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7月28日の床屋

今日は二ヶ月ぶりの散髪に行ってきました。普段からベタベタした付き合いは好みませんし、滅多に床屋談義などしないのですが、やはり首にカニューレを装着したままの姿は何らかの説明が必要だと感じましたし、もうかなり通って気心知れた店なので、思い切ってこの春から始まった自分の闘病生活のことを打ち明けました。すると相手はさすがプロ。嫌な顔一つせず、テキパキとハサミを捌きながらお姉さんは私の一方的な話を受け止めてくれました。痛かった気管切開のこと、放射線治療の辛い副作用のこと、今後の生活指針のことなど、約40分の中でうまく纏めることが出来たと思います。こうして第三者に話を聞いて貰えるだけでだいぶ心が軽くなりますね。終わりの頃に私が「今日は勝手にいっぱい喋ってしまいすみません」と詫びると、すかさず「とんでもないです。こちらこそずっと長い間通ってくださって。お大事に」と応えてくれました。それを信頼関係と呼んでいいのかどうかは解りませんが、30年以上この床屋さんに通って良かったなと思えるひと時でした。いつもありがとう。きっと一生付いていきます。

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# by obinborn | 2020-07-28 17:45 | one day i walk | Comments(0)  

私の闘病記2019〜2020


◎私の闘病記2019〜2020(なるべく客観的に纏めてみました。参考にして頂ければ幸いです)

10月:食事が喉に詰まる・むせるなどの自覚症状が出始める
12月:近所の内科クリニックで風邪との診断(誤診)
1月:再度内科を受診(誤診)
2月:人間ドックにて所見異常なし(誤診)


3月13日:近所の耳鼻科にて咽頭下部の異常発見。紹介状の交付
3月13日:御茶ノ水・東京医科歯科大学病院にてレントゲン検査
3月17日:咽頭下部の癌(ステージ4B=最悪)を宣告される
3月18日:精神科医、咽頭科担当医とそれぞれ面談
3月19日:厳しい手術か、死期を待つ緩和ケアかの選択

3月23日:第一回めの入院
3月24日:気道確保の為、喉部の切開手術。声が出ないため筆談
3月31日:カニューレの装着
4月4日:第一回めの退院・自宅療養
4月8日:歯学部にて一本抜歯(放射線治療準備のため)

4月13日:第二回めの入院 胃ろう作成の手術
4月14日:抗ガン剤の投与と放射線治療を開始
4月15日:精神科医と面談
4月17日:第二回めの退院・自宅療養
5月11日:第三回めの入院 抗ガン剤と放射線治療が続く
5月15日:第三回めの退院・自宅療養 

6月1日:第四回めの入院 三回め(最終)の抗ガン剤投与
6月2日:副作用の為、右足狭窄症や味覚障害が始まる
6月3日:栄養士と今後の食生活を相談
6月4日:35回め(最終)の放射線治療が終了
6月5日:第四回めの退院 以降自宅でのリハビリ生活に入る


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# by obinborn | 2020-07-15 16:12 | one day i walk | Comments(2)  

6月23日の吉村瞳

吉村瞳がおよそ三ヶ月ぶりにライブの場へと戻ってきた。コロナ渦の被害が広がるなかこんなに嬉しいことはない。その間に生演奏を動画配信する試みはあったものの、やはりリアルはいいね。そんな本物のライブを23日は東中野のじみへんにて。彼女のMCからも久しぶりにお客さんの前で歌える喜びが伝わってきた。僕が最後に観たのは昨年の9月だったが、その間に演目もだいぶ入れ替わったようで、とくに変則チューニングで低音部のドローンを強調したジョニ・ミッチェルの「コヨーテ」と、ワイゼンボーンにスライド・バーを滑らせ大胆に解釈し直したディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」は衝撃的な出来映え。また彼女のオリジナル曲では既に古典の風格さえ湛えている「ヴァレンシア」を始め、現在レコーディング中のスタジオ・アルバムの表題曲となる「ストーリーズ」の繊細な心理描写がとくに心に残った。このようにダウンホームな野性味と可憐でしとやかな部分とがうまく共存しているのが吉村瞳の最大の魅力であり、数多い女性フォーキーのなかでも中村まりとともに頭一つ突き抜けた磁力を感じずにはいられない。そんなことを改めて噛み締めた一夜になった。

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# by obinborn | 2020-06-24 05:42 | one day i walk | Comments(0)  

ブリンズリー・シュウォーツの回想


原宿に移転する前、つまり渋谷の消防署通りの向かいにあった頃のハイファイ・レコードはいい店だった。もはや曖昧な記憶になってしまうが、古い木造建ての二階への階段を上る途中にブリンズリー・シュウォーツ『Despite It All』のアルバム・カバーが飾ってあり、何とも言えない安らいだ雰囲気に浸ったものだ。どう考えてもアメリカンな陽性のジャケットだが、それを演奏しているのはロンドンっ子たちだったという意外性にまた胸ときめいた。私とブリンズレーとの付き合いおよそはこのようにして始まった。『Despite It All』はバンドとしては70年にリリースされた第二作で、まだイアン・ゴムが加わる以前のカルテット時代の素朴な温もりが残っている。ちょうどフィルモア・イーストでのデビュー公演が失敗に終わり、その負債を返済すべくロンドンのパブ・サーキットを回り始めた時期に当たるが、その音楽には『ロデオの恋人』期のザ・バーズとCS&Nとヴァン・モリソンとを彼らなりに折衷させた印象を受ける。やはり注目したいのは若き時代のニック・ロウのソングライティングで、ボブ・アンドリュースが書いた一曲を除くすべての楽曲をロウが書き下ろし歌い、Country Girl、The Slow One,Love Song、Starshipなどで既に才能の片鱗を伺わせている。のちに表に出て来るヒネリや諧謔や屈折といった要素はまだ見受けられず、アメリカ音楽に憧れたままのナイーブな青年といったところだろうか。近年はソロの弾き語りライブを多くこなしているロウだが、ブリンズリー時代の曲は「あの代表曲」以外は皆無なのが何とも寂しい限りだ。もっとも本人にしてみれば、ソングライターとしてまだ未熟だった時代を思い出させるだけなのかもしれない。そこら辺の当事者とファンの気持ちのズレはあらゆる音楽家に共通する悩みなのかもしれない。ちなみにニック・ロウはこう振り返っている「ブリンズリーの元メンバーのなかで、今もフルタイムで音楽をやっているのは僕だけだろうね」と。その独白に込められた自尊心と僅かな痛みを感じ取りたい。それが解る人たちにとって『Despite It All』は、きっとかけがえのない作品集に違いない。ブリンズリー・シュウォーツの回想_e0199046_06204385.jpg

