にジャズ・イディオムに向き合うフリーなインプロヴィゼーシ
ョンの応酬がある。緻密であると同時に自由奔放なサーディン
の”鰯釣り”はこの夜も実にフレッシュだった。

「鍵盤奏者がいない分、僕たちは和声に関して自由になれるの
かもしれません」一部と二部との間の休憩時間にベース奏者の
湯浅さんはそんなことを語ってくださった。僕は楽器を弾けな
いので音楽理論に関することはよく解らないけれども、彼が言
わんとすることが、壮大でイマジネイティブな音の束となって
降り注ぐ得難い夜になった。サーディン!君たちは何てイカし
ているのだろう!

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# by obinborn | 2018-04-07 06:06 | one day i walk | Comments(0)  

佐野元春&ザ・コヨーテ・バンド、『Maniju』ツアー最終日に寄せて

瑞々しい情感に満ちた新作『Maniju』を携えた佐野元春&ザ
・コヨーテ・バンドのツアー最終日を1日は東京ドーム・シテ
ィ・ホールにて。コヨーテ・バンドの剥き出しのギター・ロ
ックは若々しく、佐野が過去率いてきたザ・ハートランドや
ホーボー・キング・バンドに比べると荒削りであり、ときに
アメリカのオルタナティヴ・ロックを彷彿させるほどだが、
そのザラついたサウンドスケープのなか、メロディの輪郭が
しっかり浮かび上がり次第に高揚していく様が、もう圧倒的
に彼らしい。

歌詞カードを読む限りでは一見ありきたりな言葉たち。それ
が確かなバンド・サウンドを伴いながら立体的になっていく。
もしロック音楽に最大の武器があるとすれば、まさに佐野元
春は37年間に亘ってそれを実践してきた。しかも彼の場合は
とかく内輪向きになりがちな趣味の世界を善とせず、私たち
が普段見ている街の景色や人々の群像を鮮やかな絵の具で塗
り換えてみせた。たとえ困難な時代であっても、標語やプラ
カードを掲げるのではなく、もっと幾多にも広がっていく想
いを大事にしてきた。

幾多の気持ちが渦巻く春の帰り道、私は道端の名もない若葉
にふと足を止めてみた。


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# by obinborn | 2018-04-01 23:30 | rock'n roll | Comments(0)  

キース・リチャーズの背骨

キースのTALK IS CHEAPがリリースされたのは88年の10月だか
ら、恐ろしいことにもう30年近くが経とうとしている。池袋のオ
ンステージ・ヤマノに輸入盤が入荷したその日に購入し、何故か
すぐ家に帰らず、誰かと飲んで終電を逃した私はトボトボと線路
をひたすら歩き江古田まで帰ったっけ。途中で深夜の路線工事をし
ている作業員たちにからかわれたことまでよく覚えている。私は
まだ30歳になったばかり。結婚して二年目か、いやあ〜、若かっ
たですね。当時のストーンズはミックとキースの不仲がもはや修
復不可能とまで伝えられ、ファンは随分と心を痛めていた時期だ。
当時の新作『DIRTY WORK』にしてもあまり覇気が感じられない
アルバムで、ボブ&アールのカバー「ハーレム・シャッフル」は
イカした出来だったが、他の曲で印象に残っているものは少ない。
ミックとキースの喧嘩の原因は、ストーンズでの活動をないがしろ
にしていち早くソロ活動に乗り出したミックに対し、キースが怒り
心頭だったこと。またミックのソロ作がナイル・ロジャーズ制作の
ダンス・ポップ音楽だったことが、どこまでもルーツ音楽を愛でて
きたキースの逆鱗に触れたに違いない。このTALK IS CHEAP(語
るに落ちる)は、そんなミックへの返答と受け止められた。本作に
ある剥き出しの粗野なロックンロール、バニー・ウォーレルを迎え
たPファンク、あるいはアル・グリーンを彷彿させるメンフィス・
ソウルなどを聞いていると、キース・リチャーズという人の背骨が
しっかりと見えてくる。時代の流行に左右されないことがいかに大
事かを、他ならない音それ自体として実感させられる。加えてあの
全米屈指のバー・バンド、NRBQのジョーイ・スパンピナートのア
ップライト・ベースを起用して、ロックンロール初期の4ビートの
ニュアンスを実践したりと、今なお聞きどころは多い。長年連れ沿
った夫婦にすれ違いが起きるように、88年のミックとキースはそん
な時期だったのかもしれない。二人の修復に向けてキースはこんな
言葉を口にしている「いいかいミック、よく聞けよ。俺たちはマド
ンナでもマイケル・ジャクソンでもない。俺たちはローリング・ス
トーンズなんだぜ!」

