カテゴリ:rock'n roll( 405 )

 

遥かに、清志郎へ

RCのライブを最初に観たのは80年の11月。江古田にある
武蔵大学の講堂だった。ライブ・アルバム『ラプソディ』
が発売されたのが同年の6月だったから、まさにブレイク
寸前の出来事だった。清志郎がMCで10月に発売されたば
かりのシングル「トランジスタ・ラジオ」を「新曲です!」
と紹介しながら歌い始めたことが忘れられない。翌年にな
ると日比谷野音を満員にし、やがて武道館公演へと漕ぎ着
けるほど彼らの人気はうなぎ登りになっていったが、その
少し前には学園祭に出演する”ちょっとした仲間”に過ぎな
かったのである。フォーク・トリオ時代のRCを知っていた
僕にとって、彼らのロック・バンドへの変貌とグラム・ロ
ック風の奇抜なメイクは衝撃だった。それでも「エンジェ
ル」のようなバラードは、かつての「甲州街道はもう秋な
のさ」や「ヒッピーに捧ぐ」を自然と思い起こさせた。ま
たロックといっても、RCの場合はメンフィス・ソウルのミ
ッドテンポを基調にしていた。パンクのファストなビート
とは最初から規範が違っていた。そのミッドなグルーヴに
満ちた「きみが僕を知ってる」が好きだった。”女と寝てい
る奴より気持ちいい”というロック賛歌「気持ちE」の強が
りの向こうに、無口な青年の姿が覗いていた。

あれはいつのことだっただろうか。一度だけ国分寺の駅を
降りて、多摩蘭坂を訪れたことがある。確か夏の暑い日だ
ったと記憶する。空は澄み渡り、風が爽やかに頰を撫でる
午後だった。清志郎が見ていた風景をどうしても自分の目
で確かめたかった。周りの草いきれの匂いを感じたかった。
歩いてみると何の変哲もない通り道だったが、それ故に彼
が拾い集めたイメージの断片が浮かび上がり、刺さった。

音楽家の縁の土地を訪ねて涙を隠したのは、その時が初め
てのことだった。


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by obinborn | 2018-06-23 19:02 | rock'n roll | Comments(0)  

RADWINPSの「HINOMARU」に思う

無数のものを束ねる国歌や国旗といった”象徴"は
高揚感を促す。その一方で負の感情を呼び覚ます。
若い人は知らないだろうが、昔沖縄国体で日の丸
が何者かによって焼かれるという事件があった。
またジミ・ヘンドリクスが歪んだトーンで奏でた
「星条旗よ永遠なれ」も忘れることが出来ない。
いずれも国家への何かしらの抗議だった。

RADWINPSの「HINOMARU」にはそうした葛藤
がない。作者は「政治的な意図はありません。左で
も右でもなく、みんなが一つになれる歌を作りたか
った」とコメントしているが、果たしてロック音楽
はいつから「みんなが一つになる」ための道具にな
ったのだろうか?

自分の国を慈しみ、生まれた故郷を大事にする。そ
のことに異議はない。だがこの「HINOMARU」は
作者の意図を超え、もっと大きな物語へと収斂して
いく。ヒロイックな歌い方といい、静から動へと劇
的に盛り上がる編曲といい、少なくともこの歌には
声を持てない人たちの声を聞き取ろうとする姿勢は
感じられない。危うい時代の危なっかしい歌であり、
排外主義や国威発揚の場にいつ利用されるかも解ら
ない。そう、かつてブルース・スプリングスティー
ンが作ったヴェトナム帰還兵の独白「アメリカ生ま
れ〜Born In The U.S.A」が、レーガン大統領によ
って曲解されてしまったように。

「みんなが一つになる」なんてまっぴらゴメンだ。
君たちが勢いよく拳を振りかざすのなら、私は顧み

られない一粒の石になるだろう。


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by obinborn | 2018-06-15 04:23 | rock'n roll | Comments(4)  

