カテゴリ:one day i walk( 919 )

 

ブリンズリー・シュウォーツの自尊心


夕方のスーパーで偶然にも以前の職場でお世話になった方
とバッタリ。主夫?さながらに10分ほど近況を報告し合っ
た。この人は私が辞める時唯一心配してくれた方なのでそ
れなりの信頼関係が出来ている。ハタから見れば取るに足
らないsmall town talkかもしれないが、自分こういう会話
嫌いじゃないですよ。こんな日は家に帰って聞くブリンズ
リーズが格別気持ち良い。もう何百回どころか何千回も聞
いた73年作『Please Don't Ever Change』だけど、まる
で生まれたばかりの新譜のように響き亘る。元々華々しい
話題には最初から縁がなく、フィルモア・イーストで背負
った借金を返済するためにロンドンのパブ・サーキットを
くまなく回ったというほろ苦い出発をしたグループである。
マネジャーのデイヴ・ロビンソンは「音楽的な自尊心だけ
は誰にも負けなかった」と記したけれども、同時代に華
々しく活躍したあまたのブリティッシュ・ロッカーに比べ
れば、殆ど語られることなく終わった約5年の活動期間だ
った。何しろパブの酔っ払い相手の演奏ばかりで、たまに
来るリクエストといえば全米トップ40くらい。決してニッ
ク・ロウやイアン・ゴムがソングライティングを手掛けた
曲ではない。その事態に彼らは一体どれくらい傷付き苦し
められたことだろう?それでもいつか時の審判は下るもの
だ。自尊心を売り飛ばさなかった彼らは、解散した75年の
3月から数えておよそ48年以上経つ今でも、本当に音楽を
愛するファンからリスペクトされ、こうして日本盤のCD
がリリースされている。そのことの価値を思わずにはいら
れない。


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by obinborn | 2018-12-06 18:14 | one day i walk | Comments(0)  

『ホワイト・アルバム』私感

『ホワイト・アルバム』に関する呟きで思わずハッとさせら
れたのは「いくら音がリマスターで更新されても、そこで歌
われている言葉そのものは昔と変わらないですよね」という
発言でした。なるほどね。圧倒的にジョン派の私は英国ブル
ーズ・ロックから刺激を受けた「ヤー・ブルーズ」が出色か
な。さらに「僕の言葉の半分に意味はないよ」と呟く「ジュ
リア」の独白が染みます。四人の緊密な関係がもはや崩壊し
始めていた68年の記録として、これ以上の楽屋落ちはないで
しょう。「俺はもう疲れたよ」(I'm So Tired)もまたジョ
ンによる抜き差しならない本音でした。


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by obinborn | 2018-11-16 18:21 | one day i walk | Comments(0)  

30年近くなった音楽ライター人生を振り返る


明日は休み。後は飲んで聴くのみです。最近思うのは
よく30年近くも原稿を書いてきたなあ〜ということで
す。その殆ど全てが自分の好きなバンド/アーティスト
のみで、意外に思われるかもしれないキング・クリム
ゾンも「好き」だったから依頼を引き受けたまでで、
そういう拘りは大事だな〜と痛感しています。そりゃ
ヴィジュアル系の人気バンドの全国ツアーに同行し、
ゴーストライターとして提灯記事書くほうが遥かに身
入りはいい訳ですが、幸か不幸かそういう能力がなく
融通も利かない私は、好きな音楽を書くしかなかった
のです。それでもコツコツやっていれば見ていてくれ
る編集者はいる訳で、それが結果『Songs』や『パブ
ロックのすべて』といった単行本へと繋がっていった
のでした。ここら辺はまあ個々の選択というか生き方
のようなもので、何でもオールマイティーにこなして
こそプロの書き手だという意見もあるでしょう。でも
私はそれが出来なかっただけなんですぅ〜(笑)今は
亡き東芝EMIの石坂敬一氏が「時代が変わろうがオレ
の好みは変わらないよ」とヤードバーズへの愛情を露
わにされた時カッコイイ!と中学生だった私は思った
ものでした。また『ワイアード』のライナーノーツで
大貫憲章さんが「今の(インストばかりやっている)
ジェフ・ベックが僕は寂しくてしょうがないんだ」と
書かれているのを読んで何て正直な方なんだ!と高校
生だった私は感動しました。要はそういうことなんで
すね。というわけで皆さんも「こだわり」を大事にし
ましょう!しかしスティーヴ・マリオットも終生こだ
わりが激しいというか、融通が利かない人でした...