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# by obinborn | 2018-03-29 18:00 | rock'n roll | Comments(1)  

そして中村まりは今日も歌う

私は例に漏れず二十歳前後の頃、最初ジョン・メイオールとエ
リック・クラプトンの”ビーノ”アルバムでブルーズ音楽に目覚め
たクチでして、多くの方々がおっしゃるようにブルーズ=ギター
という捉え方をしていました。マイク・ブルームフィールドの『
フィルモアの奇蹟』やクリームの『ライブ・クリームvol.2』を狂
ったように聞きながら、次第に本物である黒人アーティストたち
を追いかけていきましたが、それでも最初はバディ・ガイやオー
ティス・ラッシュのスクイーズ・ギターばかりに耳が奪われたり
...といった日々がしばらく続きました。

ところが、やがていつの日か疲れてしまったんですね。自分の耳
がそれなりに成長してきたこと、あるいは私が楽器を弾かない人
だったこともきっと関係するのでしょう(笑)それからは次第に
歌とギター(もしくはその他の楽器)とが連携し、互いに補完し
合うようなバンド・アンサンブルに心奪われていったのです。他
ならぬクラプトンやブルームフィールドが時を経るにつれて、そ
れぞれのソロ・アルバムで歌を重視していったことにも随分と刺
激を受けました。例えば私が一番好きなブルーズマンのリトル・
ミルトンに関して言うならば、まずはヴォーカルありきですね。
そこに絡んでくる彼の”寸止め”のギター・リック(コードワーク
であれシングルトーンであれ)がたまらなく味わい深いのです。

振り返ってみれば、ジャガー=リチャードにしても、ウルフ=ガ
イルズにしても、あるいはロニー・ジョンソンにしても、歌とギ
ターとが、ぴったり寄り添いながら夫婦のように呼吸し合って成
り立っている世界です。またその境地に至るまでどれだけの歳月
を要したのかと想像すると、ちょっと目眩がしてくるほど。

ちなみに私が尊敬して止まない中村まりさんは、以前取材時にこ
う語っていました。「ミシシッピー・ジョンハートを聞いている
と、歌とギターとで一つの世界になっていることに気が付かされ
ます。私はどうやらそんな”二つで一つ”のようなアートに惹かれ
ているのかもしれません」


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# by obinborn | 2018-03-28 18:17 | blues with me | Comments(0)  

借り物の思想、生煮えのロジック

自分がうまく立ちゆかないことを世の中のせいにする人たちがいる。
例えば私がもし生活費もままならない事態に陥りそうになったら、          それを防ぐべく、転職や資産の見直しなど最大限の努力をするだろ         う。ところがこの世には自分の困窮をすべて時の政権のせいにする
人たちがいるのだ。無論税制や交付金の削減など直接政府が関わる
政策はあるだろう。それらは一つ一つのテーマに沿って論議を重ね
て行けばいい。しかし、昨今の反安倍デモの写真や動画を見ている
と、反原連から(旧国鉄の)千葉動労までのノボリも目立ち、まる
で全ての悪が安倍首相にあるかのような粗雑さが目立つ。私は皮肉
を込めて言うのだが、何でもアンチを掲げるだけの彼らの素朴さが
ある意味羨ましい。私とて安倍政権など信用していない。そのこと
は以前から何度もここで申し上げてきたけれども、これらのデモの
隊列に自分が加わりたくないのは、何らかの党派性に組み込まれた
くないという思いからだ。その強度が自分を支えていると言っても
いいし、人によってはそこに個人主義を読み取る方もおられよう。
いずれにしても、私は何か借り物のムーブメントに乗じて誰かを安
っぽく糾弾することが嫌なのだ。借り物の思想、生煮えのロジック。
それらが過去一体何度過ちを犯してきただろうか?個人主義である
ことはデモやムーブメントといった”勢い”から距離を置き、一人で
考え抜く力だ。たとえ仲間外れにされても孤独になっても構わない。

