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追悼:クラウディ・キング

「クラウディと私が最初に仕事をしたのは、メル・カーター
のWrong Side of Townのレコーディングの時でした。もう
数年前のことですが、彼女のヴォイスはとても温かくソウル
フルで、また今時見つけるのが困難なくらい繊細でした。そ
の後クラウディとビリー・プレストンは私の書いたThe Split
の映画のための曲を歌ったのです。そう、彼女は特別な何かを
持っているのです」

71年にリザード・レーベルから発売されたクラウディ・キン
グの初ソロ・アルバム『Direct Me』に、クインシー・ジョー
ンズは上記の賛辞を寄せている。今からもう47年以上前の話
だ。以前『バック・コーラスの歌姫たち』という映画が公開さ
れたが、70年代はクラウディ・キング、ヴァネッタ・フィー
ルズ、グロリア・ジョンズ、クラウディア・レニア、メリー・
クレイトン、ジニー・グリーンなど、それまでバック・コーラス
要員として脇役に徹してきた彼女らが脚光を浴びた時代だった。

クラウディの場合はまずレイ・チャールズのレイレッツを出発
点に、ビリー・プレストンとの共同作業などで60年代を過ごし
たが、そんな彼女にとって転機となったのが、72年にローリン
グ・ストーンズの『メインストリートのならず者』に参加した
ことだった。ストーンズは以前から「ギミー・シェルター」で
メリー・クレイトンを起用するなど黒人音楽へのアプローチを
本格化させていたが、ビリー・プレストンとクラウディをセッ
トにして、L.Aで行われた『ならず者』の最終ダビングに迎え
たのは卓見だった。特に「ダイスを転がせ」で「got to love
d me〜」と切り込んでくるクラウディのパンチの効いたライン
は極めて印象深く、彼女のシグネチャーとなった。

そんなストーンズと前後して、ブリティッシュ・ロック方面で
はハンブル・パイが『EAT IT』で、ブラックベリーズ(クラウ
ディ/ヴァネッタ/ビリー・バーナム)をフューチャーするばか
りかツアーにも帯同させるなど、クラウディの存在をアピール
した(但し翌年の『Thunderbox』では彼女の代わりにカレー
ナ・ウィリアムスがベリーズの一員になっている)ここら辺の
動向はスワンプ・ロックの時代を物語るもので、彼ら英国勢だ
けでなく、本国アメリカでもクラウディはたちまち人気者とな
り、数多くのレコーディングに駆り出されていった。

ざっと挙げるならば『ゲイリー・セイント・クレア』ロン・デ
ィヴィス『サイレント・ソング・スルー・ジ・ランド』『ゲイ
ター・クリーク』バーバラ・ストライサンド『ストーニー・エ
ンド』グラハム・ナッシュ『ソング・フォー・ビギナーズ』
『リタ・クーリッジ』アル・クーパー『ニューヨーク・シティ』
マーク・ベノ『雑魚』ジェシ・エド・ディヴィス『ファースト』
『ウルル』『L.Aゲッタウェイ』『ジュディ・シル』ルディ・
ロメロ『トゥ・ザ・ワールド』ラリー・マレイ『スウィート・
カントリー組曲』エルヴィン・ビショップ『ロック・マイ・ソ
ウル』デラニー&ボニー『トゥゲザー』アーロ・ガスリー『
最後のブルックリン・カウボーイ』『スティーヴ・ファーガソ
ン』デイヴ・メイソン『忘れ得ぬ人』グリン『ゴーン・クレイ
ジー』リンダ・ロンシュタド『ドント・クライ・ナウ』スティ
ーリー・ダン『キャント・バイ・ア・スリル』『ロイヤル・ス
キャム』『エイジャ』『トレイシー・ネルソン』レーナード・
スキナード『セカンド・ヘルピング』『ボブ・ニューワース』
ビル・ワイマン『モンキー・グリップ』『ストーン・アローン』
ボニー・ブラムレット『イッツ・タイム』ジミー・ウェッブ『
エル・ミラージュ』デルバート・マクリントン『セカンド・ウ
ィンド』ジョー・コッカー『ジャマイカ・セイ・ユー・ウィル』
グレッグ・オールマン『プレイン・アップ・ア・ストーム』ジェ
リー・ガルシア『ガルシア』『レオン・ウェア』旧友ビリー・
プレストンの『ミュージック・イズ・マイ・ライフ』など、クラ
ウディがバック・コーラスを担ったアルバムはあまたある。とり
わけボブ・ディランの『セイブド』に始まるゴスペル期の作品へ
の貢献は大きかったのではないだろうか。