# by obinborn | 2020-06-17 06:22 | one day i walk | Comments(0)  

鈴木カツさんの思い出

2017年の6月5日は鈴木カツさんの命日だった。享年74歳。FBフレンズの方が偶然にもその旨を書かれていたので思わず懐かしくなってしまった。癌を患いながら亡くなられたカツさんが3年まえに天上の人となった日に、今年同じような癌に罹ってしまった僕がたまたま退院したというのも、何やら奇妙な符号のような気がしてならない。僕がカツさんと親交を持ったのは案外遅く、98年の秋頃からのことで、彼が経営する築地の音楽バーAny Old Timeを訪れ、音楽評論の大先輩に当たるカツさんにご挨拶差し上げることから始まった。それからは互いにフォークやカントリーやルーツ・ミュージックなど好きな音楽が似ていた点もあって暫くはAnyに通うことになったのだが、些細な行き違いからいつしか僕たちの間には隙間風が吹くようになってしまった。彼にしてみれば「この若造が生意気なこと言いやがって!」と自尊心を傷付けられた部分もあっただろうし、僕にしても若気の至りでモノを言ってしまっていた。あれから20年以上も経った今振り返ってみれば、いい大人同士がまだ不慣れだったSNSの時代を迎え、本来であればキーボードを押す前に慎重にならなければいけない事項をすっ飛ばしながらつまらない論争を起こしてしまったな、と反省している。但し、結局15年以上もあった世代のギャップはなかなか埋めらなかったというのが正直なところだったと思う。また彼が音楽についての知識や情報を最優先して開示するタイプだったのに対し、僕の場合はどちらかと言うと「音楽を聴いて自分が何をどう感じたか」という部分を中心に筆を執る書き手だったことも互いの距離をより伸ばしてしまう要因になってしまった。こればっかりは皆さんそれぞれ音楽ライターに抱く好き嫌いがあるだろう。そのようにしてケンカ別れをしてしまったカツさんだったが、ヴィヴィッド・サウンズ〜芽瑠璃堂の長野和夫さんと一緒に、晩年のカツさんをお見舞い出来たことは不幸中の幸いだった。あれは2016年12月のこと。僅かな時間であったけれども、茅ヶ崎の駅ビルに入っている鮨屋で「おう!よく来てくれたね!オビさんと仲直り出来なきゃ、オレ死ねないよ!」と健気に笑ってくださったカツさんのお姿が、決して癒えない古傷のように今も残っている。

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# by obinborn | 2020-06-06 04:56 | one day i walk | Comments(0)  

明日の退院が決まりました!

明日の退院がやっと決まりました。今後は自宅静養と週一回程度の外来で済みそうです。思い返せば喉の痛みが激しくなり、地元の町医者に駆け込み、御茶ノ水の東京医科歯科大病院への紹介状を書いて貰ったのが3月13日のこと。咽頭がんの早期発見が叶わなかったぶん状態はステージ4B(つまり最悪)とまるで悪い夢を見ているような絶望感に襲われましたが、私も家族も緩やかな死を受け入れる緩和ケアではなく、病と闘う辛い治療をあえて選択し、およそ三ヶ月弱の入退院を繰り返し、ときに過酷とも思えるプログラムをこなしながら、ようやく一筋の光が見えてきました。その間皆様には私の一喜一憂に頷いてくださったり、励ましの言葉を掛けて頂いたりと感謝の気持ちで一杯です。なお蛇足にはなりますが、もしご自身の体調に私と同じような異変がありましたら、ぜひお声掛けください。私の闘病体験など微々たるものですが、きっと何かのお役に立てるはずです。本当にありがとうございました!またライブハウスや音楽バーで皆様と再会出来る日を心待ちにしております。

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# by obinborn | 2020-06-04 19:07 | one day i walk | Comments(2)  

ニール・ヤング「Thrasher」


☆☆☆☆☆私の人生に大きな影響を与えた一曲:ニール・ヤング「Thrasher」大抵のパンク賛歌が「年寄りはもう要らない!ここから出て行け!」と勇ましく叫んでいた79年という時代の節目に、「やがて僕は古来の恐竜のように死に絶えるだろう。いつか脱穀機がやって来て土地を刈るように」と秘めやかに歌ったのがニール・ヤングだった。旧世代に属する自分を客観的に見つめたこの曲が、ジョニー・ロットンに触発されたMy My hey Hey(Out Of The Blue)の次に置かれた辺りにヤングの微妙な揺れを感じる人もいらっしゃるだろう。僕もまさにそんな聞き手の一人であり、その複雑さ故にヤングのことを以前よりもっと好きになった。何も勇ましく叫べばいいというものではない。物事には必ず表裏があり、複雑に絡まった感情の糸口がある。そうした側面を見る人と見ない人との間では言葉や時代への射程がまったく違うのではないだろうか?やや話は飛躍してしまうが、単純な正義警察とも呼ぶべき反原発運動やアベノセイダーズに僕が乗れないのも、彼らのあまりに幼稚な原理主義を警戒しているからだ。何も旗色を鮮明にして党派性を打ち出すことだけが政治的なアティチュードではない。むしろ本物のアーティストほど”言いっ放し”の状況を苦々しく思いながら、深く潜行して言葉を探すのではないだろうか?そんな僕の考え方に深い影響を与えたのがこの「Thrasher〜脱穀機」だった。