😆



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by obinborn | 2018-11-15 17:28 | one day i walk | Comments(0)  

記憶という支柱


自分では忘れていたことが他人の記憶を通して思い出される
ことがあります。それは旧友を介したものかもしれませんし、
夫婦の何気ない回想から引き出される事項であったりもする
でしょう。多かれ少なかれ人はそのように他人との関わりの
なかで暮らしています。今日久しぶりに小川洋子さんの代表
作『博士の愛した数式』を読み返して、活字から豊かな時間
が流れ出すのを感じました。小川さん流に言うなら「記憶と
いう支柱がたとえ困難な時も私を守ってくれる」でしょうか。


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by obinborn | 2018-11-01 17:59 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:ワー・ワー・ワトソン


トニー・ジョーと前後してワー・ワー・ワトソンまで亡くなって
いたんですね...こちらの加齢とともに好きなアーティストの訃報に接する機会が増えるのは止むを得ないとはいえ、モータウン・サウンドの屋台骨だったファンク・ブラザーズの一員まで失うとは悲し過ぎます。トニー・ジョーもワウ・ペダルの名手だったけど、ワー・ワー・ワトソンこそはワウの開祖的な存在だった(誰が最初だったかは諸説あり)彼の代表的名演といえば多くの音楽ファンはまずマーヴィン・ゲイのLet's Get It On、テンプテーションズのPapa Was A Rolling Stone、ハービー・ハンコックのChameleonなどを思い起こすだろう。私もそうです。ただ個人的にはボビー・ウーマックの75年作『Safety Zone』でワトソンの存在を知っただけに、このアルバムでの彼のプレイを反射的に思い浮かべてしまう。複数のギタリストが曲毎に入れ替わり立ち代りするセッションではなく、ウーマックとワトソン二人だけのギターの絡みに賭けた製作者デイヴ・ルービンソンの心意気も大したものだ。結果ワトソンのワウワウ&鋭いカッティングが堪能出来る大名盤となった。この頃のワトソンと言えば翌76年に初めて(そして唯一の)ソロ・アルバム『Elementary』をリリースしたことからも解る通り、あちこちから引っ張りだこの存在となり、彼自身一番乗りに乗っていた時期だったと思うが、それを証明するように非常に生気のあるギターを随所で聴かせる。ワトソンのソロ作でも名を連ねることになるルイス・ジョンソンb、ウィリー・ウィークスb、ジェイムズ・ガドソンds、ハービー・ハンコックpが顔を揃えていることは、恐らくソロ・アルバムへの布石となったはず。主人公のウーマックにとっては、音楽的な故郷であるメンフィスのアメリカン・スタジオやアラバマのマスル・ショールズ・サウンド・スタジオを離れ、シスコのウェリー・ハイダーとロスのヴィレッジ・レコーダーズで録音に臨む画期作になった。南部の包みこむようなリズムも悪くないが、モダンなエレメントを組み込んだここでのウーマックがどれだけ新鮮だったことだろう。テンプス「雨に願いを」のカバーもいいし、ハンコックのピアノ・ソロをフィーチャーしたI Feel A Groove Comin' Onのファンクに脱帽する。そしてベスト盤に組み込まれることも多いDaylight(ジョージィ・フェイムがナイス・カバー)とジャニス・ジョップリンに提供したTrustIn Meの作者版(実は彼にとっては二度目の録音)を聞いていると鳥肌が立つ。それら全てにワー・ワー・ワトソンその人がいた。そのことの価値をいつまでもいつまでも信じていたい。

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by obinborn | 2018-10-27 16:57 | one day i walk | Comments(0)  

