カテゴリ:one day i walk( 914 )

 

エディ・ヒントンの追憶

来月発売される『Eddie Hinton Songbook』を楽しみ
に待っている毎日です。英Aceのソングライター・シリ
ーズは様々なシンガーに歌われてきた名曲を作者別にま
とめて選曲するというテーマを持った素晴らしい企画で、
南部のアーティストとしてはこれまでダン・ペンの作品
集が記憶に残っていますが、いよいよエディにまで手を
伸ばしてくれたのかと思うと感慨深いものがあります。

曲目表を眺めたところ、ダスティ・スプリングフィール
ドの「ベッドで朝食を」やトニー・ジョー・ホワイトの
300 Pounds of Hongry、あるいはルルの「エディは何
処に」といったヒントン=フリッツによる代表作が収録
されており、まずはひと安心しました。こうした共作に
関してかつて私はドニー・フリッツに「どちらかが作詞
でどちらかが作曲という役割分担なのですか?」と尋ね
たことがあるのですが、彼が「違う!俺たちは一緒に曲
を書いているんだよ」と諭すように語っていたのが印象
に残っています。記憶を辿ると確かダン・ペンもスープ
ナー・オールダムとの共作について同じような主張をし
ていて、ここら辺は少なくともゴフィン=キングやウェ
ルズ=マンのように明確な分業体制が敷かれていたコン
ビとは、どうやら様相が大きく異なるようですね。

今回のSongbookシリーズで個人的に最も嬉しかったの
は、エディがマリーン・グリーンと共作し、ジャッキー・
ムーアによって歌われたCover Meと、エディが珍しく
単独で書き上げボビー・ウーマックに取り上げられたA
Little Bit Saltyの2曲です。特に後者のウーマック・ヴ
ァージョンはじっくりと熱を込めて歌うウーマックとマ
スル・ショールズのAチーム(ジョンソン/フッド/ホーキ
ンズ/バケット)の連携が見事で、また作者のエディ自身
もアクースティック・ギターで参加してもいます。さら
に感動的なのはボビーが得意とするモノローグの部分で
あり、こんなことが語られ歌われています。

「レコーディングも殆ど終わりかけた頃だった。僕はエ
ディに言ったのさ。ねえ、こんな歌でもやらないかって。
恋人に去られるまでは恋なんか解らない。人生も同じさ。
辛いことを経験して初めて素晴らしさが解るんだ。そう
なのさ。喉が乾くまで水の旨さなんか解らないだろ?」

このA Little Bit Saltyはボビーの76年作『我が魂の故郷
〜Home Is Where The Heart Is』に収められています。
当時の彼といえば最も油が乗っていた時期であり、その
知名度も飛躍的に伸びていた頃でした。そんなボビーが
エディ・ヒントンの曲を取り上げ、しかも曲中に彼の名
前を呼んだことは、さぞかしエディを勇気付けたことで
しょう。実際二年後の78年にエディは初めてのソロ・ア
ルバム『Very Extremenaly Dangerous』をリリースす
るのですから、彼にとってもキャリアに於ける重要な足
掛りとなったのでは?と想像しています。

特にヒットした訳でもないこのA Little Bit Saltyですが、
この曲にはそんな裏面史があり、それらを忘れることな
くSongbookに収録してくれた英Aceに感謝したい気持ち
で一杯です。なおこの曲のオリジナル・デモはエディが
95年に死去した後に、彼の音源を纏めて管理しているZ
aneレーベルが発表した『Songwriters Sessions』で、
やっと蔵出しされました。


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by obinborn | 2018-09-29 17:49 | one day i walk | Comments(0)  

9月27日の吉村瞳

精力的に全国各地を回っている吉村瞳のライブを
27日は下北沢のラウンにて。自分の場合は三週ぶ
りだったが、この夜もまた一本芯の通った素晴らし
い歌とギターを聞かせてくれた。筆者にとっては
初体験となるリトル・フィートの「ディキシー・
チキン」とジャニス・ジョプリンの「ムーヴ・オ
ーヴァー」の2曲での骨太いスライド・ギターに
度肝を抜かれる一方、吉村の幾つかのオリジナル
曲では繊細な情景描写が際立つ。そんな両刀使い
が彼女の魅力だ。またこのところ頻繁に選曲され
ているケニー・ロギンスの名曲「プー横丁の家」
でのメリハリのあるヴォイシングにも胸を打たれ
た。