# by obinborn | 2020-05-22 04:13 | Comments(0)  

鈴木博文『九番目の夢』

☆影響を受けた書籍:『鈴木博文/九番目の夢』(新宿書房1991年)ムーンライダーズのロック詩人、鈴木博文氏のエッセイ集第二弾で、彼がこれまで各媒体に書いてきた音楽・映画・小説などに関する文章をまとめる他、彼自身による幾編かの詩も寄せられている。その文体は初めてロックに出会った時の少年のように瑞々しく、知識や情報よりも自分の心にどう響いたかを優先させている。偉大なる博文さんと比べるのは憚れるのだが、僕もよく「青臭いことばかり書いているんじゃねえよ」とか「お前の私的な想いなど要らない」などと文句を言われる。しかしながら、音楽にとって最も大事なことは聞き手に何が残ったのかを自分史のように振り返りながら言葉へと結晶させていく作業だと思う。この『九番目の夢』の中ではとりわけ中学時代に聞いたジェリー・ガルシアのギターに虹を見たという記述や、「クラウス・ブアーマンは譜面が読めないんだぜ」と自慢気に言い触らした日本人アレンジャーへの疑問などが秀逸。特に後者はブアマンと同じベース奏者でもある筆者ならではの考察が生きていて「ブアーマンはきっと”俺のことを信用していないな”と感じたに違いない」とアレンジャーをチクリと刺しているほどだ。ちなみに本のタイトルは勿論ジョン・レノンの#9 Dreamからインスパイアされている。音楽好きであれば誰のなかにも眠っている柔らかく壊れやすい感情の襞があるだろう。本書はそれを優しく鮮やかに紐解いてくれる。

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# by obinborn | 2020-05-14 17:06 | one day i walk | Comments(1)  

民主主義とは制度ではない。ましてハッシュタグによる拡散ではあるまい

検察法改正案の問題点については多分「週刊女性PRIME」の「新型コロナ騒動の裏で与党が暴走〜」が一番解り易いテキストになっていると思います。むろんこの記事も識者による何らかの「推論」で話を盛っている部分は否めないのですが、それを言ったら他の論調も”どっちもどっち”になってしまいますので、とりあえずこの問題に関心はあるけど難し過ぎてよく解らないという方は、是非読んでみてください。お薦めします。平易で読みやすいですよ。

というのもここ数日に僕が書いた見解が一部で誤解されそうな危惧を感じているからです。誤解という言葉はいかにも安易で、誤解されないよう正しく伝えるのが本来の姿だとは思いますが、いかんせん僕がそれなりに熱量を込めて書いた文章であっても、最初から最後まで文意を汲み取りながら丁寧に辛抱強く読んでくださる方もいれば、文中に出てくるワンワードのみに脊髄反射される方もいるというのが現状で、そういう意味では日々途方に暮れてしまうこともしばしばです。

今回僕が問題としたのはあくまで#検察法改正に反対する!というハッシュタグという方法論でした。たとえ安倍政権の暴走がここまで露骨になったと思われるイシューであっても、各自がそれぞれの気持ちや意見を乗せず、また最低限の学びもせず、ただ闇雲にこのハッシュタグのみツイートで連発する現象があり、僕はそこに付和雷同的な怖さを端的に感じました。仮にタグの特性を生かした明快な影響力を認めるにせよ、まだ自分のなかでろくに考えが固まっていないうちから、ある一方の流れに乗ってしまうのは如何なものだろう?それこそあなた達が最も忌み嫌っているはずの全体主義の萌芽ではないか?と。まして各界の著名人たちによる「反対タグ」にぼんやりと影響された形であれば、個々の自発性に疑問符を付けざるを得ないでしょう。

そこに共感して頂いたのがYさんであり、彼は「そうした意識の低さは、世の中の動きに無関心なまま何となく安倍一強政治に追随し、結果として権力の暴走を許してきてしまった層と皮肉にも相似形になっている」(引用ではなく文意です)と看破されたほどです。これには僕も唸らされましたね。たとえどんなに切迫した問題であっても、集合的無意識や心理的な重圧から「よお解らんけど、おいらもとりあえず反対しとくべ〜」とタグのみをひたすらRTしながら拡散する方法は、成熟した民主主義のあり方とは最も遠いものです。この大事な一点で僕とYさんの間では意見の合致が成されています。

いずれにせよ、何らかの党派性を剥き出しにしながら人々を敵と味方とに峻別したり、保守本流か革新リベラルかの旗色を鮮明にしない者はポリティックスから逃げていると言わんばかりに断じる勢力が一方にあり、それらの動きに対して少なくとも僕はこれまでずっと距離を保ってきました。まあ彼ら急進派に言わせれば、そんな僕の「距離の取り方」が単なる煮え切らない態度として映るのでしょうが(苦笑)、あらゆる物事を短期決戦ではなく、長いスパンで捉えるのが自分流のやり方であり、きっと感性が豊かで鋭い人たちはそんな「長期戦」が、実は僕が書く音楽の記事にも少なからず反映されていると感じ取っているのではないでしょうか。

最後に一言だけ。「民主主義とは制度ではない。人々の不断の努力によって達成される長い道のりだ」(故丸山眞男氏)



# by obinborn | 2020-05-13 04:51 | rock'n roll | Comments(0)  

闘病記:その3

癌のことをインターネットで「告白」するかどうか。実は最初はそのことですごく躊躇する部分もあったのですが、結果的に同じ病を体験された方の貴重なアドバイスや、皆様からの励ましの言葉などを頂き、大変感謝しております。先ほども現在リハビリ中という学生時代の後輩が体験談のメッセージを送ってくれました。自分の悩みを吐き出すというといささか語弊があるのですが、ガンという大病のことを学び、皆んなが何らかを共有する手立てになればいいなと思っています。今やガンは成人のうち二人に一人が罹る病と言われています。脅かすわけではありませんが、たとえあなたが酒や煙草を一切やらず、またいくら健康に気を配った生活をしていても、ある日突然発病してしまうのがガンの恐ろしさなのです。それは本当に残酷なくらい「公平」に訪れてしまうのです。私自身毎年欠かさず検診してきた人間ドックがほぼ「オールA」であっただけに、油断していた部分はあったのですが、体に少しでも違和感(味覚の変化、喉の詰まり、痰や咳など)を覚えたならば、なるべく早期に専門医を訪ねてみてくださいね。私の場合発見が遅れてしまったのが悔やまれますが、幸いにも現在順調に治療のプログラムをこなしており、「普通の暮らし」を営みたいという気持ち、与えられた生を慈しみたいという想いは、病気以前に比べて遥かに強まってきました。無論これからも無傷のまま末長く生きるという訳にはいかないでしょうが、たとえ一年であっても、二年であっても、今を生きたい!という気持ちが湧き上がってきました。病気が発覚した3月中旬当初の落ち込みから、少しずつ抜け出しつつあることをまずはご報告させてください。改めて皆様のお気持ちに感謝しております。


