カテゴリ:インタヴュー取材( 28 )

 

ロング・インタヴュー、中原由貴(其の三)

☆☆☆☆☆私はバンド・グルーヴを信じています

ーー青山陽一the BM'sの演奏はベースレスのトリオ編成故に、綱渡
り的なグルーヴがとてもスリリングです。

 「鳥羽修さんに青山さんを紹介されたのが最初の出会いでした。
その後青山さんから声を掛けられBM'sに参加するようになってか
ら5年くらい経ちますが、青山さんはとても器の大きな方ですね。
私の演奏に細かく口を挟むのではなく、すごく自由にプレイさせ
てくれます。勿論スタジオでは曲の構成全体をこう変えようよ、
こうやり直そうよといった試行錯誤はあるのですが、基本の部分
では各自の演奏を尊重してくれるんです。またライヴの場では私
の演奏が途中でヨレたり走ったりすることも多々あるのですが、
そこでの三人の駆け引き次第で最高の展開に持っていってもらっ
たなあ、ということもたくさんあります。オルガン・トリオであ
る現在のBM'sはベースレスという特殊な編成なだけに自由度も高
く、その場その場でどう展開するかスリリングな部分もあると思
いますが、伊藤隆博さんのオルガンは左手とフット・ペダルでベ
ースを兼ねていることもあって、すごく牽引力があるんです。
伊藤さんが司令塔となって演奏中に『こっちに行くぞ!』という
暗黙のサインを出すと、新たな流れが次々と生まれてきますし、
その膨らんだ部分を三人でどんどん拡大していく時などは、まさ
にライヴならではの醍醐味を感じます。BM’sには長い歴史があり
歴代のメンバーもたくさんいますが、伊藤さんだけは初期からず
っと青山さんと演奏していますよね。そんなことも関係している
のかもしれません。タマコウォルズに関してはBM'sのように私が
が呼ばれて参加するようになったわけではなく、自分たちが始め
た自分たちのバンドという意識がやはり強いです。タマコウォル
ズはジャムっぽい演奏の面白さを追求している部分もありますが、
6人編成という大所帯なだけに、新曲の基本アレンジを決めるま
でにすごく時間をかけます。私は最初アウトロの長い演奏が苦手
で本当に苦労しましたが、タマコをずっとやり続けているうちに
だんだん長い演奏の面白さがわかってきました。それもこの6人
のやりとりの塩梅がわかって来たから、というのも大きいと思い
ますし、みんなが私に本当に寄り添ってくれているなあと感じて
います。ベースの河野薫さんは私がどうなったって信じられない
くらい付き合ってくれて、一緒になって曲を膨らませてくれるん
ですよ。ベーシストによってはドラムスがちょっとでもヨレたり
遅くなったりすると、そのことを気が付かせるためにクリックの
役割をしようとする人もいるのですが、そうして修正すると細部
では持ち直したとしても、サウンド全体のグルーヴが削がれてし
まうと思うんです。それもドラムの人の裁量によっては削がれな
いこともあるかもしれないんですけど、私はそうやられると、も
う一気にそこからガタガタになってしまいます。ですからBM’s
にしてもタマコにしても、私が一緒に演奏するメンバーたちはそ
こら辺の共通認識を持っている人たちが多いと思います。最低限
の守りに入ってしまうような演奏ではなく、どんどんグルーヴの
波に飛び込んでいく勇気が私にもだんだん解ってきました」

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(タマコウォルズのベーシスト、河野薫と)

ーーBM'sの「Friday Rider」で中原さんはマーチング・ビートを
援用されています。これは素晴らしい効果を上げていますね。

 「あの曲を初めて演奏した時のことは、その日のスタジオの
風景までをくっきりと思い起こすことが出来ます。最初にレコー
ディングされたものは違うアレンジだったのですが、青山さんに
『もう少しラテンっぽく出来ないかな?』と言われ、そこで思い
付いたのがあのドラミングだったんです。先ほどラテンやジャズ
には走らなかったというお話をさせて頂きましたが、そんな私が
ラテンのなかで唯一練習したことがあるのがソンゴのパターンで
した。これはドラム・キット全体を使って手足をバラバラに動か
す練習のようなリズム・パターンなのですが、そのパターンを全
部スネアだけに置き換えて使ってみたら、ハマったんです!
私の演奏が普段どれだけ青山さんのお役に立っているのかは解ら
ないのですが、あの曲に関しては少しは貢献出来たかな~と感じ
ています」

