ラス・タイトルマンが回想するリトル・フィートのデビュー・アルバム

「リトル・フィートのファースト・アルバムは私が初めて
プロデュースしたレコードでした。69年当時のロスアンジ
ェルスを振り返ると、リトル・フィートはドアーズやステ
ッペン・ウルフやスリー・ドッグ・ナイトとは比較になら
ないほど無名でした。しかしフィートの連中はいつの間にか
L.Aで新たな音楽的コミュニティを築いていたのです。ロウ
エル・ジョージはとてもファンタスティックなソングライタ
ーであり、南カリフォルニアにフォーク・ロックの学校があ
るとすれば、それら全てを融合したようなものでした。そこ
にはハウリン・ウルフとザ・バンドとランディ・ニューマン
からの影響が認められましたね。とてもカントリー音楽の
匂いがして、そこにはトラック運転手がサービス・エリアで
休憩したり、ウェイトレスがにこやかに振る舞う様、あるい
はすっかり意気消沈した孤独な敗者たちが描かれていました。
そう、ローウェルはそれらを歌に託すのが実に上手かった。

私が彼と出会ったのはラヴィ・シャンカールの音楽教室で、
ちょうどビートルズが『サージェント・ペパーズ』を出した
67年のことでした。あのアルバムに収録されたジョージ・
ハリソンのシタール曲WithIn You,Without Youは衝撃的で、
私たち二人はすぐさまシタールを習おうと学校に通ったので
す。ローウェルは他の楽器にも手を伸ばし、ドラムス、尺八、
そして勿論ギターなども学んでいきました。やがてザ・バー
ズがTruck Stop GirlにWillin'と2曲もローウェルの曲を取り
上げてくれました。私はワーナー・ブラザーズのレニー・ワ
ロンカーのオフィスに彼らを連れていき、ローウェルとビル
・ペインはレニーを前にその2曲を歌い演奏したのです。ビ
ルは部屋に備え付けられていた小さなアップライト・ピアノ
を使っていたなあ。そしてレニーは即答しました『グレイト
だね!すぐさま2階に行ってモー・オースティンと契約して
こい!』ってね」

(ラス・タイトルマンの回想/2007年ニューヨークにて/
08年に再発されたリトル・フィート『ファースト』のモー
ビル・フィデルティ・サウンド・ラブ盤より)

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# by obinborn | 2018-09-30 18:20 | Comments(1)  

エディ・ヒントンの追憶

来月発売される『Eddie Hinton Songbook』を楽しみ
に待っている毎日です。英Aceのソングライター・シリ
ーズは様々なシンガーに歌われてきた名曲を作者別にま
とめて選曲するというテーマを持った素晴らしい企画で、
南部のアーティストとしてはこれまでダン・ペンの作品
集が記憶に残っていますが、いよいよエディにまで手を
伸ばしてくれたのかと思うと感慨深いものがあります。

曲目表を眺めたところ、ダスティ・スプリングフィール
ドの「ベッドで朝食を」やトニー・ジョー・ホワイトの
300 Pounds of Hongry、あるいはルルの「エディは何
処に」といったヒントン=フリッツによる代表作が収録
されており、まずはひと安心しました。こうした共作に
関してかつて私はドニー・フリッツに「どちらかが作詞
でどちらかが作曲という役割分担なのですか?」と尋ね
たことがあるのですが、彼が「違う!俺たちは一緒に曲
を書いているんだよ」と諭すように語っていたのが印象
に残っています。記憶を辿ると確かダン・ペンもスープ
ナー・オールダムとの共作について同じような主張をし
ていて、ここら辺は少なくともゴフィン=キングやウェ
ルズ=マンのように明確な分業体制が敷かれていたコン
ビとは、どうやら様相が大きく異なるようですね。

今回のSongbookシリーズで個人的に最も嬉しかったの
は、エディがマリーン・グリーンと共作し、ジャッキー・
ムーアによって歌われたCover Meと、エディが珍しく
単独で書き上げボビー・ウーマックに取り上げられたA
Little Bit Saltyの2曲です。特に後者のウーマック・ヴ
ァージョンはじっくりと熱を込めて歌うウーマックとマ
スル・ショールズのAチーム(ジョンソン/フッド/ホーキ
ンズ/バケット)の連携が見事で、また作者のエディ自身
もアクースティック・ギターで参加してもいます。さら
に感動的なのはボビーが得意とするモノローグの部分で
あり、こんなことが語られ歌われています。

「レコーディングも殆ど終わりかけた頃だった。僕はエ
ディに言ったのさ。ねえ、こんな歌でもやらないかって。
恋人に去られるまでは恋なんか解らない。人生も同じさ。
辛いことを経験して初めて素晴らしさが解るんだ。そう
なのさ。喉が乾くまで水の旨さなんか解らないだろ?」

このA Little Bit Saltyはボビーの76年作『我が魂の故郷
〜Home Is Where The Heart Is』に収められています。
当時の彼といえば最も油が乗っていた時期であり、その
知名度も飛躍的に伸びていた頃でした。そんなボビーが
エディ・ヒントンの曲を取り上げ、しかも曲中に彼の名
前を呼んだことは、さぞかしエディを勇気付けたことで
しょう。実際二年後の78年にエディは初めてのソロ・ア
ルバム『Very Extremenaly Dangerous』をリリースす
るのですから、彼にとってもキャリアに於ける重要な足
掛りとなったのでは?と想像しています。

特にヒットした訳でもないこのA Little Bit Saltyですが、
この曲にはそんな裏面史があり、それらを忘れることな
くSongbookに収録してくれた英Aceに感謝したい気持ち
で一杯です。なおこの曲のオリジナル・デモはエディが
95年に死去した後に、彼の音源を纏めて管理しているZ
aneレーベルが発表した『Songwriters Sessions』で、
やっと蔵出しされました。


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# by obinborn | 2018-09-29 17:49 | one day i walk | Comments(0)  

9月27日の吉村瞳

精力的に全国各地を回っている吉村瞳のライブを
27日は下北沢のラウンにて。自分の場合は三週ぶ
りだったが、この夜もまた一本芯の通った素晴らし
い歌とギターを聞かせてくれた。筆者にとっては
初体験となるリトル・フィートの「ディキシー・
チキン」とジャニス・ジョプリンの「ムーヴ・オ
ーヴァー」の2曲での骨太いスライド・ギターに
度肝を抜かれる一方、吉村の幾つかのオリジナル
曲では繊細な情景描写が際立つ。そんな両刀使い
が彼女の魅力だ。またこのところ頻繁に選曲され
ているケニー・ロギンスの名曲「プー横丁の家」
でのメリハリのあるヴォイシングにも胸を打たれ
た。

私と吉村とでは、世代的に言えばまるで父と娘の
ような関係だが、こうして70年代のルーツが時空
を超えていく様は、アメリカで言えば「両親が聞
いていた音楽に影響された」と語りながら、ジム
・クロウチやポール・サイモンらの楽曲を蘇らせ
るI'm With Herの感覚に近いのかもしれない。旅
先で目に映るもの、車の窓越しに通り過ぎていく
もの。それらを糧に吉村瞳はこれからも歌を携え
ていくことだろう。

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# by obinborn | 2018-09-28 10:24 | one day i walk | Comments(0)  