小尾 隆
2020年4月21日
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# by obinborn | 2020-04-21 05:43 | one day i walk | Comments(1)  

『レココレ〜ライ・クーダー特集』の思い出

音楽ライターとして最も忙しかったのは僕がデビューした1990年から2000年までの最初の10年間だけでした。 97年の秋に最初の単行本を出したこともあって、それ以降は「好きな原稿しか書かない」という方針を少しずつ固めていったのですが、無論それ以外にも音楽産業の衰退という原因は大きかったでしょうね。実際90年代の前半にはまだ元気だった音楽出版社もレコード会社もどんどん淘汰されていきましたから。それはともかく、今日は思い出深い記事として『レココレ』90年6月号に書いた「ライ・クーダーのセッション活動」を振り返ってみましょう。まず膨大な量に及ぶライの参加作を整理することが大変でした。基本的に全ての音源を実際に聴かなければ何も始まりませんので、自分の持っていないアルバムは人様からお借りするしか方法がありませんでした。当時は今と違ってネットもユーチューもなかったのです。また自分なりのこだわりとして、ライがギターを弾いているのか、それともマンドリンなのか、同じギターでもエレクトリックなのかアクースティックなのか、押弦なのかスライドなのか、ソロ・パートなのかリズム・ギターなのかといった細かい部分も可能な限り明記しました。昼間の仕事が終わってから深夜にかけて、そんな作業に没頭していくのですからこれは相当キツかったですよ(笑)それでも結果的にライ・クーダーの仕事を一望するという目的は果たせたので、今となっては懐かしい思い出です。当時僕はまだ30歳をちょっと超えたくらいでした。

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# by obinborn | 2020-04-06 07:08 | one day i walk | Comments(3)  

These Days

僅か二週間前までは普通の生活をしていました。毎朝起きて仕事に行き、終われば家に帰って寛ぐといった誰もが送っている平凡な日常でした。ところがある日突然癌であることを告げられ、緊急入院を余儀なくされ、ちょうど一週間が経ちました。自分でも未だにこの重い現実を受け入れられず、悪い夢なら覚めて欲しいと願っているくらいです。余りにも情けないけれど本当の気持ちです。今は心のバランスを保つのが大変で、躁と鬱とが短時間の中で交互に訪れるといったところでしょうか。それでもこうして駄文を書き連ねることが気休めになったりもするのですから、お時間ある方はもう少し読んでみてくださいね。きっと自分は何の根拠もないままに自分が人生の後半戦を無傷で平穏のままに生き抜けると信じていたのでしょう。でもそれは慢心であり驕りに過ぎませんでした。いつ誰に降りかかるか判らない、そんな恐ろしい病気が癌です。たとえどんなに健康に気を付けていても、それはある日無慈悲にやって来て、体じゅうをじわじわと蝕んでいくのです。そんな恐怖心もありますが、その一方でこれからのそう長くない日々をどうやって過ごすのかを、冷静に見ている自分もいます。そう、もしもの時に備えて遺言状を書く心づもりなどです。あ〜あ、せっかくこれから老後を楽しむ矢先だったのに貧乏クジを引いちゃたな(笑)しかしながら逆にこれからの自分の指針が明確になりました。

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# by obinborn | 2020-03-30 20:03 | one day i walk | Comments(0)  

ご報告その2


眠れない夜明けにこれを書いてます。皆さん僕の病気を心配してくれてありがとうございます。しかしながら自分の下部咽頭癌は早期発見が叶わなかったぶん進行していてステージで言うと4b(最悪)で、先日の気管切開も癌を摘出するためのものではなく、喉が詰まらないようにするため、呼吸気道を確保するための手術でした。今回一旦退院してからがむしろ正念場で、外来という形で抗がん剤の投与と放射線とを組み合わせた治療になり、これはかなり辛いものだと先生から言われました。それでも死に行く者の苦痛を和らげるホスピス的な緩和ケアではなく、少しでも希望がある治療を選択したのですから、この点で僕が逃げなかったことを認めてくだされば嬉しいです。仮に治療がうまくいっても、どうやら完治は無理で、いったん減った癌細胞はまた増殖してくるのだそうです。つまり、どう楽観的に見積もっても、僕のこれからの人生はそう長いものではなく、たとえ普通の生活に戻れたとしても、その平穏な日々はもうあまり残されていない、というのが近い将来の見立てです。妻と妹はずっと泣いていました。でもこれまで癌と闘ってきた多くの人たちと同じように僕も頑張りますので、温かい気持ちで見守ってくださればこれ以上の望みはありません。何でも世間はコロナで都市封鎖も検討されているようですね。皆さんのご健康と安全を願って止みません。

2020年3月28日
小尾 隆

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# by obinborn | 2020-03-28 15:15 | one day i walk | Comments(3)  

旅立つ日の前に

まあ率直に言えば「貧乏クジを引いちゃったな」という気持ちはあるんです。今まで搾り取られてきた税金がやっと年金という形で還付される矢先の出来事でしたから。でも以前はどこか他人事だった死をやっと自分の問題として受け止めるいい機会になりました。好きなミュージシャンの訃報も、震災で亡くなったり家を失くしたりした人たちのことも、悲しいという気持ちは動きましたが、自分に切迫した感情としてはまだ全然理解出来ていなかったのでしょう。それが今回一気に容赦なく降りかかってきました。どこか心の片隅で自分は無傷で天寿を全う出来るかも...という奢りがあったのかもしれません。そういう意味で神様の采配っていうのは実によく出来ていますね。