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# by obinborn | 2018-03-28 06:39 | rock'n roll | Comments(0)  

ラルフ・モリーナへ

以前スーマーさんのライブ終了後にニール・ヤング&クレイジー
ホースの『ZUMA』を聴きながら、彼が「ラルフ・モリーナの遅
れるドラムってすごくいいですね」と語ってきて、ぼくはああ、
スーマーさんは本当にロック音楽の核心を理解されているんだな
あ〜と感動した。彼自身が意外にも?以前はドラムス奏者だった
だったから、感じ入る部分が余計にあったのかもしれない。10代
の頃からずっと音楽を聴いてきたけれど、ラルフ・モリーナのド
ラムはいつもぼくを捉え続けてきた。彼はいわば”下手ウマ”の筆頭
格であり、何度テイクを重ねても半拍くらいは遅れる。これはもう
ラルフの手癖であり、大げさに言うならば存在証明のようなもの
だろう。クレイジーホースのバンド・サウンドも文字通り”暴れ馬”
だ。やはり音楽にはテクニックだけでは推し量れない何かがある。
嘘だと思ったら、彼らのセカンド・アルバム『Loose』(72年)を
聴いてみて欲しい。「クリックに合わせるなんて冗談だろ?」そん
なラルフ・モリーナの声が今にも聞こえてきそうだ。


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# by obinborn | 2018-03-10 02:04 | rock'n roll | Comments(0)  

『シンガー・ソングライター名盤700枚』を振り返って学んだ教訓について

先日Tさんとお会いした時に差し出されたのが『シンガー・
ソングライター名盤700』だった。何でもこのムックでぼ
くの名前を覚えてくださったそうで、本当に人によって自
分との接点は様々なことを改めて実感させられた。音楽之
友社からこの書籍が出たのは確か2000年の夏だったと記憶
している。あれからもう18年近くの歳月が経ってしまった
が、懐かしくいろいろなことが思い出される。編集を担当
されたのは当時まだ音友に在籍されていたUさんで、彼とは
企画段階からアイディアを交換し合った。とにかくぼくたち
が目標にしたのは何らかの基準と成り得る最高のディスク・
ガイドを作ろう、それもいわゆるロックの名盤選ではなく、
SSWにテーマを限定して行うというハードルの高さがあっ
た。しかし得意な分野だけに選盤や執筆の作業はことの他
楽しかった。とくに自負したいのは同じSSWといっても、
英米あるいはカナダやアイルランドといった国によってテ
イストは異なるので、それぞれのチャプターを設けて意図
を明確にしたことだろう。またアメリカという広いネイショ
ンに関しては西海岸と東海岸と南部とでは微妙に肌合いや
持ち味が違うため個々に章立てした。さらに50年代から活躍
してきたニューヨークのティン・パン・アレイ系を別枠にし
たり、新しい時代を担う新進のSSWたちのコーナーも用意し、
それらは概ね好評をもって迎えられた。

ところがある雑誌に載ったこのムックへの書評は醜かった。
細かい部分はもう忘れてしまったが、デヴィッド・ボウイも
自作自演の歌手なのにそれすら載っていない、そんな趣旨だ
った。そりゃそうでしょう。ボウイだって立派なソングライ
ターであり、個人的には敬意も払っている。でもぼくたちが
目指したのはある種のルーツ志向を匂わせるフォーキーであ
り、そんな地味な分野の人たちをまとめて紹介したいという
気持ちだったから、両者が噛み合うはずはないですよね(笑)
そのレビューの筆者がライターだったことがまた事態を悪化
させた。Uさんとはお酒の席で「同じような音楽が好きなの
に、たまたま執筆者に選ばれなかっただけでこんな言い掛か
りをしたのだろうか?」などと疑念について語り合った。