そんなクラウディが亡くなってしまった。ゴスペルのルーツを
持った彼女の歌を、今まで数多くのアルバムとともに聞けたこ
とを誇らしく思う。かつてミック・ジャガーは彼女をモデルに
しながらBrown Sugarを書き上げたと伝えられている。なお、
メリー・クレイトンとともにレーナード・スキナードのSweet
Home Alabamaのセッションに参加したことに関しては「アラ
バマはレイシストによって同胞たちが嬲り殺された場所なのよ」
と言い歌うのを嫌がったメリーを、クラウディは宥めたという。
そしてクラウディは正直に告白している。「私たちはあの歌を
歌ってしまいました。その不名誉の代償はきっと償い続けなけ
ればならないでしょう」と。





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by obinborn | 2019-01-14 09:34 | one day i walk | Comments(0)  

音響の達人、ダニエル・ラノア


冬になるとやはりカナダの音楽家を聞きたくなる。ケベック州
出身のダニエル・ラノワは今や泣く子も黙るプロデューサーと
して、ジョー・ヘンリーやT.ボーン・バーネットと並ぶ”音響派”
の大御所だが、70年代にはウィリー・P・ベネットなどカナダの
SSWのアルバムで修行を重ねた。ブライアン・イーノに影響され
たラノワは、その独特の深いエコーを伴った音響哲学をボブ・デ
ィラン『オー・マーシー』『タイム・アウト・オブ・マインド』
ネヴィル・ブラザーズ『イエロー・ムーン』『ロビー・ロバート
ソン』などで実践し、いずれも成功へと導いていく。とくに80
年代に低迷していたディランはラノワとの出会いによって、第一
線へ返り咲いたという印象が強い。そんなプロデュースと前後し
てラノワは、自身の初ソロ・アルバム『アケディ』を89年にリ
リースし、一躍時の人となった。ルーツ音楽のポスト・モダン化
というか客観視というか、ケイト&アンナ・マクギャリグルが
ラノアと組んだら一体どうなっていたのだろう?という好奇心を
駆り立てるほどだ。原理主義者にはやや抹香臭いサウンドメイキ
ングながら、エミルー・ハリスやウィリー・ネルソンといったカ
ントリーの音楽家がラノアの力を借りながら、評価が分かれるア
ルバムを生み出したのが90年代というワン・ディケイドだった。
何しろ自我の強いあのニール・ヤングでさえ『ラ・ノイズ』をラ
ノワに委ねていたほどだ。それにしても『アケイディ』というア
ルバム表題は、フランスからカナダに入植していったアケイディ
アンのことを思い起こさずにはいられない。その移動する民族が
遥か彼方〜アメリカのルイジアナ州に辿り着いた物語が、まさに
ザ・バンドの「アケイディアの流木」だった。なお最後に蛇足だ
が、ルイジアナ州出身でありながら徴兵を拒否しカナダに亡命し
たジェシ・ウィンチェスターが、時おりフランス語の歌詞を混ぜ
ていたことにも筆者の興味は及ぶ。


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by obinborn | 2019-01-10 18:02 | one day i walk | Comments(0)  

ブリンズリー・シュウォーツの自尊心


夕方のスーパーで偶然にも以前の職場でお世話になった方
とバッタリ。主夫?さながらに10分ほど近況を報告し合っ
た。この人は私が辞める時唯一心配してくれた方なのでそ
れなりの信頼関係が出来ている。ハタから見れば取るに足
らないsmall town talkかもしれないが、自分こういう会話
嫌いじゃないですよ。こんな日は家に帰って聞くブリンズ
リーズが格別気持ち良い。もう何百回どころか何千回も聞
いた73年作『Please Don't Ever Change』だけど、まる
で生まれたばかりの新譜のように響き亘る。元々華々しい
話題には最初から縁がなく、フィルモア・イーストで背負
った借金を返済するためにロンドンのパブ・サーキットを
くまなく回ったというほろ苦い出発をしたグループである。
マネジャーのデイヴ・ロビンソンは「音楽的な自尊心だけ
は誰にも負けなかった」と記したけれども、同時代に華
々しく活躍したあまたのブリティッシュ・ロッカーに比べ
れば、殆ど語られることなく終わった約5年の活動期間だ
った。何しろパブの酔っ払い相手の演奏ばかりで、たまに
来るリクエストといえば全米トップ40くらい。決してニッ
ク・ロウやイアン・ゴムがソングライティングを手掛けた
曲ではない。その事態に彼らは一体どれくらい傷付き苦し
められたことだろう?それでもいつか時の審判は下るもの
だ。自尊心を売り飛ばさなかった彼らは、解散した75年の
3月から数えておよそ48年以上経つ今でも、本当に音楽を
愛するファンからリスペクトされ、こうして日本盤のCD
がリリースされている。そのことの価値を思わずにはいら
れない。