ーー青山さんの久し振りのアルバム『Blues For Tomato』がもう
すぐ発売されます。レコーディング・メンバーの一人として中原
さんの立場から見ると、どんな仕上がりになったと思われますか。

 「これは青山さんの音楽ですし、リリース前に私のほうからど
れだけ話していいのかは解らないのですが、ベーシックなレコー
ディングはたった2日間で集中しながら終わらせることが出来ま
した。今回はBM'sのオルガン・トリオに千ヶ崎学さんのベースが
加わったカルテットでの一発録音です。あとはそこに青山さんが
いろいろと被せていく作業だったのですが、この前完成した最終
版を聞かせてもらったらすごくいい感じでした。そうですね、
『Blues For Tomato』のアルバムには4人が『せ~の!』で臨み、
全力疾走した勢いが詰まっていると思います」

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(10月に発売された青山陽一のニュー・アルバム『Blues For Tomato』
ここ数年青山がテーマとして掲げてきたオルガン・トリオでのシンプルで
隙間のあるグルーヴを発展させた意欲作であり、中原のドラムスも生なら
ではの勢いに満ちている)

ーーお好きなドラマーをぜひ教えてください。

 「私が一番影響を受けたのはカーネーションにいた矢部浩志さ
んです。カーネーションのライヴ音源などを聞くと、さっきのお
話ではないですが、全体がウネりながら一つのグルーヴを作って
進んでいるのが解ります。長い間奏やアウトロでも矢部さんが出
した一瞬のフィル・インで展開したり終わったりするんですけど
も、そのフィルがちゃんと終焉を告げるように長尺の演奏全体が
デザインされてるんですよ。アイ・コンタクトではなく音だけで
反応し理解し合える関係というのも理想ですけども、そういう風
に物語を作れる矢部さんの力はやはり凄いと思います。私はロッ
クも勿論好きなのですが、とくにブラック・ミュージックが好き
なので、クライド・スタブルフィールドとバーナード・パーディ
はとくに好きなドラマーですね。ジェイムズ・ブラウンのドラ
マーでジャボ・スタークスではなくクライドの名前を挙げたのは、
私が大好きな『In The Jungle Groove』の頃のJB'sのメンバーだ
ったからです。クライドが叩く「(Give It Up Or)Turn It A Loo
se」はいつ聞いても素晴らしい! バーナード・パーディはアレ
サ・フランクリンの『Live At Fillmore West』などをよく聞きま
した。バーナードのソロ・アルバムには「Aretha」というそのま
まのラヴ・ソングもありますね。アレサのフィルモア・ライヴの
頃に二人がステディだったんだよ、という話を聞くと『そうだっ
たんだ!やっぱり音楽っていいなあ!』と思ったり(笑)。バー
ナードのライヴは二度観ています。あのファットバック・ビート
とハイハットのオープン&クローズで会場にいたお客さんたちが
全員唸っていて、みんなやっぱりここでぐっと来るんだなあ!と
聞いていて何だかとても嬉しくなりました。後で彼のスネアをこ
っそりチェックして、後日探し回ったのですが、そのものは重す
ぎたのと高すぎたので買えず、そのピッコロを買いました。でも
それは結局スネア自体のパワーが強すぎて私には使いこなせず、
矢部さんが使っているのと同じPearlのスネアを探して買いまして、
今はそれをメインで使っています」

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(JBにアリーサという二大棟梁が70年代初期に残した大いなる道しるべ。
ドラムスはクライドにバーナードが文句なしの快演を聞かせる)