遥かに、イマムーへ

ホンクの会場で嬉しかったのは、彼らの初期のマネジャーだ
った今村佳子さんと久しぶりに再会したことだった。開演前
に少しお話しさせて頂いたのだが、今は別の国で暮らしてい
ること、たまたま日本に帰ってきた時にホンクのライブを知
り駆けつけたことなどを語ってくれた。幸いにも僕のことを
覚えていてくれた彼女と、僅かな時間だったものの会話して
いたら、何かとても温かい思いが込み上げてきた。

今でもはっきり2007年の秋を覚えている。当時行く宛もなく
毎日を無為に過ごしていた僕は、武蔵小山にあるライブカフェ
のAgainで働いていた彼女と出会い、東京ローカル・ホンクと
いう僕にとっては未知のバンドと引き合わせてくれたのだ。
そんなある日のこと、僕はイマムーから貰った名刺を頼りに
電話して、東中野のお店で行われたホンクのワンマンライブ
に駆け付けたのだった。寒さを感じ始めた12月のことだった。

あれから11年の歳月が経とうとしている。早いような気もす
るし、それなりの重みを持った時間だったとも感じる。その
感じ方はまるで毎日の天気のようにコロコロ変わってしまう
のだが、互いの名前を忘れずに言い合えたことを大切にした
い。イマムーとの思い出を反芻してみると、「東京で食べる
ランチは何でこんなに高いんでしょう」とか、「僕は富士そ
ばで間に合わせているよ」といった他愛のない会話ばかりで
ある。それでも彼女の飾らない性格のせいだろうか。それら
ははっきりと記憶に刻まれた。

音楽やバンドはこうしてその周辺にいる人々まで巻き込み、
それぞれのドラマを生み落としていく。年月を重ねればな
おさらのことだろう。イマムー、決してきみのことを忘れ
たりはしていなかったよ。またいつか会いましょう。


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# by obinborn | 2018-09-24 13:39 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:チャス・ホッジズ

チャールズ・ホッジズが亡くなってしまった。先日山本君
がイギリスでチャス&デイヴの野外ライブ(他の出演はク
ラプトン、ウィンウッド、サンタナなど)を観てきて、そ
の話を聞かせて頂いたばかりだったので、信じられない気
持ちである。音楽評論家のイアン・サウスワース氏は以前
「チャス&デイヴは英国の大道芸人みたいなもの。そこに
パブ・ロックのメンタリティを探すのは日本人だけだ」と
辛辣な見解を述べていたが、彼らのくすんだ情感に心奪わ
れた音楽ファンは少なくないだろう。

ヘッズ・ハンズ&フィートを皮切りに音楽活動を本格化さ
せたチャールズ・ホッジズはやがてデイヴ・ピーコックと
出会い、デュオのオイリー・ラグスを結成。74年に唯一の
アルバム『Oily Rags』を米シグネチャー・レーベルから
発表する。ザ・バンドにバディ・ホリー、アラン・トゥー
サン、クリス・クリストファーソンのカバーを収録したそ
の盤にはルーツ・ロックへの視座があり、日本ではブラッ
クホークが選ぶ99選にセレクトされたこともあって評判を
呼んだ。そのオイリー・ラグスを改めて76年に再出発した
のがチャス&デイヴだった。チャールズのピアノとデイヴ
のベースを基本とした間合いのあるシンプルでアーシーな
サウンドが彼らの魅力で、時にヘッズ・ハンズ&フィート
時代の盟友アルバート・リーのギターをフューチャーする
辺りがたまらなかった。そのリーが最初のソロ・アルバム
『ハイディング』でチャス&デイヴの名曲Billy TYlerを取
り上げていたことも忘れ難い。

個人的にはそのBillyTylerのオリジナル版を収録した77年
のセカンド『ロックニー』や、リーが参加した79年の『
ドント・ギブ・ア・モンキーズ...』辺りを本当によく聞い
たものである。前述したイアン氏の辛辣な評価は、恐らく
ロック・クラシックを数珠繋ぎにしたり、クリスマス・ア
ルバムを連発する安易な制作方針にあったのだろう。また
実際にイギリスではテレビ出演し歌い演奏するコメディア
ンという認識が一般的であろう。そのお笑いが低俗なもの
であったかどうかはイギリスの風習に疎い私には判断しか
ねるものの、そうした大衆路線をパブ・ロックのエリアで
展開したところにチャス&デイヴの生命線があり、それは
キンクスやボンゾ・ドッグ・バンドあるいはラトルズ辺り
に感じ取れる英ミュージック・ホールの伝統を受け継いだ
ものだと理解している。

チャールズさん、今まで長い間本当にありがとうござい
ました。あなたのホンキー・トンク・ピアノとコックニ
ー訛りそのままの歌声、その気取りのないユーモアが私
は大好きでした。アルバート・リーの『ハイディング』
にあなたの名前を見つけて心ときめいた日々が、まるで
昨日のことのようです。

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# by obinborn | 2018-09-23 17:41 | one day i walk | Comments(0)  

昨夜見た夢

音信不通になっていた夫婦から声が掛かり、久しぶりに
彼らの家に遊びに行った。豪華な食事でもてなしてくれ
たが、どうにも話が弾まない。それを察したのか夫婦は
そろそろバンドを呼びましょうと言って、地下室に私を
誘った。何と彼らは家にバンドをレンタルしたらしい。
しかしそのバンドがまた最悪で、こんなものを観るくら
いなら死んだ方がマシだと思い、私は地下室からの逃げ
道を探り、四苦八苦しながら非常階段を登りやっと地上
に辿り着いた。そこは恐らく家の庭園なのだった。私は
軽く安堵したのだが、それも束の間だった。例の夫婦が
ヘラヘラ笑いを浮かべながら手錠で私をロックしてしま
った「オビよ、お前は詰めが甘いんだ。こうなる事態を
予測出来なかったとはな!」と彼らは言い放った。私は
歯軋りしながらこう言い返した「来てみればこのザマだ。
お前らもすっかり落ちぶれたな」と感嘆してみせ、涙を
浮かべて同情を買おうとした。その一瞬のスキを狙った
私は彼らを足蹴りにし、手錠を嵌められたまま逃走した。
とにかく全速力で逃げた。しかしまた彼らが私を待ち構
えていた。どうやらバンドの連中も彼らに加担し、さな
がら愚連隊の様相を呈してきた。私は舌打ちをしながら
また逃げた。左の道を行き右の道を探り、地下に再度潜
ったり四苦八苦して最後には自分が何処にいるのか解ら
なくなった。草と土の匂いがした。また庭に戻ってきた
らしい。夜はまだ明けず、私は漆黒の闇の中で途方に暮
れ、やがて睡魔に襲われてこのまま死んでいく自分を感
じた。何処か遠くでコオロギの鳴き声がした。それは甘
美な旋律のように響いた「還暦前に死ぬとは予想不可能
だったな」と私は呟き、もう一方の頭では自分の家の照
明をLEDに変えて電気代が安くなったことをぼんやりと
思った。最期に考えるのはこんなくだらないことなんだ
なと苦笑した。どうやら天使は現れないらしい。毒ワイ
ンが身体中に回り、私は遂に意識を失った。