私と吉村とでは、世代的に言えばまるで父と娘の
ような関係だが、こうして70年代のルーツが時空
を超えていく様は、アメリカで言えば「両親が聞
いていた音楽に影響された」と語りながら、ジム
・クロウチやポール・サイモンらの楽曲を蘇らせ
るI'm With Herの感覚に近いのかもしれない。旅
先で目に映るもの、車の窓越しに通り過ぎていく
もの。それらを糧に吉村瞳はこれからも歌を携え
ていくことだろう。

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by obinborn | 2018-09-28 10:24 | one day i walk | Comments(0)  

遥かに、イマムーへ

ホンクの会場で嬉しかったのは、彼らの初期のマネジャーだ
った今村佳子さんと久しぶりに再会したことだった。開演前
に少しお話しさせて頂いたのだが、今は別の国で暮らしてい
ること、たまたま日本に帰ってきた時にホンクのライブを知
り駆けつけたことなどを語ってくれた。幸いにも僕のことを
覚えていてくれた彼女と、僅かな時間だったものの会話して
いたら、何かとても温かい思いが込み上げてきた。

今でもはっきり2007年の秋を覚えている。当時行く宛もなく
毎日を無為に過ごしていた僕は、武蔵小山にあるライブカフェ
のAgainで働いていた彼女と出会い、東京ローカル・ホンクと
いう僕にとっては未知のバンドと引き合わせてくれたのだ。
そんなある日のこと、僕はイマムーから貰った名刺を頼りに
電話して、東中野のお店で行われたホンクのワンマンライブ
に駆け付けたのだった。寒さを感じ始めた12月のことだった。

あれから11年の歳月が経とうとしている。早いような気もす
るし、それなりの重みを持った時間だったとも感じる。その
感じ方はまるで毎日の天気のようにコロコロ変わってしまう
のだが、互いの名前を忘れずに言い合えたことを大切にした
い。イマムーとの思い出を反芻してみると、「東京で食べる
ランチは何でこんなに高いんでしょう」とか、「僕は富士そ
ばで間に合わせているよ」といった他愛のない会話ばかりで
ある。それでも彼女の飾らない性格のせいだろうか。それら
ははっきりと記憶に刻まれた。

音楽やバンドはこうしてその周辺にいる人々まで巻き込み、
それぞれのドラマを生み落としていく。年月を重ねればな
おさらのことだろう。イマムー、決してきみのことを忘れ
たりはしていなかったよ。またいつか会いましょう。


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by obinborn | 2018-09-24 13:39 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:チャス・ホッジズ

チャールズ・ホッジズが亡くなってしまった。先日山本君
がイギリスでチャス&デイヴの野外ライブ(他の出演はク
ラプトン、ウィンウッド、サンタナなど)を観てきて、そ
の話を聞かせて頂いたばかりだったので、信じられない気
持ちである。音楽評論家のイアン・サウスワース氏は以前
「チャス&デイヴは英国の大道芸人みたいなもの。そこに
パブ・ロックのメンタリティを探すのは日本人だけだ」と
辛辣な見解を述べていたが、彼らのくすんだ情感に心奪わ
れた音楽ファンは少なくないだろう。

ヘッズ・ハンズ&フィートを皮切りに音楽活動を本格化さ
せたチャールズ・ホッジズはやがてデイヴ・ピーコックと
出会い、デュオのオイリー・ラグスを結成。74年に唯一の
アルバム『Oily Rags』を米シグネチャー・レーベルから
発表する。ザ・バンドにバディ・ホリー、アラン・トゥー
サン、クリス・クリストファーソンのカバーを収録したそ
の盤にはルーツ・ロックへの視座があり、日本ではブラッ
クホークが選ぶ99選にセレクトされたこともあって評判を
呼んだ。そのオイリー・ラグスを改めて76年に再出発した
のがチャス&デイヴだった。チャールズのピアノとデイヴ
のベースを基本とした間合いのあるシンプルでアーシーな
サウンドが彼らの魅力で、時にヘッズ・ハンズ&フィート
時代の盟友アルバート・リーのギターをフューチャーする
辺りがたまらなかった。そのリーが最初のソロ・アルバム
『ハイディング』でチャス&デイヴの名曲Billy TYlerを取
り上げていたことも忘れ難い。