そのことからぼくは私怨をレビューに持ち込んではいけない
という教訓を学んだ。ぼくを含めて、人々は時に賢くあるけ
れど、多くの場合は流されやすい。ぼくらが日頃から慣れ親
しんでいるSNSの世界でさえ、多くの人は自分の詳しい分野
に関してはとかく知識を披瀝したがるけれど、疎い部分につ
いては黙ったきりだもん。ぼくが音楽業界から意識的に距離
を置こうと真剣に考え始めたのは、思えばこの頃からだった。


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# by obinborn | 2018-03-07 13:08 | blues with me | Comments(0)  

長門芳郎氏の著作『パイドパイパー・デイズ〜私的音楽回想 1972-1989』を読んで

読んでいて妙に切なくなった。シュガー・ベイブのマネジャー
から輸入レコードショップの店主、あるいは海外アーティスト
の招聘まで活躍されてきた長門芳郎氏の回想録が『パイドパイ
パー・デイズ』(リットーミュージック 2016年)である。音
楽好きの青年が故郷を離れ上京し、やがてある種の洋楽の指南
役となっていく。そんな過程がご本人の飾らない文体で書き留
められている。サブ・タイトルに「私的音楽回想 1972-198
9」とあるように、長門氏と同時代を生きた人々が思いを重ね
ることは多々あるだろう。

ラヴィン・スプーンフルやローラ・ニーロに夢中になり、それ
をきっかけに業界に入った青年が、いつしか80年代に起こった
バブルの影響で地上げの問題に遭遇し、「パイド」があった南
青山の地から立ち退きを余儀なくされる。そんな過程のひとつ
ひとつを激動の昭和史と重ねても問題はあるまい。amazonに
代表されるネット販売に慣れている今時の若い方々には、かつ
てパイドやその他多数の輸入レコード店で交わされていた生き
生きとした情報交換や気取らないお茶話が新鮮に映るのかもし
れない。個人的にもパイドにはよく通った。午後の講義が終わ
ればパイドに行き、ドクター・ジョンの『ガンボ』やアラン・
トゥーサンの『サザン・ナイツ』を買った。吉祥寺の中道商店
街にあった芽瑠璃堂とともに、この2店はぼくにとってまさに
”スクール”に他ならなかった。閉店直前の89年にパイドで買っ
た最後のレコードは、ブライアン・ウィルソンの12インチ・
シングルLove and Mercyだったかな。

今や伝説的なショップとして語り継がれているパイド。初代の
経営者である岩永さんがかつて晶文社から出された書籍と本書
を併読していけば、70〜80年代の東京をより俯瞰出来るかもし
れない。


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# by obinborn | 2018-02-11 19:20 | one day i walk | Comments(0)  

開封されなかったメール

以前僕が派遣切りに遭った時、殆ど唯一同情してくれたのがTさん
だった。他の多くの職員が「当たらず触らず」だったのに対して、
Tさんだけが直属の上司に理不尽さを訴えてくれたことが嬉しかっ
た。芯が強く正義感があり、見た目は少しパティ・スミスにも似
た女性で、彼女とだけは職場で不思議と気持ちが通じ合ったものだ
った。そんなTさんからのショートメイルを僕は何と二ヶ月半も気
が付かずに放ったらかしにしたままだった。もともとスマホの機能
に弱い自分をまさかこういう形で知るとは思わなかった。たまたま
妹からのメールがあり、それを遡ったことでTさんから連絡を頂い
た旨を今日やっと知るところとなった。