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# by obinborn | 2018-09-20 04:34 | blues with me | Comments(0)  

ザ・バンドの匿名性〜next of kinについて

next of kin(親族の、同種の)という言葉は、リック・ダンコ
が歌う「火の車」に出てくるのだが、ジョージ・ハリソンが嘆
いた英国盤の『ビッグ・ピンク』で省略されてしまったのが、
下記の写真next of kinである。ジョージが気に入ってアップル
にアセテート盤まで作らせたデラニー&ボニーも、スタックス
からのデビュー・アルバム『ホーム』では祖父と一緒のデラボ
ニ夫妻が写っていたから、こうした家族的な雰囲気にジョージ
が何らかの気持ちを動かせていたことは想像に難くない。

今改めてこの写真を見直してみると、中央に立っているリチャ
ード・マニュエルの若さと端正な顔立ちに驚かされる。リヴォ
ン・ヘルムはかつて「リチャードこそがザ・バンドのリード・
ヴォーカルだと思っていたよ」と述懐していたが、68年のデビ
ュー・アルバムの時点では、リチャードがグループの一番星だ
ったのかもしれない。

そんなリチャードも、リヴォンもリックも”親族たち”のなかに
紛れ込んでいる。最初は誰がザ・バンドのメンバーかが判然と
しなかった経験をされた方はどのくらいだろうか。実際に聞こ
えてくる音楽も、手巻きオルガンのような悲しい調べと老人の
嘆きが混ざり合う「怒りの涙」から始まっていた。”俺の叫び
を聞け!”というのが60年代後半のユース・カルチャーの生命
線であるならば、ザ・バンドはそこから遥か遠くに離れていた。

そっと老婆に寄り添うような「淋しきスージー」が、デイル・
ホウキンス(奇しくもザ・バンドを育てたロニー・ホウキンス
の従兄弟)のガール礼賛「スージーQ」への反語にも聞こえて
くる。カーレン・ダルトンのカバー・ヴァージョンでも知られ
る「イン・ア・ステーション」が、時代という迷宮を彷徨うエ
レジーのように響く。アルバムの最後に置かれた「アイ・シャ
ル・ビー・リリースド」でやっと立ち昇る希望も、無名の囚人
たちが塀越しに眺める朝靄のようだった。

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# by obinborn | 2018-09-14 18:27 | one day i walk | Comments(0)  

9月6日の吉村瞳

6日は新橋のアラテツにて吉村瞳のワンマン・ライブを。
ダニー・オキーフのGood Time Charie’s Got The Blu
esに始まり、マディ・ウォーターズのRollin' and Tumb
lin'で最後を締めるまでの約90分、吉村は今回も圧倒的
なステージを見せた。骨っぽいヴォーカル、技量あるギ
ター、ルーツ色全開の選曲と、どれも文句の付けようが
ない。この夜も前半をラップ・スティールで統一し、後
半を通常のアクースティック・ギターに切り替える場面
転換が鮮やかで、時間が経つのをしばし忘れた。スティ
ーブ・ヤングのSeven Bridges Roadやヴァン・モリソ
ンのCrazy Loveといった古典を取り上げる姿は、フォー
ク・ミュージック本来の”語り部”としての意義を感じさ
せる。昨今は雰囲気勝負の女性SSWも少なくないが、
筆者の知る限り、中村まりと吉村瞳は格が違うなと思っ
た。たとえ大地が裂け山が崩れても、彼女たちは歌って
いくことだろう。

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# by obinborn | 2018-09-07 06:21 | blues with me | Comments(0)  

服部高好著『最後の切り札〜米国ルーツ音楽再訪』を読んで

『アンシーン・アンド・アンノウン〜アンサング・ヒーロー
達から聴こえる米国ルーツ音楽』に続く、服部高好氏の著作
が届いた。前回も渋い音楽家ばかり取り上げられていたが、
今回もカンザス・シティ・ジャズのジェシ・ストーンやルイ
ジアナ・バイユーのリロイ・ワシントンといった、日本では殆
ど語られることのないミュージシャンに光が当てられている。

服部氏の評論スタイルはごくオーソドックスなもので、対象
となる音楽家の史実をまずはきちんとリサーチし、その楽曲
のカバーや関連ミュージシャンを通して理解を深めていく方
法を取る。文章はごく平易な筆致だが、これだけ深く掘り下
げる人も珍しい。わずか4人の音楽家にA4サイズ370項を
費やし、膨大な注釈とコラムで本文を補完するという徹底ぶ
り。その情熱に瞠目するプロの音楽評論家もいるだろう。

とりわけイアン・マクレガンとビル・カーチェンの章はルー
ツ・ロック愛好家の共感を呼びそうだ。彼らが青年期に影響
を受けた楽曲や人脈から興味を広げ、文字に落とし込んでい
く様には、思わぬパーツからミッシング・リングが完成して
いくような喜びが伝わってくる。奇しくもマクレガンとカー
チェンの場合、英米を跨ぎながら活動していったキャリアの
持ち主だけに興味が尽きない。

今回の著作には『最後の切り札〜米国ルーツ音楽再訪』とい
うタイトルが冠されている。とかく沈滞気味の音楽ジャーナ
リズムだが、悪しき状況を一喝する”最後の切り札"(An Ace
In The Hole)になって欲しい。そんな愛すべき私家版だ。

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# by obinborn | 2018-09-02 09:30 | Comments(0)  

残暑奇譚:オビン、婆さんに救出されるの巻

忍者「大将、とうとう熱中症にやられましたね!」

猟奇王「一時は天下を取ったワシとしたことが不覚じゃ。
久しぶりに丸長のつけ麺食べたまでは何でもなかったん
じゃがのう〜」

忍者「天下を取ったって...大将の場合練馬区限定じゃないっすか。
最近はもっぱら引退した悲しい音楽評論家と噂されてまっせ」

猟奇王「ナニい?もう一度言ってみい!聞き捨てならんな!」

忍者「まあ、そうカッカしないでください。そんな調子でいつ
もディスクユニオンの若い店員を説教しているんですか?」

猟奇王「いや〜、西友の帰りに頭が一瞬クラクラしてしまって
な。今日も順調に働いておったんやが、最寄りの日陰でうずく
まってしまったら、近くにいた婆ちゃんが氷をくれてな。いや
〜ホンマ救われた」

忍者「若い娘だとこうは行きませんからねえ〜」

猟奇王「できればタンクトップの姉ちゃんから氷貰いたかったのお〜」

忍者「またそんなことを!婆ちゃんに菓子折り持っていった
ほうがいいっすよ、大将」

猟奇王「バアさんに助けてもらうとは、トホホ、ワシも焼きが
回ったもんじゃ。ところで今日も買ったぞ。リンダDON'T CRY
NOWのオリジナル・マスター盤、スティーヴ・ジョーダンの
『サンフランシスコ大地震』、ジム・パルト『OUT THE WIN
DOW』の3枚じゃ」

忍者「.....」😱


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# by obinborn | 2018-08-30 14:24 | one day i walk | Comments(0)  