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by obinborn | 2018-12-06 18:14 | one day i walk | Comments(0)  

『ホワイト・アルバム』私感

『ホワイト・アルバム』に関する呟きで思わずハッとさせら
れたのは「いくら音がリマスターで更新されても、そこで歌
われている言葉そのものは昔と変わらないですよね」という
発言でした。なるほどね。圧倒的にジョン派の私は英国ブル
ーズ・ロックから刺激を受けた「ヤー・ブルーズ」が出色か
な。さらに「僕の言葉の半分に意味はないよ」と呟く「ジュ
リア」の独白が染みます。四人の緊密な関係がもはや崩壊し
始めていた68年の記録として、これ以上の楽屋落ちはないで
しょう。「俺はもう疲れたよ」(I'm So Tired)もまたジョ
ンによる抜き差しならない本音でした。


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by obinborn | 2018-11-16 18:21 | one day i walk | Comments(0)  

30年近くなった音楽ライター人生を振り返る


明日は休み。後は飲んで聴くのみです。最近思うのは
よく30年近くも原稿を書いてきたなあ〜ということで
す。その殆ど全てが自分の好きなバンド/アーティスト
のみで、意外に思われるかもしれないキング・クリム
ゾンも「好き」だったから依頼を引き受けたまでで、
そういう拘りは大事だな〜と痛感しています。そりゃ
ヴィジュアル系の人気バンドの全国ツアーに同行し、
ゴーストライターとして提灯記事書くほうが遥かに身
入りはいい訳ですが、幸か不幸かそういう能力がなく
融通も利かない私は、好きな音楽を書くしかなかった
のです。それでもコツコツやっていれば見ていてくれ
る編集者はいる訳で、それが結果『Songs』や『パブ
ロックのすべて』といった単行本へと繋がっていった
のでした。ここら辺はまあ個々の選択というか生き方
のようなもので、何でもオールマイティーにこなして
こそプロの書き手だという意見もあるでしょう。でも
私はそれが出来なかっただけなんですぅ〜(笑)今は
亡き東芝EMIの石坂敬一氏が「時代が変わろうがオレ
の好みは変わらないよ」とヤードバーズへの愛情を露
わにされた時カッコイイ!と中学生だった私は思った
ものでした。また『ワイアード』のライナーノーツで
大貫憲章さんが「今の(インストばかりやっている)
ジェフ・ベックが僕は寂しくてしょうがないんだ」と
書かれているのを読んで何て正直な方なんだ!と高校
生だった私は感動しました。要はそういうことなんで
すね。というわけで皆さんも「こだわり」を大事にし
ましょう!しかしスティーヴ・マリオットも終生こだ
わりが激しいというか、融通が利かない人でした...


😆



by obinborn | 2018-11-15 17:28 | one day i walk | Comments(0)  

記憶という支柱


自分では忘れていたことが他人の記憶を通して思い出される
ことがあります。それは旧友を介したものかもしれませんし、
夫婦の何気ない回想から引き出される事項であったりもする
でしょう。多かれ少なかれ人はそのように他人との関わりの
なかで暮らしています。今日久しぶりに小川洋子さんの代表
作『博士の愛した数式』を読み返して、活字から豊かな時間
が流れ出すのを感じました。小川さん流に言うなら「記憶と
いう支柱がたとえ困難な時も私を守ってくれる」でしょうか。


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by obinborn | 2018-11-01 17:59 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:ワー・ワー・ワトソン