「お役に立てなくてごめんなさい。小尾さんのロッカーにビールを
入れておきました。少しですが飲んでください。私オビさんの分も
頑張りますから」それがTさんから届いたメールのおよその文面だった。        何と彼女は職場が思うように改善されなかったことを詫び、別れの
挨拶として置き土産までそっと忍ばせてくれていたのだった。その
職場に戻ることも、そこにあった自分のロッカーを開ける機会も、          もう永遠にやってこないだろう。それでもTさんの優しい心遣いに

思わず胸が熱くなった。

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# by obinborn | 2018-02-05 13:32 | one day i walk | Comments(2)  

遥かに、トム・ペティへ

昨年の10月にトム・ペティが急逝した時は気が重かった。              というのも最初の4枚のアルバムしかしっかりと聞いたこ
とがない自分はとても熱心なファンとは言えず、皆んなの
流れに乗って追悼するのはいかにも傲慢だと考えたからだ。
きっとあまり縁がなかったのだろう。今ぼくの手元にある
のは81年のシングル「ザ・ウェイティング」のみ。よって
以下はそんな男の雑文として読んでいただければと思う。

トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの最初のシングル
「アメリカン・ガール」を最初ラジオで聞いた時の衝撃は
今も忘れられない。それはザ・バーズを彷彿させるフォー
ク・ロックで、ぼくはてっきりロジャー・マッギンの新曲
かと錯覚したほどだった。甘く鼻に詰まったような歌い方
もマッギンに似ていた。またのちにパブ・ロッカーのルー
・ルイスが取り上げた「ホームタウン・ブルース」の泥臭
い響きも好きだった。ペティの最初の2枚がシェルター・
レーベル発だったことに大いに納得したものだった。そし
て「ルイジアナ・レイン」に映し出されるアメリカの風景
には不思議なデジャヴ感を覚えた。

奇抜さや最新モードが重宝されがちなニューウェイブ以降
のシーンの中で、彼らの音楽はいわばロックの本家本流に
位置し、最初からずっとバンド・サウンドを鳴らし続け
た姿勢にも好感を持った。ソロモン・バークの「クライ・
トゥ・ミー」は恐らくストーンズを経由したものだろうが、
そんな部分にトム・ペティの率直な性格が滲み出ていた。
60年代に築かれた良き時代のロックやR&Bを継承しなが
ら今に蘇らせる。それがまさに彼らの基本的な姿勢であり、
自分たちの目を通して見える世界のありようだった。

冒頭に挙げた「ザ・ウェイティング」でペティはこんなこと
を歌っている「辛い時代じゃないか。約束を守ることもまま
ならないじゃないか」彼がどういう文脈でこの歌を作ったの
かは定かではない。ただ81年当時まだ20代の序盤だったぼく
の心を捉えるばかりか、多くの人々の共感を集めた。その曲
を最後にトム・ペティのレコードを買わなくなってしまった
理由は今もよく解らない。彼は彼の道を歩み続け、多くの作
品を作り続けた。たまに耳にする彼の新作は変わらないこと
でかえって聞き手の信頼を得るものだったと記憶する。

最後に個人的な話で恐縮だが、昨年末に行ったDJでエヴァ
リー・ブラザーズ版の「ストーリーズ・ウィ・クッド・テ
ル」を流した。ジョン・セバスチャンが書いたこの歌を、
トム・ペティのヴァージョンで知った方も少なくないだろ
う。こうした温故知新のスピリットが最後までペティの音
楽を支えていたのだ。その日の帰り道、夜間バスに揺られ
ながらStories We Could Tellのリフレインを口ずさんで
みた。その時初めて失われたものの大きさに気が付き、少
し泣いた。

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# by obinborn | 2018-01-17 11:00 | rock'n roll | Comments(0)  

佐野元春のウッドストック・アルバム『THE BARN』の上映会に寄せて

「日本で音楽をやっていると時々寂しくなります。でも
ウッドストックに行ってジョン・サイモンやガース・ハ
ドソンと一緒に演奏した時、大先輩である彼らとぼくた
ちはしっかり繋がっているんだなと初めて実感出来まし
た。それが渡米して作った『THE BARN』アルバムで最
も嬉しかったことです」