ボズの新作『OUT OF THE BLUES』をジョー・スコットを通して理解を深める

ボズの新作で驚かされたのはジョー・スコットの名前が記されて
いたことだ。正確には「このホーン・アレンジはジョーのオリジ
ナル編曲を元にしています」とクレジットされており、筆者はも
うそれだけで胸に熱いものが込み上げてきてしまった。ジョー・
スコットといえばデューク/ピーコック・サウンドに欠かせない
トランペッター&バンド・リーダーであり、ボビー・ブランドや
ジョニー・エイスやジュニア・パーカーの作品で馴染んだブルー
ズ/R&Bファンは少なくないだろう。

そんなジョーの名前をわざわざ楽曲のパーソネルに書き、アレン
ジ自体も60年代初頭のデューク/ピーコック録音に倣った部分に
ボズのブルーズ音楽に対する深い愛情を感じずにはいられない。
しかもボビーをカバーした2曲に限って、その旨がさり気なく書
かれている。それを知った時、私は思わず震えてしまった。

ダウンローディング世代にはアルバムのパーソネルを丹念に追い
かける人はきっと少ないはず。しかしながら、それを丁寧に読み
込んでいけばミュージシャンの音楽的な背景を理解する一端とな
ると思いたい。そんなこともあって、本作『OUT OF THE BLU
ES 』はより親しい存在になった。挙げた音源はボビー・ブラン
ドが61年にリリースした『TWO STEPS OF THE BLUES』に
オリジナル・ヴァージョンが収録されている。この曲が58年以上
経った今蘇る。その温故知新を噛み締めたい。テキサスで少年期
を過ごしたボズにとって、ヒューストンを根城にしたデューク・
ピーコック・サウンドはきっと子守唄のようなものだったろう。


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# by obinborn | 2018-08-26 18:53 | blues with me | Comments(0)  

孤独な男の自画像〜ボズ・スキャッグスの新作『OUT OF THE BLUES 』を聞いて

ボズ・スキャッグスの新作『OUT OF THE BLUES』、
めちゃくちゃゴキゲンなアルバムですね!97年の『
COME ON HOME』辺りから兆しがあったバック・ト
ゥ・ルーツな姿勢を一段と強化したブルーズ/R&Bアル
バムで、彼が育ったテキサスの風土はボビー・ブラン
ドが歌ったI've Just Got To Forgetのカバーにしっか
り聞き取れる。この意気込みがとにかく嬉しい。他に
も西海岸ブルーズの粋を伝えるジミー・マクラクリン
のI've Just Got To Know、シカゴ・ブルースの巨人
でありながらルイジアナ辺りのレイジーな空気を醸し
出すジミー・リードのDown To Verginiaなど、一筋
縄ではいかないチョイスにボズの矜持を感じずにはい
られない。ロック方面ではニール・ヤングが混迷期に
残したOn The Beachに光を当てている。

演奏陣はウィリー・ウィークスb、ジム・ケルトナー
ds、今やボブ・ディランの片腕として絶大な信頼を得
ているチャーリー・セクストンg、あるいはエリック・
クラプトンやデレク・トラックス周辺のキーパーソン
であるドイル・ブラムホール2世らが、すべてを削ぎ
落とした(それ故に芳醇な)演奏をじっくり聞かせる。
逆に心配してしまうのはボズの主な購買層となるAOR
ファンが本作の世界に付いてこられるかどうかで、こ
こまで徹底したダウン・トゥ・アースな路線に、一切
口を挟まなかったコンコード・レコーズにも敬意を表
したい。プロデュースは勿論ボズその人であり、多く
のヴェテラン・アーティストがそうであるように、残
された時間を使って自分を育ててくれた音楽に恩返し
したいという思いが直に伝わってくる。

あらゆる土地を旅してきた。各地で絶賛されるトップ
・アーティストになった。それでもビジネスと自分の
本当にやりたい音楽との齟齬は隠せない。一人滞在先
のホテルに帰り、テレビを眺める時の空虚な気持ちか
らは逃れようもない。そんなボズ・スキャッグスの姿
を想像してみると、本作に掲げられたOUT OF THE
BLUESという言葉が、彼の自画像のように思えてきた。


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# by obinborn | 2018-08-24 18:35 | blues with me | Comments(2)  

8月23日の吉村瞳

平成のデルタ・レディこと吉村瞳は23日も堂々たるステージ
を繰り広げた。ボニー・レイットを規範としたどこまでもダ
ウン・トゥ・アースな音楽志向と瑞々しい歌心が、自由が丘
のバードソング・カフェを満たした。とくに今回は一時封印
していたワイゼンボーンが復活し、通常のアクースティック
・ギターと振り分けるコントラストがあまりに鮮烈だった。
彼女の看板となるスライド・プレイを押し出しながらも、技
に溺れず、あくまで楽曲を際立たせるための影絵とする。時
に自らのリズム・ギターをループ使用しつつ、ボトルネック
のソロを取る姿に、新しさを感じられる方もいるだろう。

第二部で歌われたゴフィン=キングの「ナチュラル・ウーマ
ン」とビル・ウィザーズの「リーン・オン・ミー」に筆者は
心が溶けそうになった。R&B・ソウル畑で有名になったこの
2曲が、飾らないソングライター・ヴォイスで歌われる。そ
の価値は一体どれほどのものだろう。「終戦記念日にこの曲
を選びました」というMCに続いて歌われたエリック・カズ
の「クルエル・ウィンド」にしても、原詞をしっかり理解し
たシンガーならではの思いが存分に伝わってきた。

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# by obinborn | 2018-08-24 06:24 | blues with me | Comments(0)  

音楽評論家・吉原聖洋さんの死を悼む

音楽評論家の吉原聖洋さんが亡くなった。以前から病を患って
いたがとうとう帰らぬ人となってしまった。80年代から媒体に
書いていた彼は僕の大先輩であり『ミュージック・ステディ』
や『Pop-Ins』といった雑誌でよくお名前を拝見していた。ま
た佐野元春のコンサートに行くと僕の近くの席にいらっしゃる
ことが多かった。但し紹介してくれる人に恵まれなかったので、
吉原さんと直接話す機会は遂に叶わなかった。またクリティッ
クとして僕を認めてくださったかどうかも解らないが、二歳上
の彼と並走するように佐野元春のテキストを書いてきただけに、
今は喪失感でいっぱいだ。初期から佐野と親交があった吉原さ
んはライフワークとして佐野元春の評伝を書き上げる予定だっ
たとか。その夢が途絶えてしまったことが悔やまれてならない。
彼が優れた文章家であることは、恐らく最後の原稿となった「
自由の岸辺への長い旅」を読めば感じて頂けるだろう。そこに
はイマジネイティブな閃きがあり、違う角度から物事を見る視
点があり、あえて自問も隠さないほど正直なものだった。

心より吉原さんのご冥福をお祈りします。



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# by obinborn | 2018-08-22 17:41 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:ジニー・グリーン〜生粋の南部娘