☆☆☆☆☆☆囲碁お見知りおきを

ーーところで普段のバンド活動とは別に、中原さんが企画されて
いる自主イベントに”囲碁お見知りおきを”があります。これはど
ういった主旨なのでしょうか。

 「小尾さんが中学や高校時代にラジオを夢中になって聞いたり、
必死になってエア・チェックしていたというお話を先ほどされて
いましたね。私も明治時代にあった芝居小屋のように、そこにそ
れしか娯楽がなかった故に、収入も違えば趣味も違う、生い立ち
も違う、そんないろいろな種類の人たちが集まる、というような
場所を作れたらなあと思ったのが始まりです。
これまでやったイベントでは音楽だけではなく、詩の朗読や演劇
や紙芝居なども交えています。料理や飲みものも含めて、その小
屋の空間に置かれたひとつひとつの出し物をどれも並列に楽しん
で頂けたら、と思います。それはライヴハウスのような音楽に特
化した場所ではないことが多いですし、他の参加者のみんなも自
分がメインで普段やっている場所とは違って、それぞれが難しい
環境で工夫してやってくれているんですけども、そこに集まって
来てくれた人たちにとって、自分がそれまでに触手を伸ばしたこ
とがなかった新しい世界への入り口になったら嬉しいなあと思い
ます。また東京ローカル・ホンクの話になりますけども、彼らは
大掛かりな音響設備がないところでもちゃんと音楽が出来る。そ
ういう音楽のあり方について考えさせられたことも、きっかけの
ひとつです」

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(今年9月に吉祥寺で行われた第二回目の”囲碁お見知りおきを”
の会。音楽のみならず寸劇、写真展、詩の朗読までの多彩で手作り
感溢れるイベントだった。なおこの日中原はスティーヴィ・ワンダ
ーの「Ebony Eyes」を日本語詞で披露。スタンディング・スタイル
のドラムスとともに会場は温かい拍手に包まれた)

ーー雑多で気楽な面白さがあるようですね。

 「というのも私たちがツアーで京都の拾得に行った時、ふと入
ってきた外国人のお客さんがいたんです。その人は日本人の彼女
とデートしていて、ふとライヴが見たいという話になり、何をや
っているかも知らずにフラッと拾得に来てくれたんです。そうい
う音楽との接し方もいいなあと思いました。今はライヴハウスっ
てバンド同士が土日の奪い合いみたいな状況になっているじゃな
いですか。お客さんにしても毎回来てくれるようなすごく熱心な
人たちがいるかと思えば、一生ライヴハウスには縁がないような
人たちもいる。そこら辺があまりにも極端に二分化してしまって
いるような気がするんです。もっと自由に出入りして欲しいし、
もっと気楽にその場を楽しんで欲しい。今日時間あるけど何して
遊ぶ? ライヴでも行く? みたいなことがあったらいいなあと
思います。今日はさっきまで生まれて初めてフラメンコを観に行
っていたのですが、そのくらいの初心者的な好奇心でいいんだと
思うんです。私は父と上海に行ったことがあるのですが『新天地』
いう場所に行った時、思わず心が高鳴りました。レストランやバ
ーやライヴもやっているような飲食店、ファッションビルなどが
集まった場所だったんですが、旅行者やおじさんもおばさんも若
者たちも、あらゆる年齢と人種の人たちが集まってとにかく活気
に満ち溢れていまして、無謀なまでのエネルギーを感じることが
出来ました。向こうにはこんな言い伝えもあるそうなんです。
『お金と仕事がなかったら、とにかく新天地に行け!』って」

ーー今日はお忙しいなか、どうもありがとうございました。それ
では最後に生涯のフェイヴァリット・アルバムを5枚挙げてみて
頂けますか。

 「こちらこそありがとうございました。小尾さんといろいろお
話出来て今日はすごく楽しかったです。5枚というのは難しいの
ですが、まずはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの『Fresh』
です。ジェイムズ・ブラウンは編集アルバムで申し訳ないのです
が、大好きな『In The Jungle Groove』を選びましょう。あとは
グラハム・セントラル・ステイションの『Release Yourself』と
カーネーションの『Booby』です。最後の一枚は、、、う~ん、
どうしようかな、、、。そうだ!ブルース・ブラザーズのファー
スト・アルバム『ブルースは絆』です! それと曲単位で言って
もいいですか? 私はダニー・ハサウェイの「Jelous Guy」とス
ティーヴィ・ワンダーの「Ebony Eyes」にはかなり影響を受け
ました。「Jelous Guy」のハネるようなビートを辿っていくうち
にニューオーリンズの音楽に目覚め、ミーターズを好きになって
いったりしましたから、そんな意味でも忘れられないですね」

2011年9月24日 西荻窪のRonnie'sにて
取材・文 小尾 隆

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(スティーヴィが76年に発表した一大音楽絵巻。終盤の「Ebony Eyes」では横揺れのしなや
かなビートがずっと余韻を残していく)

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(スライにハサウェイ。キホンにして言わずもがなの名作。心して聞こう!)