個人的にはそのBillyTylerのオリジナル版を収録した77年
のセカンド『ロックニー』や、リーが参加した79年の『
ドント・ギブ・ア・モンキーズ...』辺りを本当によく聞い
たものである。前述したイアン氏の辛辣な評価は、恐らく
ロック・クラシックを数珠繋ぎにしたり、クリスマス・ア
ルバムを連発する安易な制作方針にあったのだろう。また
実際にイギリスではテレビ出演し歌い演奏するコメディア
ンという認識が一般的であろう。そのお笑いが低俗なもの
であったかどうかはイギリスの風習に疎い私には判断しか
ねるものの、そうした大衆路線をパブ・ロックのエリアで
展開したところにチャス&デイヴの生命線があり、それは
キンクスやボンゾ・ドッグ・バンドあるいはラトルズ辺り
に感じ取れる英ミュージック・ホールの伝統を受け継いだ
ものだと理解している。

チャールズさん、今まで長い間本当にありがとうござい
ました。あなたのホンキー・トンク・ピアノとコックニ
ー訛りそのままの歌声、その気取りのないユーモアが私
は大好きでした。アルバート・リーの『ハイディング』
にあなたの名前を見つけて心ときめいた日々が、まるで
昨日のことのようです。

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by obinborn | 2018-09-23 17:41 | one day i walk | Comments(0)  

ザ・バンドの匿名性〜next of kinについて

next of kin(親族の、同種の)という言葉は、リック・ダンコ
が歌う「火の車」に出てくるのだが、ジョージ・ハリソンが嘆
いた英国盤の『ビッグ・ピンク』で省略されてしまったのが、
下記の写真next of kinである。ジョージが気に入ってアップル
にアセテート盤まで作らせたデラニー&ボニーも、スタックス
からのデビュー・アルバム『ホーム』では祖父と一緒のデラボ
ニ夫妻が写っていたから、こうした家族的な雰囲気にジョージ
が何らかの気持ちを動かせていたことは想像に難くない。

今改めてこの写真を見直してみると、中央に立っているリチャ
ード・マニュエルの若さと端正な顔立ちに驚かされる。リヴォ
ン・ヘルムはかつて「リチャードこそがザ・バンドのリード・
ヴォーカルだと思っていたよ」と述懐していたが、68年のデビ
ュー・アルバムの時点では、リチャードがグループの一番星だ
ったのかもしれない。

そんなリチャードも、リヴォンもリックも”親族たち”のなかに
紛れ込んでいる。最初は誰がザ・バンドのメンバーかが判然と
しなかった経験をされた方はどのくらいだろうか。実際に聞こ
えてくる音楽も、手巻きオルガンのような悲しい調べと老人の
嘆きが混ざり合う「怒りの涙」から始まっていた。”俺の叫び
を聞け!”というのが60年代後半のユース・カルチャーの生命
線であるならば、ザ・バンドはそこから遥か遠くに離れていた。

そっと老婆に寄り添うような「淋しきスージー」が、デイル・
ホウキンス(奇しくもザ・バンドを育てたロニー・ホウキンス
の従兄弟)のガール礼賛「スージーQ」への反語にも聞こえて
くる。カーレン・ダルトンのカバー・ヴァージョンでも知られ
る「イン・ア・ステーション」が、時代という迷宮を彷徨うエ
レジーのように響く。アルバムの最後に置かれた「アイ・シャ
ル・ビー・リリースド」でやっと立ち昇る希望も、無名の囚人
たちが塀越しに眺める朝靄のようだった。

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by obinborn | 2018-09-14 18:27 | one day i walk | Comments(0)  