ジニー・グリーンが亡くなってしまった。近年はずっと病気
を患っていたらしいが、とうとう力尽きてしまった。僕がま
ず最初に彼女の名前を意識したのはボズ・スキャッグスのメ
ジャー・デビュー作(69年)でドナ・ゴドショウらとバック
・コーラスを担当していたからだった。ゲイトフォールドの
ジャケットを開くとマスル・ショールズのAチームやデュエ
イン・オールマンらとともに彼女らの写真があった。同じ頃
にはエルヴィス・プレスリーの名作『イン・メンフィス』に
も参加していた。そんなジニーが頭角を現したのは、何とい
ってもアラバマ・ステイト・トゥルーパーズのフィーチャリ
ング・ヴォーカリストとして登用されたからだろう。このR
&Bレヴュー・バンドは何でもエレクトラ・レーベルがドン
・ニックスのセカンド・アルバム『LIVING BY THE DAYS』
をプロモートするために結成されたそうだが、戦前ブルース
の巨人ファーリー・ルイスを広くロック・ファンに知らしめ
る役割も果たした。そのバンドのツアーの模様を収録した2
枚組のライブで、ジニーはティッピー・アームストロング作
の「JOA-BIM」に全身全霊のゴスペル・フィールを込めてい
た。

そんなジニーがエレクトラからようやくソロ・デビューした
記念碑が『Mary Called Jeanie Greene』(71年)である。
アラバマ・ステイト・トゥルーパーズで交流したドン・ニッ
クスがプロデュース役に収まったのはごく自然な流れだった。
前述した「JOA-BIM」のスタジオ録音版をはじめ、アルバー
ト・キングが傑作『LOVE JOY』の最後に収録していたニッ
クス=ダン・ペン作「Like A Road Leading Home」やドニ
ー・フリッツとアーサー・アレクサンダーが共作しアレクサ
ンダーが72年のワーナー盤で発表した「Thank God He Ca
me」などを収録した到底忘れられない名作だ。ニックスにし
ては珍しくシャッフル・ビートで跳ねる「Only The Childre
n Know」で可憐な表情を見せるジニーも大好きだった。ミシ
シッピー州に生まれ、10代の頃にはチェット・アトキンスに
見出され、メンフィスのサン・レコードに吹き込む機会もあ
ったとか。そんなジニーは生粋の南部娘だったに違いない。
残念ながらソロ・アルバムはこのエレクトラ盤のみというキャ
リアに終わってしまったが、彼女のような脇役がいたからこ
そ、70年代にゴスペル・ロックのシーンが豊かに育まれたこ
とを忘れたくない。まるで草原を笑顔で駆け抜けるような「
Only The Children Know」を聞いていると、失ってしまっ
たものの大きさに初めて気が付く。


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# by obinborn | 2018-08-21 18:26 | one day i walk | Comments(0)  

8月18日のイトウサチ&ブンケンバレエ団

18日はイトウサチ&ブンケンバレエ団を高円寺のJIROKICHI
にて。難産の末に完成した新作『きぼうのうた』のレコ発ライ
ブだけあって、超満員となった会場を前にイトウは達成感に満
たされた清々しいまでの笑顔を見せた。一番良かった頃のリン
ダ・ルイスを彷彿させるヴォイシングと、アクースティック・
トリオならではの骨格を剥き出しにしたシンプルな演奏がひた
すら気持ちいい。時にゲストとして鍵盤とパーカッションを加
えた色彩感溢れるグルーヴは、ジョニ・ミッチェルの『コート
&スパーク』や『夏草の誘い』を懐かしく思い起こさせる。

散文詩のような歌詞もいい。きっと彼女は言葉が説明的になっ
てしまう危うさを本能的に回避しているのだろう。だからこそ
削ぎ落とされた一字一句が際立ち、聞き手にイマジネイション
の余地を与え、ザクザクと刻まれるカッティングやしっとりと
したフィンガー・ピッキングを伴いながら胸に染み渡る。歌の
主人公が動き始め、自分の窓から見える世界を丁寧に描き出す。
そう、季節の変わり目のようないわし雲を見上げながら。


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# by obinborn | 2018-08-19 00:37 | one day i walk | Comments(0)  

ココモに最初の雪が降る〜アリーサのために

英国のパブ〜ファンキーロック・バンドにかつてココモがいた。
グループ名はアリーサ・フランクリンの自作曲「ココモに最初
の雪が降る」に由来すると伝えられている。アリーサが72年の
傑作『黒人賛歌』で発表したナンバーだ。ダイナミックな歌唱
で知られる彼女が、珍しく抑制の効いたヴォーカルを聞かせる
ナンバーだが、そこからネーミングしたココモの気持ちが僕に
は何となく理解出来たものだ。そんなココモは75年のデビュー
・アルバムでアリーサの妹であるキャロリン・フランクリンが
書いたAngelを取り上げている。姉のアリーサは73年のアルバ
ム『Hey Now Hey』で歌っていた。

アリーサの訃報が伝えられた日、真っ先に僕が思い起こしたの
は「ココモに最初の雪が降る」のエピソードであり、ココモの
パディ・マクヒューが歌うAngelだった。



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# by obinborn | 2018-08-17 22:21 | one day i walk | Comments(0)  

73回めの終戦記念日に

昭和33年生まれの私は考えてみれば戦後13年めに誕生した
典型的な「戦争を知らない子供たち」の一人だった。その
代わり両親や親戚から戦争の悲惨さを直に何度も聞かされ
た。今亡き父は気象庁に勤めていたのでかろうじて兵役は
免れていた。母親は少女時代旧満州に疎開する体験をして
いた。また町のお祭りに行けば普通に傷痍軍人が頭を垂れ
ながら募金を募っていた。片手や片足がない彼らの姿は子
供心に衝撃的であった。私のような戦後第一世代がもはや
60歳近くとなり社会の第一線から退きつつある今、私たち
の親世代に至ってはもはや他界する一方である。こうして
戦争の語り部が少なくなってしまったことを残念に思う。
そのせいか平成生まれの若者たちに戦争のリアリズムが伝
わらないのは仕方ないのかもしれない。

社会が何らかの閉塞感に覆われた時、孤立的愛国主義者が
台頭し人々に連帯を煽る。「美しきニッポン」なる安易な
キャッチコピーが躍り、マイノリティをバッシングする。
学校の教科書から真実が削除され、官僚や政治家から批評
能力が消えてしまう。恐ろしいことにそれが今の日本の現
実なのだ。私個人の力など微々たるものだが、それでも何
らかの牽制役となり、この世界を変えていくことは不可能
ではあるまい。それが私たち戦後第一世代の責務ではない
だろうか。今私はそんなことを考えている。


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# by obinborn | 2018-08-15 19:07 | one day i walk | Comments(0)  