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by obinborn | 2011-10-28 22:10 | インタヴュー取材 | Comments(0)  

中原由貴インタヴュー(後日談)

中原由貴さんがご自身のblogで筆者のことを取り上げてくださいました!
http://mooran170.tamacowolds.net/?page=0

いやあ、嬉しいなあ〜
と同時に 女の人って本当にいろんなところを見ているんだな〜とも
思いました
スパゲティ屋さんでの場面なんて 当時は互いに知らなかったんだから
忘れていてもおかしくないですよね
女、コワッ(笑)

少々こっ恥ずかしいのですが 以下中原さんのblogから抜粋させて頂きます
ムーさん、ありがとう!
ぼくもこれを機に精進致します!

 ☆    ☆    ☆

小尾さんという人、そして囲碁お見知りおきを楽団娑婆に出る、の巻

 先日もこちらでちょびっと触れましたが、ライターの小尾隆さんにインタビューしていただいた記事が小尾さんのブログにアップされました!小尾さんと初めてお会いしたのは、正確に言うと一方的にお見かけしたんですが、青山陽一さんのライブ会場近くのスパゲティ屋さんで、小尾さんが青山さんにご挨拶されていた時でした。確かご自分はまだ食べている途中だったのにわざわざ立ち上がって青山さんにご挨拶されるその姿は、当時私にとっては全く知らない人だったにも関わらずはっきりと覚えているくらい印象的でした。なんとまっすぐな方だ、と思ったのですが、その後お話させていただくようになり、先日インタビューをしていただいた際にいろいろとお話した後も、相対した人をまっすぐにとらえて目を逸らさずに真剣に対峙する方だなあという印象を強く持ちました。「ライブがよかったです!」というようなことをものすごい熱量を持って伝えてくださる笑顔が大変素敵な方なんですが、きっと曲がったことやよくないと思ったことには同じ熱量で真剣に怒るんだろうなあ、とも思いました。この度はそんな小尾さんが、小尾さんの刀で私の人生を切り取ってくださいました。アップされたのを読んでみると、私は全然きかれたことに答えていなかったり、関係ない話を始めたり、とまあ本当によく小尾さんは辛抱強く聞いてくださったなあと思いましたが、自分で読んでみていろいろと振り返るいいきっかけをいただきました。これまでにお世話になったいろんな人たちと小尾さんに一礼をいたしまして、これからまた気を引き締め直して進んで行こうと思ったらまたワクワクして来ました。こんなチャンスをくれた小尾さんに、本当に感謝いたします。

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「大抵の人々は『それは面白い!今度また連絡するから!』と言ってもう二度と
電話をしない。でもアレックスは、そういう断り方が出来なかったんだよ」
(デヴィッド・フリクルによるアレックス・チルトンのインタヴューより)
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by obinborn | 2011-10-28 20:12 | インタヴュー取材 | Comments(2)  

ロング・インタヴュー、中村まり(上巻)

 初めて中村まりのライヴに出掛けたのは09年の10月のことだった。その日は
ずっと小雨が降っていたのを今でもよく覚えている。新しい才能との出会いは、
どうやらそうした記憶とともに刻まれていくものらしい。それ以来ぼくは出来る
限り彼女が歌う会場へと足を運んだ。冬の夜もあれば夏の宵もあった。強い風が
吹き荒れる日もあれば、日溜まりの余塵に包まれた夕べもあった。そうした季節
のうねりとともに「A Brand New Day」や「Still In The Sun」といった歌が次第に
羽根を広げていく姿を確かめることは、少なからず価値ある体験だった。
 
 昨年の夏に彼女がロンサム・ストリングスとともにレコーディングに入ったと
いう話は耳にしていたが、その優れた成果が今年6月に発売された彼らの共演作
『Folklore Session』だ。そしてこのアルバムを携えた彼らは、6月と7月に亘
る二度のツアーへと旅立ち、各地で好評を博した。またフジ・ロックにも参加し、
フィールド・オブ・ヘヴンで行われた演奏は素晴らしいものになったと伝え聞く。