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# by obinborn | 2020-03-20 06:23 | one day i walk | Comments(1)  

ご報告

ご報告:本日お茶ノ水の東京医科歯科大学にて専門医に検診して頂いたところ、残念ながらこう頭がんの可能性が極めて高い旨を告げられました。日頃から健康には留意し食生活も気を付けてきたつもりですが、こういう結果になってしまい自分でも本当に悔しく、また動揺しております。今後はプログラムに従って粛々と療養していくしか手立てはありません。自分のことばかり書いてしまい申し訳ありません。コロナウィルスが蔓延する昨今ですが、皆様のご健康をお祈りしています。またいつかお会いしましょう。

2020年3月13日 小尾 隆


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# by obinborn | 2020-03-14 05:50 | one day i walk | Comments(1)  

再訪:『南十字星』

『南十字星』が発売された1975年、僕は高校二年生だった。
『マガジン』で矢吹申彦氏が99点(だったと思う)を付け
たこのアルバムは、やがてアメリカンロック好きの必須アイ
テムとなるくらい話題を集めた。当時は随分枯れた音楽だと
思ったけど、メンバーの平均年齢が30代前半だったのだから
致し方ないだろう。あれから45年が経ち、当時の彼らの歳
を遥かに超えてしまった自分が、今こうやってレコードを
回していることを幾分不思議に感じる。バニー・ホスキンス
著のザ・バンドの評伝『流れ者の物語』(大栄出版)によれ
ば、この頃の彼らが必ずしも絶好調でなかったことが書かれ
ている。何しろリチャード・マニュエルのドラッグ渦は深刻
になる一方だったので、ロビー・ロバートソンがどうしても
意図的にリーダー役を務めなければグループは崩壊寸前だっ
た。この時期の彼らの他流試合としては、ニール・ヤングの
『渚にて』マディ・ウォーターズの『ウッドストック・アル
バム』ハース・マルティネスの『ハース・フロム・アース』
などが挙げられるが、それらでアルバイトしていた個々のメ
ンバーを再び招集し、悲願のアルバムの制作へと漕ぎ着けた
のが『南十字星』だった。録音環境もこれまでのウッドスト
ックから南カルフォルニアのシャングリラ・スタジオへと
著しく変化している。何でもロビーは「アケイディアの流木」
を書き上げ、マリブ・ビーチの頭上に浮かぶ満天の星々を眺
めた時にザ・バンドの解散を決めたという。いささか感傷的
なそのエピソードはしかし、やがてリヴォン・ヘルムとの
溝を生み出してゆく。それからはどのバンドにも、あるい
はどんな人の人生にも起こり得る不仲と亀裂の物語だ。だか
ら今の僕にはロビーの強権主導とリヴォンの失意との両方が
よく解る。以前グリール・マーカスは『カフーツ』に関し
ていみじくも「音楽から友情が失われている」と看破したけ
れど、その数年後のザ・バンドはまさに満身創痍の状態だっ
た。それはかつて根拠なく未来を信じていた高校生の僕には
けっして解らない痛みの感情だった。


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# by obinborn | 2020-02-27 17:17 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:ライル・メイズ


ライル・メイズが亡くなってしまった。長らく闘病生活が続き、
近年はかつて苦楽を共にした盟友パット・メセニーから声が掛
かることもなくなっていたが、この途方もない喪失感は何だろ
うか。ロスアンジェルスで2月10日の朝、息を引き取ったとい
う。享年66歳。マイルズ・デイヴィズやチック・コリアといっ
たジャズの革新者たちがいつしか暗礁に乗り上げ、フリーのイ
ンプロヴァイザーたちが迷宮を彷徨い始めた70年代の後半、そ
れらの流れとは別の地平から、メセニー=メイズの双頭コンビ
(つまりパット・メセニー・グループ)は頭角を現した。いわ
ゆるハードバップやアヴァンギャルドの文脈から解き放たれた
その音楽は新しいと同時に「カントリーな」懐かしさを運び込
むイマジネイティブな要素に満ち溢れていた。そんな二人の
才能にいち早く反応したのがジョニ・ミッチェルだ。74年の
『コート&スパーク』以来貪欲なまでに自らの音楽地図を広げ
ていたジョニだったが、メイズとメセニーを起用したライブ盤
『シャドウズ&ライト』(80年)は、彼女の音楽的な野心が実
を結んだ傑作として知られる。共演者であるジャコ・パストリ
アスやドン・アライエスの姿も今なら映像でしっかりと確かめ
ることが出来る。

メイズの経歴を簡単に振り返っておこう。1953年の11月27日
にウィスコシン州マリネットに生まれた彼は、73年にウィスコ
シン大学を卒業し、ナショナル・ステージ・バンドのインストラ
クターを務めたのち、自身のスモール・コンボを結成。76年に
はウディ・ハーマンの楽団にピアニストとして抜擢された。78
年になるとパット・メセニーと運命的な出会いを果たし、以降
彼のグループの鍵盤奏者として献身的な役割を担った。ビル・
エヴァンスのリリカルな奏法に影響を受けつつも、もう一方で
フランク・ザッパのロックを讃え、ストラビンスキーの現代音
楽に傾倒する自由闊達で広角なプレイヤーであり、コンポーザ
ーだった。

私は80年代に最盛期のメセニー・グループのライブを二度ほど
観ることが出来たが、それは得難い体験だった。メセニーのギタ
ーが空高く飛翔すれば、メイズの鍵盤が春風のように頰を撫でる
といった具合で、いわゆるブラック・ミュージックの語法とは別
の角度から、彼らは80年代のジャズを牽引していった。時に悪口
を言う人もいたし、揶揄する向きもあったが、私は何一つ気にし
なかった。個々に刻まれる音楽体験とはきっとそのようなものに
違いないから。

メイズの故郷ウィスコシン州には今日もカントリーな風が流れ、
草原と戯れていることだろう。


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# by obinborn | 2020-02-11 18:37 | one day i walk | Comments(0)  