ニール・ヤング『ROXY:TONIGHT'S THE NIGHT LIVE』を聞いて

ニール・ヤングが75年にリリースした『今宵その夜』は、
熱心なファンには到底忘れることの出来ないアルバムだ。
ドラッグで亡くなった二人の友人、つまりローディのブル
ース・ベーリーとクレイジー・ホースのギタリストだった
ダニー・ウィットンを偲んで作られたというその作品は、
何でも73年のある夏の夜にニールとバンドがベロベロに
なるまでテキーラを飲み、ふとした思い付きでハリウッド
のリハーサル・ルームDで行ったライブ演奏を中心に構成
されていた。録音から発売までに2年もの間隔が開いてし
まったのは、あまりにプライヴェイト過ぎるという理由で
レコード会社がリリースを渋ったためだが、”個人的”な
アルバム故に、人々から長らく記憶されるものとなった。

そんな『今宵その夜』のセッションをライブの場で実践し
直したのが今回新たに発掘されたアーカイヴ音源『ROXY
:TONIGHT'S THE NIGHT LIVE』だ。CDのデータでは73
年の9月20、21、22日の三日連続公演から抜粋したと記さ
ているから、あの”酔っ払いセッション”からあまり間髪を
置かずに実践されたライブだった様子が伺える。

ラフでルーズな演奏はロキシーのライブでもまったく変わ
らず、実に自然体なニールと彼のバンドの魅力を捉えてい
る。つまり完成度を目指すのではなく、コマーシャリズム
に走るのでもなく、今一番歌いたいことを歌うという一貫
した姿勢である。サンタ・モニカ・フライヤーズと命名さ
れたここでのバンドは、ビリー・タルボットとラルフ・モ
リーナというクレイジー・ホースのリズム隊に、ペダル・
スティールの名手ベン・キースとグリン出身のニルス・ロ
フグレンを合体させた編成で、四人ともに以前からニール
とは親しい間柄だ。とりわけニルスの掻きむしるようなリ
ード・ギターが生々しい。

「ハイスクールに通っていた頃のように/あの無邪気な日々
に戻りたい/そう川辺を下って/ズボンの小銭をチャラチャラ
鳴らしながらね」と歌われるMELLO ON MY MINDの懇願
がとりわけ染みる。「気休めに映画でも観よう」といった
内容のSPEAKIN' OUTでは、穏やかな描写だけにかえって
主人公の孤独が浮かび上がってくる。「その疲れた眼を開け
ておくれ」と死者に訴えるTIRED EYESには、涙の一つや
二つが溢れ落ちてくる。そして74年の『渚にて』に収録さ
れることになった終曲WALK ONで、やっと朝日が立ち昇
ってくる。故人たちへの弔いが終わり、再び歩いていかなけ
ればならないことを人は知る。


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by obinborn | 2018-05-23 17:10 | rock'n roll | Comments(0)  

ニール・ヤング『ROXY:TONIGHT'S THE NIGHT LIVE』を聞いて

ニール・ヤングが75年にリリースした『今宵その夜』は、
熱心なファンには到底忘れることの出来ないアルバムだ。
ドラッグで亡くなった二人の友人、つまりローディのブル
ース・ベーリーとクレイジー・ホースのギタリストだった
ダニー・ウィットンを偲んで作られたというその作品は、
何でも73年のある夏の夜にニールとバンドがベロベロに
なるまでテキーラを飲み、ふとした思い付きでハリウッド
のリハーサル・ルームDで行ったライブ演奏を中心に構成
されていた。録音から発売までに2年もの間隔が開いてし
待ったのは、あまりにプライヴェイト過ぎるという理由で
レコード会社がリリースを渋ったためだが、”個人的”な
アルバム故に、人々から長らく記憶されるものとなった。

そんな『今宵その夜』のセッションをライブの場で実践し
直したのが今回新たに発掘されたアーカイヴ音源『ROXY
:TONIGHT'S THE NIGHT LIVE』だ。CDのデータでは73
年の9月20、21、22日の三日連続公演から抜粋したと記さ
ているから、あの”酔っ払いセッション”からあまり間髪を
置かずに実践されたライブだった様子が伺える。