再訪:ネッド・ドヒニー『ハード・キャンディ』

関東地方はもの凄い豪雨だったので今日はレコ屋再訪を諦め、
家で『ハード・キャンディ』ばかり繰り返し聞いていた。こ
ういう名盤をすぐに取り出せる自分を褒めてあげたい(笑)
ジャジーな「ヴァレンタイン」でジョン・ガーリン(L.Aエク
スプレス)が叩く以外は、全曲ゲイリー・マラバーがドラムス
を担当しているのが印象的だ。ネッド・ドヒニーはファースト
でもマラバーを全面に起用していたから、何らかの信頼関係が
生まれていたのだろう。マラバーは西海岸のスタジオマンとし
てはゴードンやケルトナーのような超売れっ子という訳ではな
かったものの、ジーン・クラークの『ホワイト・ライト』やヴ
ァン・モリソンの『ムーンダンス』での名演は、数多くのSSW
ファンがきっと胸に刻んでいることだろう。そんなマラバーが
本作のようなホワイトR&Bとバッチリ対応したことに今さらな
がら驚かされる。猛練習をしたのか、元々16ビートへの理解が
あったのかはよく解らないが、ともあれそれは嬉しい驚きだっ
た。『ハード・キャンディ』が最初から最後まで見事に一貫し
た方向性を保っているのは、きっとマラバーの功績に違いない。
サルサ・タッチの「シング・トゥ・ミー」でさえ、そのハマり
まくったドラムは聞き逃せない。そしてデヴィッド・フォスタ
ーのキーボードが時代を切り開いていく。とかく夏の風物詩と
して語られがちな『ハード・キャンディ』だけれども、そこに
白人SSWによる真摯なソウル・サーチンがあったことを忘れて
はなるまい。そのリズミックな語彙の数々は、今も目眩がする
ほど鮮やかだ。そういえばスティーヴ・ミラー・バンドの傑作
『フライ・ライク・アン・イーグル』で素晴らしいドラムスを
披露していたのも、ゲイリー・マラバーその人に他ならなかっ
た。奇しくもそれは『ハード・キャンディ』とほぼ同時期に
生まれた76年のアルバムだった。
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# by obinborn | 2018-08-13 19:02 | one day i walk | Comments(0)  

左派・リベラルを覆う「自分たちは正しい!」という病

以前菅野完のスキャンダルについて、何で左派・リベラルは
スルーしているんだ?と問題提議したが、やっと想田和弘氏
からまっとうな意見が出てきた。まずは彼のツイ全文を引用
しておこう「菅野完氏の深刻なスキャンダルが、反安倍派か
らほぼスルーされていることに違和感を覚える。これでは何
をやっても安倍ちゃんを擁護する安倍派と相似形です。安倍
派も反安倍派も、世界を敵と味方に分けて味方の問題には目
をつぶる『部族主義』に陥っているようにみえる」

ここで思い出すのが前回の都知事選での鳥越サンの醜聞だ。
あの時も左派・リベラルは彼のセクシャル・ハラスメント
を無視するばかりか、こういう問題に一番敏感であるはずの
女性たちまでが「今はそういう時ではない。一丸となって我
らの選挙を勝ち抜こう!」などと、めちゃくちゃなことを言
っていた。こういうダブルスタンダードという欺瞞に保守・
右派が反発したのは当然だろう(結果惨敗)

菅野に関しては今回発覚したアメリカ留学時代のDVだけで
なく、以降日本に帰ってきてからも強姦罪で女性から訴えら
れ裁判沙汰になったことが記憶に新しい。たとえ森友問題で
鋭く切り込むジャーナリストであっても、このような悪癖を
持つ男は裁かれるべきだというのがぼくの考えだ。

それにしても左派の総本山とも言うべき想田氏から『部族
主義』と言う内部批判が出てきたのは興味深い。部族をそ
のまま党派性やセクト主義に置き換えても構わない。そして
「自分たちは正しい!」と言う信念や思い込みが、いかに
一方的で脆弱なものかを知って欲しい。浅間山荘から地下
鉄サリンまでの醜悪な事件も、まさに『部族主義』がもたら
した醜悪な結末だった。

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# by obinborn | 2018-08-08 04:56 | one day i walk | Comments(1)  

この荒れ地を想う〜ソーシャル・ネットワークの現状

電車に乗ると横一列で殆ど全員がスマホをしている。向こう
から見れば私もそういう感想を持たれているのだろう。これ
は少なくとも1997年前後には考えられなかった光景である。

ある者は友人とのラインに興じ、また別の者は天気予報やニュ
ースをチェックし、また違う者は自分が投稿したTWの反応に
一喜一憂するのだろう。それ自体は罪ではない。私だって同じ
ような輩の一人である。ただSNSを通した未成年どおしのイジ
メには心が塞がってしまう。大人になってからネットを知った
私のような人間であれば、SNSに疲弊した時は数日間スイッチ
を切るなどして距離感を掴めるのだが、生まれた時からネット
環境があった世代の場合、恐らく様相が異なるのではないだろ
うか。私自身体験があるが、画面を通して為される言葉の中傷、
罵倒、屈辱などはちょっと信じられないほど衝撃を受けるもの
だ。それがまだ心に余裕がない小学生や中学生に適応された時
のことを思うと身が竦む。

今やTWは左翼と右翼とがウンコを投げ合う言葉の荒地と成り
果て、FBはリア充の承認欲求に塗れた大人の報告ごっこと化
してしまった。多少なりとも知性のある者、抑制を知る者、ゲ
ームに参加しないと誓った強靭な者であればやり過ごすことが
出来る。笑い飛ばすことが出来る。音楽や読書や運動そのもの
に全身で没頭出来る。しかし未成年がSNSに関わる場合、画面
に現れた言葉や絵文字はときに凶器へと化けてしまう。こうい
う未来図を20年前に想定出来た者はごくわずかであろう。今や
現実がサイエンス・フィクションを超えてしまった。

しかし何も落胆することはない。逆説的ではあるが、SNSを通
して良きこと、信じるに値する何か、美しいものに出会って心
が溶け出していく自己放棄の感覚(あの夏の感じ)を表現するこ
とは出来るだろう。荒れ地に投げられ傷ついた無数の魂を思うと、
それが私たちの世代の責務のように思えてならない。


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# by obinborn | 2018-08-02 17:36 | blues with me | Comments(0)  

杉田代議士から覗く復古主義

LGBTのことを考えるといつも思い出すのは、ある会社の
事案である。たまたま私が勤めていた企業の得意先だった
ので知るところになったのだが、その得意先のある社員が
ゲイで、しかも女装して営業外勤したのが原因となり解雇
されたのだ。これは裁判にもなったのでひょっとして覚え
ている方がいらっしゃるかもしれないですね。大げさに言
えば人権と社会通念との戦いでもあったが、まあ自分の会
社にオカマちゃんが営業に来れば、大抵の人は善悪以前に
ただひたすら狼狽するだろうし、クビにした経営者の判断
に(その立場だったら余計)傾いたかもしれない。

今回の杉田水脈代議士の発言に関しては、日本の保守層に
根強く残っている「産めや増やせや」「男は働き女は家庭」
という通念を吐露したもので、驚くに値しない。70数年前
まで富国強兵のスローガンを掲げていた国の価値観がそう
簡単に変わるとは思えないからであるが、国が何らかの閉
塞に陥ると彼女のような復古主義が台頭してくるという点
は記憶に留めておきたい。


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# by obinborn | 2018-07-30 07:15 | one day i walk | Comments(0)  

再訪:ボニー・レイット『ファースト』

吉村瞳ちゃんを構成する10枚なんていうのを勝手に妄想して
いるのだが、間違いなくボニー・レイットはエントリーされ
ることだろう。骨太なヴォーカルとスライド奏法そしてルー
ツ音楽への確かな眼差しという点で共通する。レイットは自
ら書いたライナーノーツにこう記している「ミネトンカ湖近
くの西ミネアポリスからおよそ30マイルほどのエンチャント
島で私たちは虚しいサマーキャンプを過ごしました。そこで
出来た音楽がここに収録されています。私たちはベーシック
な4トラックでのレコーディングを心がけました。そう、音
楽が持つ自発性とナチュラルな感情を失わないためにね。ミ
ュージシャンが個々の仕切り板に入り、彼らそれぞれのパー
トを完璧にオーバーダビングすることも出来たことでしょう。
でも私たちはその完璧という誘惑に音楽を生け贄として差し
出したくなかったのです」