『ラストレター』


本日は『ラストレター』を再鑑賞。一度目はストーリーや人間関係を追いかけるので精一杯だったが、二度目はもう少し余裕を持って映画に身を委ねることが出来た。序盤と終盤とが雨という暗喩で繋がっている映像美を再確認した。やはり冒頭で主人公・未咲(44歳自殺)の死が提示されているのは大きい。そこから過去の青春期に遡っていくところが切な過ぎる。自殺の原因として夫のDVも仄めかされているのだが、それを主題にしなかったところに岩井俊二監督の良さがある。音楽も映画も時事的なテーマに囚われるとろくなことはない。イワシュンはそのことをよく理解しているのだと思う。

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# by obinborn | 2020-02-05 17:59 | one day i walk | Comments(0)  

ビーオタは疲れる

ビーオタは疲れる。彼らは毎日のように20万もするゴールド・
パーロフォン盤や初期プレス盤の話ばかりしていて、音楽を通
して得た喜びなど一切伝わってこない。こういう仕事をしてい
ると色々な収集家に出会うが、以前ビーオタを前にして私は「
こいつは女にモテないだろうな」と密かに思った。ビートルズ
に限らずディランもジャズもみんな金持ちの道楽になってしま
い、音楽そのものの感動を書き留める者はごく少数になってし
まった。無論私もレコード盤それ自体が好きという側面もある
が、自分なりの節度は保っている。まあ価格の桁は可愛いもの
だろう。オタクは時代を俯瞰出来ない。マトリックス番号やプ
レス工場のことばかり話している。故にロックもジャズも死ん
でしまった。

# by obinborn | 2020-01-27 05:55 | blues with me | Comments(1)  

三宅雪子さんの入水自殺に思うこと

三宅雪子さんが入水自殺した。政治家としては特に支持も
不支持もしていなかったが、彼女の忌憚なき意見は嘘で固
められた国会の中で尊いものだったという気がする。原因
として推測されているのがSNSでの三宅さんへの誹謗中傷
だ。特に匿名性の高いtwitterでは僅か140字の短文が凶器
にもなり得るから深刻だ。私も一時ネットで叩かれまくっ
たので彼女の苦悩は痛いほど解る。人々は「気にするな、
所詮バーチャルの世界なんだから」と常套句のように言う。
でも人はそれほど強くないので、傷付くと解っていてもネッ
トの暗部を覗いてみたいという誘惑を断ち切ることは難しい。

コップと水に喩えてみよう。コップは神経や大脳や胃袋で
あり、水は様々な情報の比喩と考えて頂きたい。コップか
ら溢れるまで水は注がれる。まだまだ大丈夫だ。しかしコ
ップの容量を超え水が溢れ始めた時、それはもう後戻り出
来ないまま臨界点を迎えてしまうのだ。そういう意味で三宅
さんの事件は極めて現代的な病理を象徴している。

暮れの寒さのなか孤独な心を抱えて海に入った彼女のこと
を思うと胸が張り裂けそうだ。実は今現在の私がtwitterか
ら距離を置いているのも、三宅さんのような迷宮に入り込
まないための自衛策であったりする。謹んでご冥福をお祈
りしたい。

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# by obinborn | 2020-01-07 17:21 | blues with me | Comments(0)  

ヴァン・モリソンの新作『THREE CHORDS & THE TRUTH』

ノー・ホーンズ。ノー・ストリングス。最小限のスモール・
コンボ編成によるヴァン・モリソンの新作が素晴らし過ぎる。
正確には2曲だけ彼自身によるサックスが入っているけれど、
音数が少ないからこそ唯一無比のヴォーカルが映えてくる。
ここ数年はブルーズ/R&B/ジャズのカバーに特化したアルバム
を連発してきたモリソンが、オリジナルの新曲を多く届けてく
れたのが嬉しい。そんなソングライター志向の作品は2016年
の傑作『KEEP ME SINGING』以来のこと。無論以前のような
鋭い楽曲は少なくなっていて、どこかデジャヴ〜焼き直し感が
あるのは否めないのだが、それでも人生の大先輩の新曲を聞け
る喜びのほうが勝る。僕の進歩しない日常に比べればたぶんア
ヴェレージ以上のものだろう。ここら辺のニュアンスを伝える
のは難しいのだが、かつて近寄り難かった天才青年が大衆のな
かに降りてきて、ソーホー辺りのパブで旧友たちと笑みを交わ
しているような光景が愛おしい。英米五ヶ所を跨いだレコーデ
ィングは恐らく今なお精力的なツアーとの兼ね合った結果であ
ろうが、不思議と統一感がある。演奏メンバーの中に自分が知
っている人はすっかり少なくなってしまった。それでも70年代
前半からモリソンとともに活動してきたベーシスト、デヴィッ
ド・ヘイズの参加には思わず胸が熱くなってしまった。肩肘張
らない歌とハモンド・オルガンの包み込むような響き。それは
きっとThree Chords & The Truthというアルバム表題以上の
ものだろう。

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# by obinborn | 2019-11-07 17:53 | one day i walk | Comments(0)  

11月2日のホンク


2日は東京ローカル・ホンクを中央林間のパラダイス本舗にて。
筆者にとっては半年ぶりのホンクだったが、明晰に発せられる
歌詞、磨き抜かれた演奏、鮮やかなコーラスと彼らは今回もパ
ーフェクトだった。さらにパラ本ならではの親密な空気も手伝
って至福度は頂点に達した。小さな会場だけにヴォーカル用の
フロント・マイク以外は使用せず、鮮烈なハーモニーを生のま
ま響かせた点もポイントだろう。楽曲を再現するだけで精一杯
な若手のバンドとは違い、リズムの骨組みが精緻かつ大胆なと
ころなど、まるで一番良かった頃のザ・バンドのよう。暗雲が
立ち込める今の時代でも、ホンクは直截なメッセージを発する
のではなく、日々の暮らしをスケッチすることで人の温もりや
ここにある町並みの愛おしさを伝えていく。そんな尊さを感じ
ずにはいられない夜だった。アカペラ・コーラスが冴え渡るア
ンコール曲「サンダル鳴らしの名人」の余韻がずっと続いてい
る。