 ツアーを終えたばかりの8月の夕べ、中村まりと久しぶりに会った。


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☆楽しかったツアー

ーー西日本ツアーに三度目となるフジ・ロックへのご出演、お疲れ様でし
た。ツアーの手応えはいかがでしたか。

 
                                        「ありがとうございます。今回は特に、お客さんが温かく迎えてくれて、それが追い風になったというか、背中を押して貰ったような部分がすごく大きかったです。どの会場もほぼ満員御礼だったのが嬉しかったですし、前回の6月のツアーの時よりも、『Folklore Session』のリリースからおよそ2ヶ月弱の間があったぶん、CDを聞き込んでからライヴに来てくださった方が増えた中でのライヴが出来た気もしました。フジ・ロックに関しては、たとえ私たちのファンではない方々でも、フジロッカー独特の、皆で盛り上げよう!という雰囲気があるんですね。それがしっかりとこちらにも伝わってきましたので、とても楽しかったです」 
                                        ーーよくツアーは後半になればなるほど音が固まり、各自のプレイも奔放
になると言われますが、演奏面ではどうだったのでしょうか。

                                                           「自分はやはり当事者ですからどうしても客観的に見れない部分はあるの
ですが、だんだん演奏が引き締まってきたという感想は頂きましたし、自
分でも今回のツアーは最初に演奏した時(5月29日 西麻布の音楽実験室
・新世界)よりも次第に良くなっていったと感じています。勿論その時々で反省点もいろいろあるのですが、やはり後半はどんどんノリが良くなってきたのではないでしょうか」
                                        ーーアルバム『Folklore Session』に関して中村さんはよくMCで『構想5
年、録音5日』とおっしゃっていましたね。実際に音楽が完成するまでに
は様々な紆余曲折があったと思うのですが、最初はどういう青写真を描い
ていらっしゃったのですか。

                                                  「まず自分としては5年前にはロンサム・ストリングスの方々と演奏するとどういう風になるのか、具体的には思い描けていなかったですね。でもライヴの場で初めてご一緒したときにとてもうまくいったという感触があって、その後も何度かライヴを重ねるうちに次第に共演の形が見えてきたという感じです。なので青写真ということに関しては、そうしたライヴでの共演がまずあり、その延長線上にレコーディングの話が持ち上がりましたので、ゆっくり時間をかけて具体的な話し合いへと進んで行った感じです。選曲に関しては色々と思い描いていましたが、それ以外の部分では実際にスタジオに入って演奏してみてから分かる部分が大きいだろうと思っていました」

 
 
ーーアルバムのプロデューサーでもあるギタリストの桜井芳樹さんの貢献
も大きかったと思います。桜井さんはどういった指揮を執られていったの
でしょうか。

                                                 「桜井さんは曲ごとのメンバーの立ち位置なり音像なりを明確に把握しているので、桜井さんが譜面を起こし、それを私たちが演奏しながらレコーディングを進めていくという意味で、まさにプロデューサーという存在でした。曲の解釈など、あいまいになっている部分の意味づけを桜井さんがしたことで曲の輪郭がはっきりしたことは大きかったですね。今回は私がヴォーカリストとして第三者的に加わったこともあって、私自身もそれなりに意見を言わせて頂いたので、恐らく普段のロンサム・ストリングスとは違ったアプローチになった部分もありました。でもやはり出来上がった作品をみると、ロンサム・ストリングス独特の世界観が色濃く反映されていると思えるので、そのあたりは特に桜井さんのプロデュースの力を感じますね。テイクの取捨選択については、おのずと満場一致じゃないですけれど、九割方はこの演奏が良かった、というメンバー全員の意見の一致を見ることが出来ました。それぞれに演奏のピークというものがあるのですが、それが何度目かで全体的なベストテイクに一致するような流れに持っていけたのが良かったかと思います。ただ申し訳なかったなと思うのは、皆さんが私のヴォーカルの出来を最優先してくださったので、せっかく演奏面でいいソロ・プレイがあったとしても没になってしまったテイクもありました。でも全体的な方向性としては、定まっていたように思えます。(昨年の7月に伊豆スタジオで行われた)5日間のレコーディングは、曲数も多かったので決して時間に余裕があったわけではありませんが、予定していたスケジュールでほぼ余すことなくやり切った形で順調に終えることが出来ました」  
 
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の絡みが素晴らしいですね。ギター・パートの役割分担は自然に決まって
いったのですか。

                                                                                          「この曲にしても2、3年前に下北沢のleteが主催したコンサートで桜井さんと一緒に演奏した時のものがベースになっているんですね。なので今回もテクニカルな面で弱冠合わせた部分を除けば、お互いのギターに関して口出しするようなことはなかったですね。阿吽の呼吸じゃないですけれど、互いがそれぞれ好きなスタイルを持ち寄った、自然な演奏になっていると思います」