今これを読み返せば、まだ20代前半だった小娘の背伸びした
感情や鼻っぱしの強さも感じる。しかし、一見青臭いこうし
た想いが、以降どれだけレイットの音楽を豊かに育んでいっ
たを思うと、彼女の審美眼の確かさに心打たれる。敬愛する
シッピー・ウォーレスの2曲、『RCAブルースの古典』で私
が知るところとなるトミー・ジョンソンの曲の生き生きとし
た解釈、ジャズ・スタンダードとなるバド・ジョンソン作の
Since I Fell For Youの瑞々しさ、あまり自作しないレイット
が珍しくソングライティングに取り組んだThank Youでの実
感など、21世紀から18年経った今なお、聞かれるべき71年の
記念碑がここに。ロバート・ジョンソンのデルタ古典Walking
Bluesのレイット版はどうだろう。そこに私は人々が泣き笑う
光景を受け止め、驚愕する。

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# by obinborn | 2018-07-28 18:26 | blues with me | Comments(0)  

7月26日の吉村瞳

26日は吉村瞳のソロ・ライブを下北沢のラウンにて。
僕にとっては2回目の体験だったが、少しずつ彼女の
輪郭が見えてきたような気がする。繊細なフィンガー
・ピッキングからドローン効果を上げていく力強いコー
ド・ストロークそして息を飲まずにはいられないスラ
イド奏法まで、吉村は変幻自在にアクースティック・
ギターを繰り出す。抑揚の効いたヴォーカルもまた見
事なもので、オリジナルの楽曲に交えたザ・バンド、
ボビー・チャールズ、エリック・カズ、ロス・ロボス、
ジョージ・ハリソンらのナンバーが鮮烈に響き渡って
いく。アンコールではフレッド・マクダウェルのKok
omo Bluesまで飛び出すほどで、若い娘が切り取るア
メリカン・ルーツ音楽の数々に喝采を叫ばずにはいら
れなかった。あるお祭りの夜にふと耳にしたオールマ
ンズのRamblin'ManとJessicaがきっかけとなり、吉
村はギターを習い始めたという。その偶然に感謝せず
にはいられない。土曜には熱海でのギグが控えている。
台風を心配する彼女だったが、新しい土地と場所でき
っと吉村はまた歌を育んでいくことだろう。


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# by obinborn | 2018-07-27 00:20 | blues with me | Comments(0)  

Just My Imagination

この一ヶ月で最も心に残ったのが、矢作史生さんの音楽論考
だった。彼はブルース・スプリングスティーンのBobby Jean
について、およそ以下のように考察する「青年期に於ける友情
と別れを主題にしたこの歌には実在のモデルが存在する。しか
し、この歌は聞く者一人一人にそれぞれのBobby Jeanを思い
起こさせる力を持っている」と。そう、まさに私たちにはかつ
て同じような服、同じような音楽、同じような映画を好んだ友
がいただろう。この歌はそうした多感な青年どおしが、時の流
れとともに離れ離れになっていく痛みを歌っている。互いが出
会った時の様々な光景を喚起させながら、最後のトドメが「さ
ようなら、ボビージーン」という激烈な歌詞であり、かつて私
も胸を抉られるような感動を覚えたものだ。

ところが、最近の音楽記事は逆に実在のモデル探しをし、それ
を知識の披瀝と言わんばかりに自慢する傾向にある。そうした
週刊誌的な種明かしが、どれほど聞き手のイマジネイションを
奪っていくかをジャーナリズムの人間はもっと考えた方がいい。
それは昔私がポール・ウィリアムスの音楽評論から学んだこと
とも重なる。ウィリアムスはディランのMr.Tamblinmanについ
て麻薬のディーラーであるだろう、といった詮索(犯人探し)
的だったかつての自分を恥じ、こう書き留める「僕はまるで
夜はいつも真っ暗だと信じていた子供のように愚かだった。
今僕はこの歌をあるがままに受け止める。そう、ここにあるの
はなだらかな自己放棄の感覚なのだ」と(『アウトロー・ブル
ース』より)

以前TAP OF POPSの記事が「ぼくの好きな先生」には実在する
人物がいることを種明かしていたが、忌野清志郎が生きていた
ら激怒したに違いない。あれほど慎重に特定のモデル探しから
距離を置き、言葉を選びながら書いた歌詞がこれでは台無しで
あ〜る。そう、R.Cサクセションの「ぼくの好きな先生」は、
"煙草と絵の具の匂い”のする学校の教室へと私たちを連れ戻し、
当時いただろうちょっと風変わりな先生を想像させる。イメージ
豊かに描いてみせる。歌のイマジネーションとはそういうものだ。私たちはそれぞれが想像するBobby Jean、Tamblinman、「ぼくの好きな先生」を信じている。

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# by obinborn | 2018-07-26 16:59 | one day i walk | Comments(0)  

キャンディ・ステイトン『Stand By Your Man』

念願叶って本日キャンディ・ステイトンのfame原盤
『Stand By Your Man』(ST-4202)を購入しまし
た。かつて日本のvivid soundsが本作をリイシューし
た86年頃呆れるほど親しんだものですが、米オリジナ
ル盤はあまりにもプレミアムな高嶺の花でした。しか
し本日御茶ノ水のユニオンに行き、¥2,600でようやく
手を打ったのです。

時は69年。fameはこれまで提携関係にあったアトラン
ティックとの契約を打ち切り、新たにキャピトルを配給
先とします。規格番号がSDからSTに変化したのはそう
した事情からですが、アラバマ州ハンスヴィルに生まれ
れ、10代の頃からゴスペル・グループで歌っていたキャ
ンディがソロ・デビューしたのが、まさにこの時期でし
た。タミー・ウィネットのカントリー・ヒットStand By
Your Manを見事なサザン・ソウルに変換した力量にまず
驚かされますが、それはまだ序の口で、バラードのHow
Can I Put On The Flame(When You Keep The Fire
Burning)に移行するA2で、いきなりアルバムは頂点に
達します。この苦味に満ちたスロー曲でのキャンディの
純な歌いっぷり、手垢に塗れていない表現力に本物のデ
ィープ・ソウルを感じてなりません。他にもブルージー
なI'm Just A PrisonerやHe Called Me Baby、跳ねる
ビート感が可愛らしいToo Hurt To Cryなど、起伏豊か
にアルバムは進んでいきます。ところでキャンディはク
ラレンス・カーターの妻(のちに離婚)としても知られ
ていますが、例えばクラレンスの代表曲Slip Away風に
迫るMr.And Mrs.Untrueでは、クラレンス得意のオブ
リ奏法が聞こえるといった具合に興味は尽きません。そ
こら辺のことを突っ込んだインタビュー記事があればぜ
ひ教えて頂きたいものです。