ラフでルーズな演奏はロキシーのライブでもまったく変わ
らず、実に自然体なニールと彼のバンドの魅力を捉えてい
る。つまり完成度を目指すのではなく、コマーシャリズム
に走るのでもなく、今一番歌いたいことを歌うという一貫
した姿勢である。サンタ・モニカ・フライヤーズと命名さ
れたここでのバンドは、ビリー・タルボットとラルフ・モ
リーナというクレイジー・ホースのリズム隊に、ペダル・
スティールの名手ベン・キースとグリン出身のニルス・ロ
フグレンを合体させた編成で、四人ともに以前からニール
とは親しい間柄だ。とりわけニルスの掻きむしるようなリ
ード・ギターが生々しい。

「ハイスクールに通っていた頃のように/あの無邪気な日々
に戻りたい/そう川辺を下って/ズボンの小銭をチャラチャラ
鳴らしながらね」と歌われるMELLO ON MY MINDの懇願
がとりわけ染みる。「気休めに映画でも観よう」といった
内容のSPEAKIN' OUTでは、穏やかな描写だけにかえって
主人公の孤独が浮かび上がってくる。「その疲れた眼を開け
ておくれ」と死者に訴えるTIRED EYESには、涙の一つや
二つが溢れ落ちてくる。そして74年の『渚にて』に収録さ
れることになった終曲WALK ONで、やっと朝日が立ち昇
ってくる。故人たちへの弔いが終わり、再び歩いていかなけ
ればならないことを人は知る。


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by obinborn | 2018-05-23 17:10 | rock'n roll | Comments(0)  

さようなら、カシピー

カシピーという愛称で親しまれたハーモニカ奏者、カシムラ氏
が亡くなってしまった。近年はずっと闘病生活をしていた彼だ
が、遂に力尽きた。オイラがカシピーを知ったのは、東京アン
ダーグラウンド永遠の風雲児であるハル宮沢さんに紹介しても
らったからだ。ハルさん率いるコスモポリタン・カウボーイズ
のライブに客演し、楽しそうに吹いていたカシピーの姿が忘れ
られない。その後もオイラが出したパブロックの本を褒めてく
れ、去年行われたバブロック・ナイトに行きたいという旨を書
いてくれたのだが、結果それが最後の”会話”になってしまった。
けっして濃密な付き合いとは言えなかったが、こんなオイラを
気に留めてくれたことがすごく嬉しかった。オイラもいつの日
か、君のいる天国に行くようになるだろう。それが10年後にな
るのか、あるいは半年後なのかは誰にも解らないけれど、その
時はいっしょに音楽を語り合おうぜ、カシピー。幾つかの心温
まる日々とともに、いま君のことを思っている。合掌。

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by obinborn | 2018-05-06 09:54 | rock'n roll | Comments(0)  

佐野元春&ザ・コヨーテ・バンド、『Maniju』ツアー最終日に寄せて

瑞々しい情感に満ちた新作『Maniju』を携えた佐野元春&ザ
・コヨーテ・バンドのツアー最終日を1日は東京ドーム・シテ
ィ・ホールにて。コヨーテ・バンドの剥き出しのギター・ロ
ックは若々しく、佐野が過去率いてきたザ・ハートランドや
ホーボー・キング・バンドに比べると荒削りであり、ときに
アメリカのオルタナティヴ・ロックを彷彿させるほどだが、
そのザラついたサウンドスケープのなか、メロディの輪郭が
しっかり浮かび上がり次第に高揚していく様が、もう圧倒的
に彼らしい。

歌詞カードを読む限りでは一見ありきたりな言葉たち。それ
が確かなバンド・サウンドを伴いながら立体的になっていく。
もしロック音楽に最大の武器があるとすれば、まさに佐野元
春は37年間に亘ってそれを実践してきた。しかも彼の場合は
とかく内輪向きになりがちな趣味の世界を善とせず、私たち
が普段見ている街の景色や人々の群像を鮮やかな絵の具で塗
り換えてみせた。たとえ困難な時代であっても、標語やプラ
カードを掲げるのではなく、もっと幾多にも広がっていく想
いを大事にしてきた。

幾多の気持ちが渦巻く春の帰り道、私は道端の名もない若葉
にふと足を止めてみた。


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by obinborn | 2018-04-01 23:30 | rock'n roll | Comments(0)  