かつて佐野元春はラジオ番組の収録時、私にそう語り掛
けてくれたことがあるのだが、今日(16日)に行われた
『THE BARN』の上映会を観終わって、ふと彼のそんな
言葉を思い起こした。「ザ・ハートランドの時代はぼく
がアレンジの方向性やフレーズの指示まですることが多
かった。ところが新たにザ・ホーボー・キング・バンド
を結成してからは変わりました。ぼくは曲の骨格だけを
メンバーに伝えます。HKBはみんな卓越したプレイヤー
ばかりでしたから、あとは彼らが変幻自在に曲を解釈し、
自由に引き伸ばせていけるんです。そういう意味ではま
さにHKBはジャム・バンドだったと思っています」今日
の上映会に登壇した佐野は、およそそんなことを言って
いた。

自然でオーガニックなバンド・サウンドに満ちた『THE
BARN』録音時のドキュメント・フィルムと、アルバム
発表に伴う98年当時のライブ・ツアーの映像から構成さ
れた”爆音”上映会で、改めてぼくはザ・ホーボー・キング
・バンドの実力とルーツ・ミュージックへの確かな眼差
しを感じた。佐野元春をよく知らない方だと、彼が輝か
しくデビューを飾った80年代前半のイメージしか持って
いないのかもしれない。まして初期の彼は都会の情景を
映し取るタイプのソングライターだった。そんな佐野も
実は70年代のカントリー・ロックやスワンプ・サウンド
に夢中だった青年時代を過ごしていた。その点を確かめ
られただけも収穫の上映会だった。上映が終わってから
訪ねた楽屋でオレンジ・カウンティ・ブラザーズの谷口
邦夫さんをご紹介した時の、佐野さんのチャーミングな
笑顔が忘れられない。

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# by obinborn | 2018-01-17 01:24 | Comments(0)  

鷹の台のレコード店「ビュグラー」に行ってきました

今日は仕事が終わった後、鷹の台のレコード店「ビュグラー」
に行ってきました。昨年6月に開店したこのお店、以前から噂
だけはよく耳にしていたのですが、今回ようやく伺うことが
出来ました。武蔵野の面影が残り、近くに玉川上水がある小平
市は私の実家がある所沢にも隣接しているため、思わず親しみ
が湧いてきますが、そんなローカルな町に中古レコ・CD屋が
出来たなんて素晴らしいことです。しかも特に70年代のSSW
/スワンプ/トラッドの品揃えには力を入れているとのこと。こ
りゃ行かなきゃ罰が当たりますよね。

明るく広々とした店内にはよく整理されたLPやCDが並んでい
ますが、一枚一枚のプライスカードに的を得たコメントや盤質
が細かく記され、店主の愛情が滲み出ていました。少しだけお
話させて頂いたのですが、若い時分は何でも渋谷のブラックホ
ークに通われていたらしく、相当な音楽通だとお見受けしまし
た。ちなみに店名はラリー・マレイが書き、ザ・バーズ在籍時
のクラレンス・ホワイトが歌ったヴァージョンで一躍有名にな
ったBUGLER(アルバム『FARTHER ALONG』所収)から命
名されたとか。ぼくが真っ先にそのことを切り出すと、店主は
穏やかそうに笑ってくださいました。

あまりに安価だったので重複を知りつつジョン・ヘラルド、バ
リーマン、グリース・バンドを思わず購入したほか、収穫だっ
たのは今日生まれてから初めて現物を見たカナダのSSW、ウィ
リー・P・ベネットのセカンド・アルバムでした。以上4枚で
〆て6,600円!このリーズナブルなお値段もビュグラーの魅力
の一つでしょう。最後に「また来ます!」とご挨拶して、冬の
武蔵野を後にしました


e0199046_16491376.jpg😊


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# by obinborn | 2018-01-15 16:50 | one day i walk | Comments(0)  