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# by obinborn | 2019-11-03 08:35 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

ポール・バレアの死を悼む


ここ数年体調を崩しがちだったポール・バレアがとうとう逝って
しまった。99年の春にフレッド・タケットとともに行ったアクー
スティック・デュオ公演を吉祥寺のスターパインズ・カフェで観
たのが、私にとって78年夏のリトル・フィート以来のバレア体験
だった。その時に買ったツアーTシャツを一時期よく着ていたこと
をふと思い出した。バーバンクに生まれ育ったというから生粋の
カリフォルニアンだ。彼が68年に組んだリード・エニマなるロー
カル・バンドはアトランティックと契約する以前に解散し、今も
音源は公表されていない。またバレアは69年の10月に行われたリ
トル・フィート結成時のオーディションにベーシストとして応募
したものの却下されるという屈辱を味わっている。そんな彼が晴
れて第二期フィートのメンバーになったのは72年の春のことだっ
た。それ以来彼らがバンドの全盛期を迎えたのは繰り返すまでも
あるまい。ソングライティングでも演奏面に於いてもあくまでロ
ーウェル・ジョージが主役だったことは論を待たないが、それで
もローウェルが豪放なスライド・ギターで引っ張った後に、バレ
ルが指弾きの細かいパッセージで補強する辺りが彼らのトータル
な魅力であり、アンサンブルの枠組みをぐっと押し広げていった。
例えばアイルランドのロリー・ギャラガーはかつて「僕はローウ
ェルも大好きだけど、バレアの役割の方に興味があるよ!」と発
言していたくらいだ。さて、ポール・バレアのソングライティン
グ面を語るならば、やはり彼が単独で書き上げたSkin It Backを
筆頭に挙げるべきだろう。78年の初来日公演でもこの曲をオープ
ニングに持ってきたが、あの何とも言えない感動を覚えている方
は少なくないはずだ。同じバレア単独作ではHi RollerやMissin'
Youもずっと心に残っている。リンダ・ロンシュタドが思いの丈
を込めたAll That You Dreamの作詞が誰だったをあなたは覚え
ているだろうか?そしてバレアとペインがフィートへと最初に持
ち込んだ記念碑がWalkin' All Nightだった。ローウェルとバレア
のギターが絡み解れ、リズム隊が懐深いビートを供給する。そし
て歌を歌い始めるのは他ならぬポール・バレアその人だった。


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# by obinborn | 2019-10-27 18:21 | rock'n roll | Comments(0)  

アーニー・グレアムを巡る個人的な回想

Sくんと出会ったのは78年の夏だった。同じキャンパスに通い
ながらも僕が経済学部で彼が人文学部だったから授業で一緒に
なった記憶はないが、音楽が僕たちを結び付けてくれた。彼は
どこか仙人めいたところがあって、流行りの音楽には目もくれ
ず英米のスワンプ/SSWを当時から深く掘り下げていた。そん
なSくんが当時住んでいた石神井公園のアパートへと遊びに行
ったことは今もはっきり覚えている。隣の邸宅には売れっ子の
女優が住んでいること、トイレが離れにあったこと、ロジャー
・ティリソンのLPを眺めながら「僕たちもいつかこんな親父に
なってしまうのかね」と話したことなどなど...。その8月に彼
が帰省する際に貸してくれたロニー・レインの『Anymore For
Anymore』が僕の将来を決定付けてしまったのだから、本当に
運命とは不思議なものだと思う。僕らのキャンパスは江古田に
あり、午後の講義が終わると近くにあったロック喫茶クランへ
とよく行ったものだ。そのSくんがアルバイトの用事があって
今日は都合が悪いから2枚買っておいてよ、と言われたのが日
本で再発されたばかりの『アーニー・グレアム』だった。その
日急いで吉祥寺の中道商店街の奥にある芽瑠璃堂に駆け込んだ
のは言うまでもない。それから暫くの時間が流れた。Sくんと
久しぶりに再会したのは、ディスクユニオンで行われた僕の出
版記念イベントの会場だった。儀礼的な挨拶と会話が交わされ
た。それは互いの距離を測り兼ねるようなぎこちなさだった。
どちらかに齟齬や誤解があったとは思わない。何か決定的な溝
が生じた訳でもなかった。ただ30年以上の歳月が経っていた。

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# by obinborn | 2019-10-15 18:20 | one day i walk | Comments(1)  

あいトリ騒動に思う

先週のニュースプライムで知ったのは、「表現の不自由展」が
元々江古田にある小さな画廊、ギャラリー古藤で数年前に催さ
れていたことでした。それに感銘した津田大介氏が「あいトリ」
に出品を持ち込んだのが今回の騒動の発端です。天皇制の可否
というテーマにまで遡るアートを、私費でなく税金や助成金を
使いながら行ったことが今回のあいトリ問題の核心ですから、
やはり津田氏の思いが大衆の気持ちと必ずしも同期しなかった
点は、苦い教訓として受け止めてほしいですね。

ところがマスコミはあたかも表現の自由への侵害や事実上の検
閲だと言わんばかりに今回の事件をミスリードしました。でも
それは違います。私費を投じて個人のギャラリーで催されるア
ートへの干渉なら大問題ですし、恐らく僕自身も危機を感じた
ことでしょう。それは即ち自由に歌えなくなることや批評出来
なくなることと同義ですから。しかしながら公費をバックにし
た展覧会がこのように賛否を呼ぶことは必至でした。ごく平た
く言って”天皇の肖像をバーナーで焼くようなアート”にオレの
税金を使って欲しくない、というのは庶民一般の普通の感じ方
だと思いますよ。

天皇制を問題視するにせよ、また昭和天皇の戦争責任を問うに
せよ、今回のパフォーミング作品はアートとしてあまりに稚拙
であり、これは一体芸術なのか?それとも露骨な政治的プロパ
ガンダなのだろうか?と疑問は大きく湧き上がってきてしまい
ます。最後にもう一言だけアートに関する個人的な見解を述べ
させて貰うと、一定の思想を押し付けるのではなく異なる立場
にいる人々の考えを止揚し、鑑賞者にイマジネーションの余地
を残すのが本物のアートだと僕は思っています。