キース・リチャーズの背骨

キースのTALK IS CHEAPがリリースされたのは88年の10月だか
ら、恐ろしいことにもう30年近くが経とうとしている。池袋のオ
ンステージ・ヤマノに輸入盤が入荷したその日に購入し、何故か
すぐ家に帰らず、誰かと飲んで終電を逃した私はトボトボと線路
をひたすら歩き江古田まで帰ったっけ。途中で深夜の路線工事をし
ている作業員たちにからかわれたことまでよく覚えている。私は
まだ30歳になったばかり。結婚して二年目か、いやあ〜、若かっ
たですね。当時のストーンズはミックとキースの不仲がもはや修
復不可能とまで伝えられ、ファンは随分と心を痛めていた時期だ。
当時の新作『DIRTY WORK』にしてもあまり覇気が感じられない
アルバムで、ボブ&アールのカバー「ハーレム・シャッフル」は
イカした出来だったが、他の曲で印象に残っているものは少ない。
ミックとキースの喧嘩の原因は、ストーンズでの活動をないがしろ
にしていち早くソロ活動に乗り出したミックに対し、キースが怒り
心頭だったこと。またミックのソロ作がナイル・ロジャーズ制作の
ダンス・ポップ音楽だったことが、どこまでもルーツ音楽を愛でて
きたキースの逆鱗に触れたに違いない。このTALK IS CHEAP(語
るに落ちる)は、そんなミックへの返答と受け止められた。本作に
ある剥き出しの粗野なロックンロール、バニー・ウォーレルを迎え
たPファンク、あるいはアル・グリーンを彷彿させるメンフィス・
ソウルなどを聞いていると、キース・リチャーズという人の背骨が
しっかりと見えてくる。時代の流行に左右されないことがいかに大
事かを、他ならない音それ自体として実感させられる。加えてあの
全米屈指のバー・バンド、NRBQのジョーイ・スパンピナートのア
ップライト・ベースを起用して、ロックンロール初期の4ビートの
ニュアンスを実践したりと、今なお聞きどころは多い。長年連れ沿
った夫婦にすれ違いが起きるように、88年のミックとキースはそん
な時期だったのかもしれない。二人の修復に向けてキースはこんな
言葉を口にしている「いいかいミック、よく聞けよ。俺たちはマド
ンナでもマイケル・ジャクソンでもない。俺たちはローリング・ス
トーンズなんだぜ!」

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by obinborn | 2018-03-29 18:00 | rock'n roll | Comments(1)  

借り物の思想、生煮えのロジック

自分がうまく立ちゆかないことを世の中のせいにする人たちがいる。
例えば私がもし生活費もままならない事態に陥りそうになったら、          それを防ぐべく、転職や資産の見直しなど最大限の努力をするだろ         う。ところがこの世には自分の困窮をすべて時の政権のせいにする
人たちがいるのだ。無論税制や交付金の削減など直接政府が関わる
政策はあるだろう。それらは一つ一つのテーマに沿って論議を重ね
て行けばいい。しかし、昨今の反安倍デモの写真や動画を見ている
と、反原連から(旧国鉄の)千葉動労までのノボリも目立ち、まる
で全ての悪が安倍首相にあるかのような粗雑さが目立つ。私は皮肉
を込めて言うのだが、何でもアンチを掲げるだけの彼らの素朴さが
ある意味羨ましい。私とて安倍政権など信用していない。そのこと
は以前から何度もここで申し上げてきたけれども、これらのデモの
隊列に自分が加わりたくないのは、何らかの党派性に組み込まれた
くないという思いからだ。その強度が自分を支えていると言っても
いいし、人によってはそこに個人主義を読み取る方もおられよう。
いずれにしても、私は何か借り物のムーブメントに乗じて誰かを安
っぽく糾弾することが嫌なのだ。借り物の思想、生煮えのロジック。
それらが過去一体何度過ちを犯してきただろうか?個人主義である
ことはデモやムーブメントといった”勢い”から距離を置き、一人で
考え抜く力だ。たとえ仲間外れにされても孤独になっても構わない。

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by obinborn | 2018-03-28 06:39 | rock'n roll | Comments(0)  