トニー・ジョーと前後してワー・ワー・ワトソンまで亡くなって
いたんですね...こちらの加齢とともに好きなアーティストの訃報に接する機会が増えるのは止むを得ないとはいえ、モータウン・サウンドの屋台骨だったファンク・ブラザーズの一員まで失うとは悲し過ぎます。トニー・ジョーもワウ・ペダルの名手だったけど、ワー・ワー・ワトソンこそはワウの開祖的な存在だった(誰が最初だったかは諸説あり)彼の代表的名演といえば多くの音楽ファンはまずマーヴィン・ゲイのLet's Get It On、テンプテーションズのPapa Was A Rolling Stone、ハービー・ハンコックのChameleonなどを思い起こすだろう。私もそうです。ただ個人的にはボビー・ウーマックの75年作『Safety Zone』でワトソンの存在を知っただけに、このアルバムでの彼のプレイを反射的に思い浮かべてしまう。複数のギタリストが曲毎に入れ替わり立ち代りするセッションではなく、ウーマックとワトソン二人だけのギターの絡みに賭けた製作者デイヴ・ルービンソンの心意気も大したものだ。結果ワトソンのワウワウ&鋭いカッティングが堪能出来る大名盤となった。この頃のワトソンと言えば翌76年に初めて(そして唯一の)ソロ・アルバム『Elementary』をリリースしたことからも解る通り、あちこちから引っ張りだこの存在となり、彼自身一番乗りに乗っていた時期だったと思うが、それを証明するように非常に生気のあるギターを随所で聴かせる。ワトソンのソロ作でも名を連ねることになるルイス・ジョンソンb、ウィリー・ウィークスb、ジェイムズ・ガドソンds、ハービー・ハンコックpが顔を揃えていることは、恐らくソロ・アルバムへの布石となったはず。主人公のウーマックにとっては、音楽的な故郷であるメンフィスのアメリカン・スタジオやアラバマのマスル・ショールズ・サウンド・スタジオを離れ、シスコのウェリー・ハイダーとロスのヴィレッジ・レコーダーズで録音に臨む画期作になった。南部の包みこむようなリズムも悪くないが、モダンなエレメントを組み込んだここでのウーマックがどれだけ新鮮だったことだろう。テンプス「雨に願いを」のカバーもいいし、ハンコックのピアノ・ソロをフィーチャーしたI Feel A Groove Comin' Onのファンクに脱帽する。そしてベスト盤に組み込まれることも多いDaylight(ジョージィ・フェイムがナイス・カバー)とジャニス・ジョップリンに提供したTrustIn Meの作者版(実は彼にとっては二度目の録音)を聞いていると鳥肌が立つ。それら全てにワー・ワー・ワトソンその人がいた。そのことの価値をいつまでもいつまでも信じていたい。

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by obinborn | 2018-10-27 16:57 | one day i walk | Comments(0)  

エディ・ヒントンの追憶

来月発売される『Eddie Hinton Songbook』を楽しみ
に待っている毎日です。英Aceのソングライター・シリ
ーズは様々なシンガーに歌われてきた名曲を作者別にま
とめて選曲するというテーマを持った素晴らしい企画で、
南部のアーティストとしてはこれまでダン・ペンの作品
集が記憶に残っていますが、いよいよエディにまで手を
伸ばしてくれたのかと思うと感慨深いものがあります。

曲目表を眺めたところ、ダスティ・スプリングフィール
ドの「ベッドで朝食を」やトニー・ジョー・ホワイトの
300 Pounds of Hongry、あるいはルルの「エディは何
処に」といったヒントン=フリッツによる代表作が収録
されており、まずはひと安心しました。こうした共作に
関してかつて私はドニー・フリッツに「どちらかが作詞
でどちらかが作曲という役割分担なのですか?」と尋ね
たことがあるのですが、彼が「違う!俺たちは一緒に曲
を書いているんだよ」と諭すように語っていたのが印象
に残っています。記憶を辿ると確かダン・ペンもスープ
ナー・オールダムとの共作について同じような主張をし
ていて、ここら辺は少なくともゴフィン=キングやウェ
ルズ=マンのように明確な分業体制が敷かれていたコン
ビとは、どうやら様相が大きく異なるようですね。

今回のSongbookシリーズで個人的に最も嬉しかったの
は、エディがマリーン・グリーンと共作し、ジャッキー・
ムーアによって歌われたCover Meと、エディが珍しく
単独で書き上げボビー・ウーマックに取り上げられたA
Little Bit Saltyの2曲です。特に後者のウーマック・ヴ
ァージョンはじっくりと熱を込めて歌うウーマックとマ
スル・ショールズのAチーム(ジョンソン/フッド/ホーキ
ンズ/バケット)の連携が見事で、また作者のエディ自身
もアクースティック・ギターで参加してもいます。さら
に感動的なのはボビーが得意とするモノローグの部分で
あり、こんなことが語られ歌われています。

「レコーディングも殆ど終わりかけた頃だった。僕はエ
ディに言ったのさ。ねえ、こんな歌でもやらないかって。
恋人に去られるまでは恋なんか解らない。人生も同じさ。
辛いことを経験して初めて素晴らしさが解るんだ。そう
なのさ。喉が乾くまで水の旨さなんか解らないだろ?」