残暑奇譚:オビン、婆さんに救出されるの巻

忍者「大将、とうとう熱中症にやられましたね!」

猟奇王「一時は天下を取ったワシとしたことが不覚じゃ。
久しぶりに丸長のつけ麺食べたまでは何でもなかったん
じゃがのう〜」

忍者「天下を取ったって...大将の場合練馬区限定じゃないっすか。
最近はもっぱら引退した悲しい音楽評論家と噂されてまっせ」

猟奇王「ナニい?もう一度言ってみい!聞き捨てならんな!」

忍者「まあ、そうカッカしないでください。そんな調子でいつ
もディスクユニオンの若い店員を説教しているんですか?」

猟奇王「いや〜、西友の帰りに頭が一瞬クラクラしてしまって
な。今日も順調に働いておったんやが、最寄りの日陰でうずく
まってしまったら、近くにいた婆ちゃんが氷をくれてな。いや
〜ホンマ救われた」

忍者「若い娘だとこうは行きませんからねえ〜」

猟奇王「できればタンクトップの姉ちゃんから氷貰いたかったのお〜」

忍者「またそんなことを!婆ちゃんに菓子折り持っていった
ほうがいいっすよ、大将」

猟奇王「バアさんに助けてもらうとは、トホホ、ワシも焼きが
回ったもんじゃ。ところで今日も買ったぞ。リンダDON'T CRY
NOWのオリジナル・マスター盤、スティーヴ・ジョーダンの
『サンフランシスコ大地震』、ジム・パルト『OUT THE WIN
DOW』の3枚じゃ」

忍者「.....」😱


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by obinborn | 2018-08-30 14:24 | one day i walk | Comments(0)  

音楽評論家・吉原聖洋さんの死を悼む

音楽評論家の吉原聖洋さんが亡くなった。以前から病を患って
いたがとうとう帰らぬ人となってしまった。80年代から媒体に
書いていた彼は僕の大先輩であり『ミュージック・ステディ』
や『Pop-Ins』といった雑誌でよくお名前を拝見していた。ま
た佐野元春のコンサートに行くと僕の近くの席にいらっしゃる
ことが多かった。但し紹介してくれる人に恵まれなかったので、
吉原さんと直接話す機会は遂に叶わなかった。またクリティッ
クとして僕を認めてくださったかどうかも解らないが、二歳上
の彼と並走するように佐野元春のテキストを書いてきただけに、
今は喪失感でいっぱいだ。初期から佐野と親交があった吉原さ
んはライフワークとして佐野元春の評伝を書き上げる予定だっ
たとか。その夢が途絶えてしまったことが悔やまれてならない。
彼が優れた文章家であることは、恐らく最後の原稿となった「
自由の岸辺への長い旅」を読めば感じて頂けるだろう。そこに
はイマジネイティブな閃きがあり、違う角度から物事を見る視
点があり、あえて自問も隠さないほど正直なものだった。

心より吉原さんのご冥福をお祈りします。



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by obinborn | 2018-08-22 17:41 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:ジニー・グリーン〜生粋の南部娘

ジニー・グリーンが亡くなってしまった。近年はずっと病気
を患っていたらしいが、とうとう力尽きてしまった。僕がま
ず最初に彼女の名前を意識したのはボズ・スキャッグスのメ
ジャー・デビュー作(69年)でドナ・ゴドショウらとバック
・コーラスを担当していたからだった。ゲイトフォールドの
ジャケットを開くとマスル・ショールズのAチームやデュエ
イン・オールマンらとともに彼女らの写真があった。同じ頃
にはエルヴィス・プレスリーの名作『イン・メンフィス』に
も参加していた。そんなジニーが頭角を現したのは、何とい
ってもアラバマ・ステイト・トゥルーパーズのフィーチャリ
ング・ヴォーカリストとして登用されたからだろう。このR
&Bレヴュー・バンドは何でもエレクトラ・レーベルがドン
・ニックスのセカンド・アルバム『LIVING BY THE DAYS』
をプロモートするために結成されたそうだが、戦前ブルース
の巨人ファーリー・ルイスを広くロック・ファンに知らしめ
る役割も果たした。そのバンドのツアーの模様を収録した2
枚組のライブで、ジニーはティッピー・アームストロング作
の「JOA-BIM」に全身全霊のゴスペル・フィールを込めてい
た。