ラルフ・モリーナへ

以前スーマーさんのライブ終了後にニール・ヤング&クレイジー
ホースの『ZUMA』を聴きながら、彼が「ラルフ・モリーナの遅
れるドラムってすごくいいですね」と語ってきて、ぼくはああ、
スーマーさんは本当にロック音楽の核心を理解されているんだな
あ〜と感動した。彼自身が意外にも?以前はドラムス奏者だった
だったから、感じ入る部分が余計にあったのかもしれない。10代
の頃からずっと音楽を聴いてきたけれど、ラルフ・モリーナのド
ラムはいつもぼくを捉え続けてきた。彼はいわば”下手ウマ”の筆頭
格であり、何度テイクを重ねても半拍くらいは遅れる。これはもう
ラルフの手癖であり、大げさに言うならば存在証明のようなもの
だろう。クレイジーホースのバンド・サウンドも文字通り”暴れ馬”
だ。やはり音楽にはテクニックだけでは推し量れない何かがある。
嘘だと思ったら、彼らのセカンド・アルバム『Loose』(72年)を
聴いてみて欲しい。「クリックに合わせるなんて冗談だろ?」そん
なラルフ・モリーナの声が今にも聞こえてきそうだ。


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by obinborn | 2018-03-10 02:04 | rock'n roll | Comments(0)  

遥かに、トム・ペティへ

昨年の10月にトム・ペティが急逝した時は気が重かった。              というのも最初の4枚のアルバムしかしっかりと聞いたこ
とがない自分はとても熱心なファンとは言えず、皆んなの
流れに乗って追悼するのはいかにも傲慢だと考えたからだ。
きっとあまり縁がなかったのだろう。今ぼくの手元にある
のは81年のシングル「ザ・ウェイティング」のみ。よって
以下はそんな男の雑文として読んでいただければと思う。

トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの最初のシングル
「アメリカン・ガール」を最初ラジオで聞いた時の衝撃は
今も忘れられない。それはザ・バーズを彷彿させるフォー
ク・ロックで、ぼくはてっきりロジャー・マッギンの新曲
かと錯覚したほどだった。甘く鼻に詰まったような歌い方
もマッギンに似ていた。またのちにパブ・ロッカーのルー
・ルイスが取り上げた「ホームタウン・ブルース」の泥臭
い響きも好きだった。ペティの最初の2枚がシェルター・
レーベル発だったことに大いに納得したものだった。そし
て「ルイジアナ・レイン」に映し出されるアメリカの風景
には不思議なデジャヴ感を覚えた。

奇抜さや最新モードが重宝されがちなニューウェイブ以降
のシーンの中で、彼らの音楽はいわばロックの本家本流に
位置し、最初からずっとバンド・サウンドを鳴らし続け
た姿勢にも好感を持った。ソロモン・バークの「クライ・
トゥ・ミー」は恐らくストーンズを経由したものだろうが、
そんな部分にトム・ペティの率直な性格が滲み出ていた。
60年代に築かれた良き時代のロックやR&Bを継承しなが
ら今に蘇らせる。それがまさに彼らの基本的な姿勢であり、
自分たちの目を通して見える世界のありようだった。

冒頭に挙げた「ザ・ウェイティング」でペティはこんなこと
を歌っている「辛い時代じゃないか。約束を守ることもまま
ならないじゃないか」彼がどういう文脈でこの歌を作ったの
かは定かではない。ただ81年当時まだ20代の序盤だったぼく
の心を捉えるばかりか、多くの人々の共感を集めた。その曲
を最後にトム・ペティのレコードを買わなくなってしまった
理由は今もよく解らない。彼は彼の道を歩み続け、多くの作
品を作り続けた。たまに耳にする彼の新作は変わらないこと
でかえって聞き手の信頼を得るものだったと記憶する。

最後に個人的な話で恐縮だが、昨年末に行ったDJでエヴァ
リー・ブラザーズ版の「ストーリーズ・ウィ・クッド・テ
ル」を流した。ジョン・セバスチャンが書いたこの歌を、
トム・ペティのヴァージョンで知った方も少なくないだろ
う。こうした温故知新のスピリットが最後までペティの音
楽を支えていたのだ。その日の帰り道、夜間バスに揺られ
ながらStories We Could Tellのリフレインを口ずさんで
みた。その時初めて失われたものの大きさに気が付き、少
し泣いた。

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by obinborn | 2018-01-17 11:00 | rock'n roll | Comments(0)