このA Little Bit Saltyはボビーの76年作『我が魂の故郷
〜Home Is Where The Heart Is』に収められています。
当時の彼といえば最も油が乗っていた時期であり、その
知名度も飛躍的に伸びていた頃でした。そんなボビーが
エディ・ヒントンの曲を取り上げ、しかも曲中に彼の名
前を呼んだことは、さぞかしエディを勇気付けたことで
しょう。実際二年後の78年にエディは初めてのソロ・ア
ルバム『Very Extremenaly Dangerous』をリリースす
るのですから、彼にとってもキャリアに於ける重要な足
掛りとなったのでは?と想像しています。

特にヒットした訳でもないこのA Little Bit Saltyですが、
この曲にはそんな裏面史があり、それらを忘れることな
くSongbookに収録してくれた英Aceに感謝したい気持ち
で一杯です。なおこの曲のオリジナル・デモはエディが
95年に死去した後に、彼の音源を纏めて管理しているZ
aneレーベルが発表した『Songwriters Sessions』で、
やっと蔵出しされました。


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by obinborn | 2018-09-29 17:49 | one day i walk | Comments(0)  

9月27日の吉村瞳

精力的に全国各地を回っている吉村瞳のライブを
27日は下北沢のラウンにて。自分の場合は三週ぶ
りだったが、この夜もまた一本芯の通った素晴らし
い歌とギターを聞かせてくれた。筆者にとっては
初体験となるリトル・フィートの「ディキシー・
チキン」とジャニス・ジョプリンの「ムーヴ・オ
ーヴァー」の2曲での骨太いスライド・ギターに
度肝を抜かれる一方、吉村の幾つかのオリジナル
曲では繊細な情景描写が際立つ。そんな両刀使い
が彼女の魅力だ。またこのところ頻繁に選曲され
ているケニー・ロギンスの名曲「プー横丁の家」
でのメリハリのあるヴォイシングにも胸を打たれ
た。

私と吉村とでは、世代的に言えばまるで父と娘の
ような関係だが、こうして70年代のルーツが時空
を超えていく様は、アメリカで言えば「両親が聞
いていた音楽に影響された」と語りながら、ジム
・クロウチやポール・サイモンらの楽曲を蘇らせ
るI'm With Herの感覚に近いのかもしれない。旅
先で目に映るもの、車の窓越しに通り過ぎていく
もの。それらを糧に吉村瞳はこれからも歌を携え
ていくことだろう。

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by obinborn | 2018-09-28 10:24 | one day i walk | Comments(0)  

遥かに、イマムーへ

ホンクの会場で嬉しかったのは、彼らの初期のマネジャーだ
った今村佳子さんと久しぶりに再会したことだった。開演前
に少しお話しさせて頂いたのだが、今は別の国で暮らしてい
ること、たまたま日本に帰ってきた時にホンクのライブを知
り駆けつけたことなどを語ってくれた。幸いにも僕のことを
覚えていてくれた彼女と、僅かな時間だったものの会話して
いたら、何かとても温かい思いが込み上げてきた。

今でもはっきり2007年の秋を覚えている。当時行く宛もなく
毎日を無為に過ごしていた僕は、武蔵小山にあるライブカフェ
のAgainで働いていた彼女と出会い、東京ローカル・ホンクと
いう僕にとっては未知のバンドと引き合わせてくれたのだ。
そんなある日のこと、僕はイマムーから貰った名刺を頼りに
電話して、東中野のお店で行われたホンクのワンマンライブ
に駆け付けたのだった。寒さを感じ始めた12月のことだった。

あれから11年の歳月が経とうとしている。早いような気もす
るし、それなりの重みを持った時間だったとも感じる。その
感じ方はまるで毎日の天気のようにコロコロ変わってしまう
のだが、互いの名前を忘れずに言い合えたことを大切にした
い。イマムーとの思い出を反芻してみると、「東京で食べる
ランチは何でこんなに高いんでしょう」とか、「僕は富士そ
ばで間に合わせているよ」といった他愛のない会話ばかりで
ある。それでも彼女の飾らない性格のせいだろうか。それら
ははっきりと記憶に刻まれた。

音楽やバンドはこうしてその周辺にいる人々まで巻き込み、
それぞれのドラマを生み落としていく。年月を重ねればな
おさらのことだろう。イマムー、決してきみのことを忘れ
たりはしていなかったよ。またいつか会いましょう。


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by obinborn | 2018-09-24 13:39 | one day i walk | Comments(0)