そんなジニーがエレクトラからようやくソロ・デビューした
記念碑が『Mary Called Jeanie Greene』(71年)である。
アラバマ・ステイト・トゥルーパーズで交流したドン・ニッ
クスがプロデュース役に収まったのはごく自然な流れだった。
前述した「JOA-BIM」のスタジオ録音版をはじめ、アルバー
ト・キングが傑作『LOVE JOY』の最後に収録していたニッ
クス=ダン・ペン作「Like A Road Leading Home」やドニ
ー・フリッツとアーサー・アレクサンダーが共作しアレクサ
ンダーが72年のワーナー盤で発表した「Thank God He Ca
me」などを収録した到底忘れられない名作だ。ニックスにし
ては珍しくシャッフル・ビートで跳ねる「Only The Childre
n Know」で可憐な表情を見せるジニーも大好きだった。ミシ
シッピー州に生まれ、10代の頃にはチェット・アトキンスに
見出され、メンフィスのサン・レコードに吹き込む機会もあ
ったとか。そんなジニーは生粋の南部娘だったに違いない。
残念ながらソロ・アルバムはこのエレクトラ盤のみというキャ
リアに終わってしまったが、彼女のような脇役がいたからこ
そ、70年代にゴスペル・ロックのシーンが豊かに育まれたこ
とを忘れたくない。まるで草原を笑顔で駆け抜けるような「
Only The Children Know」を聞いていると、失ってしまっ
たものの大きさに初めて気が付く。


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by obinborn | 2018-08-21 18:26 | one day i walk | Comments(0)  

8月18日のイトウサチ&ブンケンバレエ団

18日はイトウサチ&ブンケンバレエ団を高円寺のJIROKICHI
にて。難産の末に完成した新作『きぼうのうた』のレコ発ライ
ブだけあって、超満員となった会場を前にイトウは達成感に満
たされた清々しいまでの笑顔を見せた。一番良かった頃のリン
ダ・ルイスを彷彿させるヴォイシングと、アクースティック・
トリオならではの骨格を剥き出しにしたシンプルな演奏がひた
すら気持ちいい。時にゲストとして鍵盤とパーカッションを加
えた色彩感溢れるグルーヴは、ジョニ・ミッチェルの『コート
&スパーク』や『夏草の誘い』を懐かしく思い起こさせる。

散文詩のような歌詞もいい。きっと彼女は言葉が説明的になっ
てしまう危うさを本能的に回避しているのだろう。だからこそ
削ぎ落とされた一字一句が際立ち、聞き手にイマジネイション
の余地を与え、ザクザクと刻まれるカッティングやしっとりと
したフィンガー・ピッキングを伴いながら胸に染み渡る。歌の
主人公が動き始め、自分の窓から見える世界を丁寧に描き出す。
そう、季節の変わり目のようないわし雲を見上げながら。


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by obinborn | 2018-08-19 00:37 | one day i walk | Comments(0)  

ココモに最初の雪が降る〜アリーサのために

英国のパブ〜ファンキーロック・バンドにかつてココモがいた。
グループ名はアリーサ・フランクリンの自作曲「ココモに最初
の雪が降る」に由来すると伝えられている。アリーサが72年の
傑作『黒人賛歌』で発表したナンバーだ。ダイナミックな歌唱
で知られる彼女が、珍しく抑制の効いたヴォーカルを聞かせる
ナンバーだが、そこからネーミングしたココモの気持ちが僕に
は何となく理解出来たものだ。そんなココモは75年のデビュー
・アルバムでアリーサの妹であるキャロリン・フランクリンが
書いたAngelを取り上げている。姉のアリーサは73年のアルバ
ム『Hey Now Hey』で歌っていた。

アリーサの訃報が伝えられた日、真っ先に僕が思い起こしたの
は「ココモに最初の雪が降る」のエピソードであり、ココモの
パディ・マクヒューが歌うAngelだった。



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by obinborn | 2018-08-17 22:21 | one day i walk | Comments(0)