エディ・ヒントンの追憶

来月発売される『Eddie Hinton Songbook』を楽しみ
に待っている毎日です。英Aceのソングライター・シリ
ーズは様々なシンガーに歌われてきた名曲を作者別にま
とめて選曲するというテーマを持った素晴らしい企画で、
南部のアーティストとしてはこれまでダン・ペンの作品
集が記憶に残っていますが、いよいよエディにまで手を
伸ばしてくれたのかと思うと感慨深いものがあります。

曲目表を眺めたところ、ダスティ・スプリングフィール
ドの「ベッドで朝食を」やトニー・ジョー・ホワイトの
300 Pounds of Hongry、あるいはルルの「エディは何
処に」といったヒントン=フリッツによる代表作が収録
されており、まずはひと安心しました。こうした共作に
関してかつて私はドニー・フリッツに「どちらかが作詞
でどちらかが作曲という役割分担なのですか?」と尋ね
たことがあるのですが、彼が「違う!俺たちは一緒に曲
を書いているんだよ」と諭すように語っていたのが印象
に残っています。記憶を辿ると確かダン・ペンもスープ
ナー・オールダムとの共作について同じような主張をし
ていて、ここら辺は少なくともゴフィン=キングやウェ
ルズ=マンのように明確な分業体制が敷かれていたコン
ビとは、どうやら様相が大きく異なるようですね。

今回のSongbookシリーズで個人的に最も嬉しかったの
は、エディがマリーン・グリーンと共作し、ジャッキー・
ムーアによって歌われたCover Meと、エディが珍しく
単独で書き上げボビー・ウーマックに取り上げられたA
Little Bit Saltyの2曲です。特に後者のウーマック・ヴ
ァージョンはじっくりと熱を込めて歌うウーマックとマ
スル・ショールズのAチーム(ジョンソン/フッド/ホーキ
ンズ/バケット)の連携が見事で、また作者のエディ自身
もアクースティック・ギターで参加してもいます。さら
に感動的なのはボビーが得意とするモノローグの部分で
あり、こんなことが語られ歌われています。

「レコーディングも殆ど終わりかけた頃だった。僕はエ
ディに言ったのさ。ねえ、こんな歌でもやらないかって。
恋人に去られるまでは恋なんか解らない。人生も同じさ。
辛いことを経験して初めて素晴らしさが解るんだ。そう
なのさ。喉が乾くまで水の旨さなんか解らないだろ?」

このA Little Bit Saltyはボビーの76年作『我が魂の故郷
〜Home Is Where The Heart Is』に収められています。
当時の彼といえば最も油が乗っていた時期であり、その
知名度も飛躍的に伸びていた頃でした。そんなボビーが
エディ・ヒントンの曲を取り上げ、しかも曲中に彼の名
前を呼んだことは、さぞかしエディを勇気付けたことで
しょう。実際二年後の78年にエディは初めてのソロ・ア
ルバム『Very Extremenaly Dangerous』をリリースす
るのですから、彼にとってもキャリアに於ける重要な足
掛りとなったのでは?と想像しています。

特にヒットした訳でもないこのA Little Bit Saltyですが、
この曲にはそんな裏面史があり、それらを忘れることな
くSongbookに収録してくれた英Aceに感謝したい気持ち
で一杯です。なおこの曲のオリジナル・デモはエディが
95年に死去した後に、彼の音源を纏めて管理しているZ
aneレーベルが発表した『Songwriters Sessions』で、
やっと蔵出しされました。


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by obinborn | 2018-09-29 17:49 | one day i walk | Comments(0)  

9月27日の吉村瞳

精力的に全国各地を回っている吉村瞳のライブを
27日は下北沢のラウンにて。自分の場合は三週ぶ
りだったが、この夜もまた一本芯の通った素晴らし
い歌とギターを聞かせてくれた。筆者にとっては
初体験となるリトル・フィートの「ディキシー・
チキン」とジャニス・ジョプリンの「ムーヴ・オ
ーヴァー」の2曲での骨太いスライド・ギターに
度肝を抜かれる一方、吉村の幾つかのオリジナル
曲では繊細な情景描写が際立つ。そんな両刀使い
が彼女の魅力だ。またこのところ頻繁に選曲され
ているケニー・ロギンスの名曲「プー横丁の家」
でのメリハリのあるヴォイシングにも胸を打たれ
た。