ところで69年といえば、映画『黄金のメロディ〜マスル
・ショールズ』で描かれていたように、 フェイムの創始
者であるリック・ホールの独裁体制に嫌気が差したスワ
ンパーズ(ジョンソン=フッド=ホウキンズ=バケット
ら)が、新たにマスル・ショールズ・サウンド・スタジ
オを、シェフィールドにて立ち上げる時期と重なります
よね。そうした新たな門出に動ずることなく(実際は心
穏やかでなかったのでしょうが)徹頭徹尾フェイムなら
ではのビシッと締まったリズム隊(ロウ=ボイス=ブラ
ウン=アイヴィら)で固めた本作には、やはりリック・
ホールの意地が感じられてなりません。かつて筆者はそ
んなホールを「ひとつの時代しか生きられなかった男」
と書いたことがありますが、時代が激しく移り変わって
いった60年代の終盤に、リック・ホールの叡智とキャン
ディ・ステイトンのピュアな歌とが奇跡のように結晶し
た本作『Stand By Your Man』が生まれたことに感謝
したい気持ちでいっぱいです。

レーベルには誇らしくこう記されています。Recorded
At Fame Recording Studios 603 E.Avalon Ave.Mus
cle Shoals,Ala と。そしてProduced And Arranged
By Rick Hallと。


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# by obinborn | 2018-07-21 18:30 | one day i walk | Comments(0)  

7月16日の東京ローカル・ホンク

簡素な言葉が音によって肉付けされ、懐かしい風景を
伴いながら広がっていく。そんな東京ローカル・ホン
クの3時間にも及ぶ16日のライブは圧巻だった。会場
の渋谷B.Y.Gには初めてと思われる若い人たちもちらほ
ら。世代を問わず、こうして広く間口を開けていると
ころがホンクらしい。聞こえない歌詞が一切ない。歌
が四季折々の表情や人々の喜怒哀楽とともに聞こえて
くる。そう、かつてザ・バンドやキンクスが描いた群
像劇のように。この夜久しぶりに選曲された「いつも
いっしょ」にしても、かえって聞き手にいつもいっしょ
にいられなくなった家族や親族、あるいは仲間のこと
を思い起こさせたほど。そう、天災によって200人以
上の死者を出した時期だけに、「いつもいっしょ」は
この夜特別な歌となった。


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# by obinborn | 2018-07-17 00:29 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

6月26日の東京ローカル・ホンク

パーフェクトな夜だった。繰り出す音と言葉とが鮮やかに
合致し、一切の無駄なく響き渡る。そんな東京ローカル・
ホンクのワンマン・ライブを26日は高円寺のJIROKICHI
にて。人々の暮らしに目を向け町を観察しながら、ホンク
の四人は歌を弾ませる。MCでソングライターの木下弦二
が振り返ったように、放埓な10代のロックから脱した彼は
年齢や世代を選ぶことない、かけがいのない歌の数々を紡
いでゆく。それらの歌がたとえ時代と交差しなくても、顧
られなくても、この人はけっして負けはしなかった。その
信念と価値のことを思う。緊密なバンド・アンサンブルは
日本のロックの頂点に達している。


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# by obinborn | 2018-06-27 00:49 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

遥かに、清志郎へ

RCのライブを最初に観たのは80年の11月。江古田にある
武蔵大学の講堂だった。ライブ・アルバム『ラプソディ』
が発売されたのが同年の6月だったから、まさにブレイク
寸前の出来事だった。清志郎がMCで10月に発売されたば
かりのシングル「トランジスタ・ラジオ」を「新曲です!」
と紹介しながら歌い始めたことが忘れられない。翌年にな
ると日比谷野音を満員にし、やがて武道館公演へと漕ぎ着
けるほど彼らの人気はうなぎ登りになっていったが、その
少し前には学園祭に出演する”ちょっとした仲間”に過ぎな
かったのである。フォーク・トリオ時代のRCを知っていた
僕にとって、彼らのロック・バンドへの変貌とグラム・ロ
ック風の奇抜なメイクは衝撃だった。それでも「エンジェ
ル」のようなバラードは、かつての「甲州街道はもう秋な
のさ」や「ヒッピーに捧ぐ」を自然と思い起こさせた。ま
たロックといっても、RCの場合はメンフィス・ソウルのミ
ッドテンポを基調にしていた。パンクのファストなビート
とは最初から規範が違っていた。そのミッドなグルーヴに
満ちた「きみが僕を知ってる」が好きだった。”女と寝てい
る奴より気持ちいい”というロック賛歌「気持ちE」の強が
りの向こうに、無口な青年の姿が覗いていた。

あれはいつのことだっただろうか。一度だけ国分寺の駅を
降りて、多摩蘭坂を訪れたことがある。確か夏の暑い日だ
ったと記憶する。空は澄み渡り、風が爽やかに頰を撫でる
午後だった。清志郎が見ていた風景をどうしても自分の目
で確かめたかった。周りの草いきれの匂いを感じたかった。
歩いてみると何の変哲もない通り道だったが、それ故に彼
が拾い集めたイメージの断片が浮かび上がり、刺さった。

音楽家の縁の土地を訪ねて涙を隠したのは、その時が初め
てのことだった。


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# by obinborn | 2018-06-23 19:02 | rock'n roll | Comments(0)  

『ペット・サウンズ』再び

鹿と戯れるこのジャケットをパロディにしたアイドル・
グループの作品を見かけたことがある。念には念をとい
うことだろうか、アーティストとタイトルの文字フォン
トまで精巧に似せたそれを眺めながら、『ペット・サウ
ンズ』が発売された1966年から随分と時間が経ってし
まったことを知らされた。

あまりに語られ過ぎたアルバムであり、そこに付記すべ
きことはもう殆ど残されていない気がする。しかし、彼
らも当時はいわゆるアイドル・グループだったことを覚
えておきたい。ジャケットを裏返すと侍に扮したメンバ
ーの写真が目に入ってくる。こうした無自覚さと実際の
音楽との落差にビーチ・ボーイズ、つまりリーダーであ
ったブライアン・ウィルソンが置かれていた当時の混沌
とした状況を伺い知ることができる。

音楽自体がロック・バンドのフォーマットを離れ、オー
ケストレーションを用いたシンフォニックな響きを重視
している。ニール・ヤングが脚本を手掛けた映画『過去
への旅路』に使用されたLet's Go Away For Awhileなど
最たるもので、歌詞に邪魔されないインストゥルメンタ
ルの作品だけに、かえって抽象的な美しさを増した。

ニール・ヤングといえば、彼がスティルス・ヤング・バ
ンド時代に作ったLong May You Runには、ブライアン
の独白とも言うべきCaloline Noのフレーズが挟まれてい
た。旧友であり同じバンド・メイトだったスティーヴン・
スティルスに向けて、ニールは「きみも長い時間を駈け
抜けてきたんだね」と語り掛け、労わりの感情を表す。
そこに被さってくるのが、まさにCaloline Noのメロディ
であり、かつては犬猿の仲と噂されたニールとスティー
ヴンの溝を埋めるかのようなドラマを想像させた。

何やら『ペット・サウンズ』本体というよりは余談が中
心になってしまったが、上記のような物語を恐らく聞き
手の数だけ生み出したという点でも、時間という試練を
乗り越えた素晴らしいアルバムだと思う。

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# by obinborn | 2018-06-21 04:07 | one day i walk | Comments(0)