☆☆歌の根っ子を掴みたい

ーー今回の『Folklore Session』は多くの曲がフォークやブルーズ、ある
いはマウンテン・チューンやトラディショナル・ナンバーなど、古い時代
に北アメリカで生まれた歌のカヴァーですね。そういう意味ではソングラ
イターとしての中村まりというよりは”語り部”としての中村さんを押し出
したような内容になっています。なかには1920年代に歌われた「The Cuckoo Bird」のような曲も入っています。そうした古い時代の曲を現代という時代に歌うことに関して、どう思われていますか。


                                                               「今おっしゃって頂いたように、まさに語り部なのかもしれません。私が歌手として一番大事にしているのは、その曲の根っ子を掴むことなんです。歌が生まれた時代と今自分が置かれている環境が違うからといって、考え過ぎるのは良くないと思います。そうですね、何と言えばいいのかはよく解らないですし、無責任な言い方になってしまうかもしれませんが、自分のオリジナル曲に比べると、会ったこともない他人が作った古い曲を歌う時、私は背負うものが遙かに少ないわけです。オリジナルを歌う時はやはり自分なりにその曲を作った背景を表現しようとして、一つの方向に向かって繊細な表現を追い求めていこうとするのですが、カヴァー曲の場合は歌詞の中に表現されている感情に対して遠慮がなくなり、表現にも選択肢の幅が生まれるように思えます。もう少し客観的に自分の歌を見つめているもう一人の自分がいて、より歌うという行為そのものに集中できることがおもしろいところです。それに、より過去のトラディショナルの録音になるほど、現代の歌唱法では当たり前となっている個人的な感情移入を前提とした歌い方と比べて、歌い手がその歌の物語を客観的に眺めつつ、フラットに歌っている印象を受けるんですよね。もしかしたらそうした立ち位置にも近いのかもしれません。これは私の勝手な解釈かもしれませんが、歌詞をすべて把握出来なくても、極論で言えば歌詞が付いていなかったとしても、曲のメロディ自体にその歌の喜怒哀楽があって、その歌の気配や物語を察することが出来るように思えます。そしてたとえ時代は違っても、人間の喜怒哀楽というのは基本的にはそれほど変わらないものだとしたら、曲が古いとか新しいとかではなく、歌の根っ子やエッセンスを掴むことは可能だと思っていますし、掴みたいと常に思っていますね。
ちなみに『このヴァージョンが最高!』とか、『えっ?このヴァージョンも知らないの?』とか、『この歌はどこの国で何年に生まれてこうやって伝播していったんだ!』といった話になってくると、歌がすごく窮屈になってしまうと思うんです。だから考え過ぎず、
背負わず、ですかね。私の場合はいろいろなヴァージョンを知らなくても、自分が知らないことに対しては、わりとあっけらかんとしています(笑)」



ーー音楽はお勉強ではないですからね(笑)。例えば『Folklore Session』
にも収録されている「Fishing Blues」で言うと、ぼくは最初に聞いたジェ
フ・マルダーとエイモス・ギャレットのカヴァーが一番体に馴染んでいる
んです。むろん向学のために原作者であるヘンリー・トーマスの歌もレコ
ードで探して聞いたんですが、録音が古過ぎるせいかいまひとつピンと来
ないんですね(笑)。だからぼくはそれぞれの世代の体験したものが一番
リアルなものだと思っています。


「そうですね。それが本来の意味での伝承歌なのかもしれません」

(中巻に続く)
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by obinborn | 2011-09-16 11:52 | インタヴュー取材 | Comments(0)  

ロング・インタヴュー、中村まり(中巻)

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1. The Cuckoo Bird (traditional)
2. Lonesome for You (A.P.Carter)
3. Dueling Banjos (Arthur Smith & Don Reno)
4. I Am a Man of Constant Sorrow (traditional)
5. Going Down the Road Feeling Bad (traditional)
6. Rocky Raccoon (John Lennon & Paul McCartney)
7. John Henry (traditional / words adapted from traditional and Leslie Riddle)
8. Weissenalone (Gen Tamura)
9. Midnight Rider (Gregg Allman & Robert Payne)
10. Bound to Fall (Michael Brewer & Tom Mastin)
11. Ghosts (Albert Ayler)
12. Last Kind Words (Geeshie Wiley)
13. Viola Lee Blues (Noah Lewis)
14. Fishin' Blues (Henry Thomas)
15. Silo (Sakurai, Yoshiki)
16. Heart Like a Wheel (Anna McGarrigle)
17. Ghost Town Dance (Mari Nakamura & Sakurai, Yoshiki)
18. Some Happy Day (Charley Patton)
19. Hard Travelin' (Woody Guthrie)