私と吉村とでは、世代的に言えばまるで父と娘の
ような関係だが、こうして70年代のルーツが時空
を超えていく様は、アメリカで言えば「両親が聞
いていた音楽に影響された」と語りながら、ジム
・クロウチやポール・サイモンらの楽曲を蘇らせ
るI'm With Herの感覚に近いのかもしれない。旅
先で目に映るもの、車の窓越しに通り過ぎていく
もの。それらを糧に吉村瞳はこれからも歌を携え
ていくことだろう。

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by obinborn | 2018-09-28 10:24 | one day i walk | Comments(0)  

遥かに、イマムーへ

ホンクの会場で嬉しかったのは、彼らの初期のマネジャーだ
った今村佳子さんと久しぶりに再会したことだった。開演前
に少しお話しさせて頂いたのだが、今は別の国で暮らしてい
ること、たまたま日本に帰ってきた時にホンクのライブを知
り駆けつけたことなどを語ってくれた。幸いにも僕のことを
覚えていてくれた彼女と、僅かな時間だったものの会話して
いたら、何かとても温かい思いが込み上げてきた。

今でもはっきり2007年の秋を覚えている。当時行く宛もなく
毎日を無為に過ごしていた僕は、武蔵小山にあるライブカフェ
のAgainで働いていた彼女と出会い、東京ローカル・ホンクと
いう僕にとっては未知のバンドと引き合わせてくれたのだ。
そんなある日のこと、僕はイマムーから貰った名刺を頼りに
電話して、東中野のお店で行われたホンクのワンマンライブ
に駆け付けたのだった。寒さを感じ始めた12月のことだった。

あれから11年の歳月が経とうとしている。早いような気もす
るし、それなりの重みを持った時間だったとも感じる。その
感じ方はまるで毎日の天気のようにコロコロ変わってしまう
のだが、互いの名前を忘れずに言い合えたことを大切にした
い。イマムーとの思い出を反芻してみると、「東京で食べる
ランチは何でこんなに高いんでしょう」とか、「僕は富士そ
ばで間に合わせているよ」といった他愛のない会話ばかりで
ある。それでも彼女の飾らない性格のせいだろうか。それら
ははっきりと記憶に刻まれた。

音楽やバンドはこうしてその周辺にいる人々まで巻き込み、
それぞれのドラマを生み落としていく。年月を重ねればな
おさらのことだろう。イマムー、決してきみのことを忘れ
たりはしていなかったよ。またいつか会いましょう。


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by obinborn | 2018-09-24 13:39 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:チャス・ホッジズ

チャールズ・ホッジズが亡くなってしまった。先日山本君
がイギリスでチャス&デイヴの野外ライブ(他の出演はク
ラプトン、ウィンウッド、サンタナなど)を観てきて、そ
の話を聞かせて頂いたばかりだったので、信じられない気
持ちである。音楽評論家のイアン・サウスワース氏は以前
「チャス&デイヴは英国の大道芸人みたいなもの。そこに
パブ・ロックのメンタリティを探すのは日本人だけだ」と
辛辣な見解を述べていたが、彼らのくすんだ情感に心奪わ
れた音楽ファンは少なくないだろう。

ヘッズ・ハンズ&フィートを皮切りに音楽活動を本格化さ
せたチャールズ・ホッジズはやがてデイヴ・ピーコックと
出会い、デュオのオイリー・ラグスを結成。74年に唯一の
アルバム『Oily Rags』を米シグネチャー・レーベルから
発表する。ザ・バンドにバディ・ホリー、アラン・トゥー
サン、クリス・クリストファーソンのカバーを収録したそ
の盤にはルーツ・ロックへの視座があり、日本ではブラッ
クホークが選ぶ99選にセレクトされたこともあって評判を
呼んだ。そのオイリー・ラグスを改めて76年に再出発した
のがチャス&デイヴだった。チャールズのピアノとデイヴ
のベースを基本とした間合いのあるシンプルでアーシーな
サウンドが彼らの魅力で、時にヘッズ・ハンズ&フィート
時代の盟友アルバート・リーのギターをフューチャーする
辺りがたまらなかった。そのリーが最初のソロ・アルバム
『ハイディング』でチャス&デイヴの名曲Billy TYlerを取
り上げていたことも忘れ難い。