日高屋のラーメンにはもう飽きた

さすがに日高屋のラーメンには飽きてきた。あんなケミカルな
もん毎日食べていたら明らかに早死しますぜ。私は少々味覚オ
ンチで、親父が死ぬ前に家族で記念で入った鮨屋が外れだった
時も結構美味そうに食べていて、妹に思いっきり馬鹿にされた
ことがあるのだが、そんな私でも日高屋の麺が不味いことくら
い解る。かといっていわゆる美食家(グルメ)と呼ばれる連中
はもう生理的に鼻持ちならなく感じてしまうのだけれど。

ファッションと食べ物にうるさい男は大成できないとよく言わ
れる。ジェリー・ガルシアはあんな美しいギターを奏でながら
普段食べるものはジャンクフードばかりで、それが死期を早め
と言われる。ヴェートーベンもチャック・ベリーも私生活では
相当苦労し、試練の日々を過ごしたと言われる。そんな彼らか
ら素晴らしい、歴史に残る音楽が生まれた。その価値を考えて
みたい。


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# by obinborn | 2018-01-09 17:30 | one day i walk | Comments(0)  

シェール69年の名盤『3614 JACKSON HIGHWAY』に映る面々を紐解きたいです!

リック・ホールの死去に絡んで、先日テキストにてご紹介した
シェールの『3614 Jackson Highway』( ATCO 69年)です
が、アトランティック・レコーズの首領ジェリー・ウェクスラ
ー制作のもとに作られたこのアルバムを今聴いています。主役
であるシェール(フォーク・ロックのデュオ、ソニー&シェー
ルの片割れ)だけでなく、マスル・ショールズ・サウンド・ス
タジオ(MSS)の通称スワンパーズまで登場させたところに、
バックを担うプレイヤーたちにも光を当てようとする、アトラ
ンティック/アトコ・グループの志が伺えますね。

ところでこのジャケットに映る12人の名前を正確に言い当てら
れる方って、どのくらいいらっしゃるのでしょうか?実はぼく
はパーフェクトには言えないのです(すみません)が、自分が
解っている範囲で、表記してみたいと思います。

最前列中央→シェール。二列目左からエディ・ヒントンg、デ
ヴィッド・フッドb、不明、ジェリー・ウェクスラーprod、
ジニー・グリーンback vo、不明、トム・ダウドengineer、
三列目左からジミー・ジョンソンg、アリフ・マーディンprod、
ロジャー・ホーキンスds、バリー・バケットkbd、以上です。

どなたか、ぼくが謎解き出来ない弱冠2名について、ご教授して
頂けないでしょうか? 情けない限りではありますが、どうか
よろしくお願い致します@-@


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# by obinborn | 2018-01-08 17:47 | Comments(1)  

グレアム・ナッシュの歌が今も聞こえてくる

今日仕事帰りに振り袖姿のお嬢さんたちに出くわしました。
ああ、そっか〜本日は成人式だったんですね。今から40年
ほど前、ぼくの時は15日だったけれど。生意気だった盛り
なので自分は所沢市から届いた成人式の案内状を破り捨て、
絶対出席なんかするものかと心に誓ったのです。両親は嘆
き、一体この子は将来どんな大人になってしまうんだろう
と心配したそうです。

年寄りの戯言として笑われて一向に構わないのですが、昔
と比べても最近は体制というか現状の社会に従順な若者が
増えているような気がします。県なり市なりが主催する式
に出席しながら、酒の勢いで暴れる若者の気持ちが、オジ
サンは正直理解出来ません。それだったら一人家に篭って
小説を読んだり、音楽を聴いたりすることを選んできまし
たからね。自分はとにかく誰かとつるんでしか何かを出来
ない連中にはなりたくなかったのです。

そんなオジサンが当時夢中になって聴いていたのがグレア
ム・ナッシュのファースト・アルバム『Songs For Begin
ners』(71年:初心者のための歌たち)です。その中には
BE YOURSELFというとても印象的な曲があります。あえ
て歌詞を語ることはしませんが、この歌はまるで「孤独で
も一人ぽっちでもいいじゃないか、自分らしくあれば」と
語りかけてきたような記憶が今も残っています。


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# by obinborn | 2018-01-08 16:24 | rock'n roll | Comments(0)