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# by obinborn | 2019-10-09 06:03 | one day i walk | Comments(0)  

フェイシズ『ウー・ララ』


世界一の酔っ払いロックンロール・バンドなんて言われたけれ
ど、華やかなパーティの後には寂しさが訪れることを知ってい
る人達だった。B面最後の「ウー・ララ」にはこんな一節があ
る「僕が若い頃、もっと自分を知っていたらなあ」楽器を片ず
け、アンプを車に積み、バンドは夜明け前に町を去る。そんな
悲しみに寄り添ったのがフェイシズだった。


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# by obinborn | 2019-10-03 17:42 | one day i walk | Comments(0)  

9月26日のサーディンヘッド


音による美しい散文詩。そう表現せずにはいられないサーディン
ヘッドのワンマンライブを26日は下北沢のLownにて。個人的に
は4月の青山・月見ル以来半年ぶりだったが、奔放かつ繊細な演
奏は山あり谷ありの大胆な起伏があり、今回もまたヤラレてしま
った。メンバー各自の演奏スキルがめちゃくちゃ高いのは勿論な
のだが、単なるインタープレイに溺れず、4人がしっかり連携し
ながらイマジネイティヴな音模様を描き出していく様は、一番良
かった頃のデッドやフロイドそしてクリムゾンを彷彿させるほど。
特に4月にお披露目となった新曲Rainmanでの二本のギター・ア
ンサンブルは息を呑むほど鮮烈だった。終演後丈二さんにお尋ね
したら「いやあ〜自然のままですよお〜笑」と謙遜されていたけ
れど、こうしたレベルの高い演奏が一夜漬けで達成出来ないこと
くらい僕にも解る。自分たちが持っている資質を信じ、たとえそ
れを疑わしく思った時でも諦めず、バンドの音をしっかり積み上
げていく。それがどんなに尊く価値あることだろう。そんなミュ
ージシャンシップを感じずにはいられない一夜になった。無償の
何かへと賭けていく。たとえ誰一人味方してくれない苦しい時期
でも、自分のなかに流れている最も柔らかいものを大切に育んで
いく。音楽はずっとずっと鳴り止まない。

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# by obinborn | 2019-09-27 01:38 | one day i walk | Comments(0)  

母へ、その2


本日告別式と出棺を無事に終えることが出来ました。ご心配
くださった方々のお気持ちに改めて感謝申し上げます。私と
いえば妹と地域のヘルパーさんに介護を任せっぱなしで、ろ
くに長男としての役割を果たすことは出来ませんでした。そ
の点をまず悔いています。当初は肺炎の疑いで急遽入院した
母でしたが、遺体解剖の結果、ここ数ヶ月の間で急速に癌細
胞が彼女の全身を蝕んでいったという余りに残酷過ぎる結末
を知らされることとなりました。それでも家族で母の最期を
見届けられたのがせめての救いです。けっして弱音は吐かな
い人でした。つい先日まではリハビリのためにプールで泳ぐ
習慣を続け、自ら素材を整えながら料理に励むなど普段の営
みを大事にした人でした。毎日の陽射しや雨音にしっかりと
耳を傾け、季節の変化のなかに機微を見出す女性でもありま
した。

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# by obinborn | 2019-09-22 21:50 | one day i walk | Comments(0)  

母へ

母が17日午後永遠の眠りに付きました。ご心配頂いた皆様
お気持ちをありがとうございました。葬儀・出棺に関して
は今週末近親者のみで行います。昭和9年の8月に生まれた
母は幼少時を旧満州国で過ごし、戦後やっと日本に帰り長
野県の上諏訪で少女時代を送りました。やがて当時教師を
していた父と出会い上京してからは、貧しい暮らしながら
も前向きな心を忘れず、私たち二人の子供を育ててくれま
した。恐らく戦時中の過酷な体験の反動なのでしょう。母
は人一倍読書や美術鑑賞などへの好奇心が旺盛で、西洋的
モダニズムへの憧憬が強かったと記憶します。ここでひと
つ思い出すのは、私がまだ10代の生意気盛りの頃のことで
す。滅多に声を荒げない彼女が、あるフォーク・シンガー
の歌う「みんな貧乏が悪いんや」という歌詞に同化してい
た私を珍しく叱責しました。母にしてみれば戦時下の苦労
も知らない中学生がそのような歌に安易に肩入れしてしま
う危険を本能的に察し、未来ある若者にはもっと明るく夢
のある歌を聴いて欲しいと願ったのでしょう。母のそうし
た想いは今なお根底の部分で私を支えています。84年と1
ヶ月の人生でした。母はその前半を厳しい昭和とともに駆
け抜け、後半の平成時代になって、やっと幾つかの安らぎ
の日々を掴んだのでした。

# by obinborn | 2019-09-18 20:32 | one day i walk | Comments(0)  

U18の高校生へ

U18の野球版ワールドカップで日本選手団が韓国の世論に
配慮して日の丸を消すなんていうニュースを知るといたた
まれなくなる。たとえ国旗が植民地時代の忌まわしい記憶
を呼び覚ますものだとしても、最近の韓国は単に外交カー
ドとして日本を屈辱しているに過ぎないので、とても不快
な気持ちだ。もちろん僕にも韓国の友達はいるし国民レベ
ルでは日韓ともに変わらぬ友好を願い、今の最悪の状況に
対し冷静に努めようとしていることは知っている。しかし
ながらここ最近の韓国政府の”駄々っ子ぶり”を眺めている
と、こっちだって「一体いつまで謝り続けなければいけな
いのだ?」とつい言いたくなってしまう(福嶋瑞穂さん的
には「永遠に謝ります」なのだろうけれど...)まして今回
のU18の主役たる日本の高校生に関して言えば、彼らには
何の罪もなく、スポーツを通して国際交流を深めたいだけ
なのだった。これでは日韓ともに信頼ある未来の関係は築
けないと僕は思う。あえて非常に解りやすく言えば「スポ
ーツに政治を持ち込むな!」である。

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# by obinborn | 2019-09-02 12:20 | one day i walk | Comments(0)