個人的にはそのBillyTylerのオリジナル版を収録した77年
のセカンド『ロックニー』や、リーが参加した79年の『
ドント・ギブ・ア・モンキーズ...』辺りを本当によく聞い
たものである。前述したイアン氏の辛辣な評価は、恐らく
ロック・クラシックを数珠繋ぎにしたり、クリスマス・ア
ルバムを連発する安易な制作方針にあったのだろう。また
実際にイギリスではテレビ出演し歌い演奏するコメディア
ンという認識が一般的であろう。そのお笑いが低俗なもの
であったかどうかはイギリスの風習に疎い私には判断しか
ねるものの、そうした大衆路線をパブ・ロックのエリアで
展開したところにチャス&デイヴの生命線があり、それは
キンクスやボンゾ・ドッグ・バンドあるいはラトルズ辺り
に感じ取れる英ミュージック・ホールの伝統を受け継いだ
ものだと理解している。

チャールズさん、今まで長い間本当にありがとうござい
ました。あなたのホンキー・トンク・ピアノとコックニ
ー訛りそのままの歌声、その気取りのないユーモアが私
は大好きでした。アルバート・リーの『ハイディング』
にあなたの名前を見つけて心ときめいた日々が、まるで
昨日のことのようです。

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by obinborn | 2018-09-23 17:41 | one day i walk | Comments(0)  

ザ・バンドの匿名性〜next of kinについて

next of kin(親族の、同種の)という言葉は、リック・ダンコ
が歌う「火の車」に出てくるのだが、ジョージ・ハリソンが嘆
いた英国盤の『ビッグ・ピンク』で省略されてしまったのが、
下記の写真next of kinである。ジョージが気に入ってアップル
にアセテート盤まで作らせたデラニー&ボニーも、スタックス
からのデビュー・アルバム『ホーム』では祖父と一緒のデラボ
ニ夫妻が写っていたから、こうした家族的な雰囲気にジョージ
が何らかの気持ちを動かせていたことは想像に難くない。

今改めてこの写真を見直してみると、中央に立っているリチャ
ード・マニュエルの若さと端正な顔立ちに驚かされる。リヴォ
ン・ヘルムはかつて「リチャードこそがザ・バンドのリード・
ヴォーカルだと思っていたよ」と述懐していたが、68年のデビ
ュー・アルバムの時点では、リチャードがグループの一番星だ
ったのかもしれない。

そんなリチャードも、リヴォンもリックも”親族たち”のなかに
紛れ込んでいる。最初は誰がザ・バンドのメンバーかが判然と
しなかった経験をされた方はどのくらいだろうか。実際に聞こ
えてくる音楽も、手巻きオルガンのような悲しい調べと老人の
嘆きが混ざり合う「怒りの涙」から始まっていた。”俺の叫び
を聞け!”というのが60年代後半のユース・カルチャーの生命
線であるならば、ザ・バンドはそこから遥か遠くに離れていた。

そっと老婆に寄り添うような「淋しきスージー」が、デイル・
ホウキンス(奇しくもザ・バンドを育てたロニー・ホウキンス
の従兄弟)のガール礼賛「スージーQ」への反語にも聞こえて
くる。カーレン・ダルトンのカバー・ヴァージョンでも知られ
る「イン・ア・ステーション」が、時代という迷宮を彷徨うエ
レジーのように響く。アルバムの最後に置かれた「アイ・シャ
ル・ビー・リリースド」でやっと立ち昇る希望も、無名の囚人
たちが塀越しに眺める朝靄のようだった。

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by obinborn | 2018-09-14 18:27 | one day i walk | Comments(0)