ーーところで、この『Folklore Session』は収録曲が全19曲とかなり多いですね。
LPレコードの感覚で言わせて頂くと、これはもう完全に二枚組、
ダブル・アルバムの構成であり、壮大な音楽パノラマといった印象さえ受
けます。曲の配列にしても起承転結の付け方にしても苦労されたと思いま
すが、その点はいかがでしょうか。


「もう少しコンパクトに曲を絞り込むようなやり方もあったと思うのですが、私が持ち込んだ歌でも桜井さんが提案された曲でも、この歌は生かしてあの曲は削ってというような選択をしたくなくなったこともありまして。せっかくだから持ち寄ったすべての曲を収録してしまおうということになりました(笑)。選曲を厳選するとどうしてもアルバムの幅が限定されて、収録もより神経質になってしまう側面もあったかと思いますので、今回のように、様々な時代の様々な曲を一緒くたにしてアルバムに詰め込んだことはこのアルバムの特徴になったとも思います。また、曲が多く、「Weissenalone」のようなソロのとても短い曲から全員で一発録音した「Hard Travelin’」の様な曲まで、様々な楽器編成の曲がちりばめられていたことも、演奏する上で良い気分転換になりましたね」

ーーそれは健康的ですね(笑)。ちなみに二枚組の名作と呼ばれるアルバ
ムの曲数を今回少し調べてみたんです。まずビートルズの『ホワイト・ア
ルバム』が全部で30曲。ローリング・ストーンズの『メイン・ストリート
のならず者』が18曲。そしてスティーヴン・スティルスの『マナサス』が
22曲でした。


「なるほど~。私たちもこの『Folklore Session』はとにかく曲が多いので、やはり曲の並びや起承転結には気を配りました。初めはいっそのこと二枚組という案も出たのですが、案外収録時間が一枚に収まることもあり、1枚になりました。そうですね、これはアナログ盤を聴き慣れている桜井さんのアイデアで、A面とB面のように間で一旦分けて流れを作ることになりました。
具体的にはまず初めの2曲は自己紹介的な意味も含めつつ、アルバムの入り口として楽器の編成も含めてロンサム・ストリングスと私の関係性を誰にでも入っていきやすいように心掛けました。3曲目からいよいよロンサム・ストリングスの世界観の幕開け、前半から中盤にかけてはフォーキーな側面を出しつつ、中盤の「Midnight Rider」、「Bound  To Fall」や、B面の頭から後半に向かっては、より濃い世界に入っていくようにイメージしています」

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☆☆☆受け取るばかりではなく、与えたい

ーーCDの構成をそのままライヴ・ステージでの流れに置き換えていくと、
「Weissenalone」が田村玄一さん、アルバート・アイラーの「Ghosts」が
松永孝義さん、「Silo」が桜井さんの紹介のような気がします。原さとし
さんのイントロデュースは、彼がリード・ヴォーカルを取る「Midnight Rider」で。この曲では中村さんはバックに回っている。そうした小技もアルバム全体のいいアクセントになっていますね。

「はい。あとは私と桜井さんの共作「Ghost Town Dance」が今回は唯一の歌物のオリジナル曲なのですが、あの曲もアルバム全体のなかで特殊な立ち位置になっていると思います」

ーーその「Ghost Town Dance」についてお伺いします。中村さんは新世界
でのお披露目ライヴの際、『廃墟の街の歌です』と紹介されていましたが、
それを聞いて3月に起きた震災のその後の世界を何となく想像したお客さん
がいらっしゃったかもしれません。自分の書いた歌が好むと好まざると作者
の意図を離れて聞き手それぞれのものになっていくのは往々にしてあること
ですが、ソングライターとして歌の持つそうした側面をどう考えていらっし
ゃいますか。


「お恥ずかしいことに、小尾さんがおっしゃられたような解釈があることを、
私は今初めて気が付かされました。もしも私の「Ghost Town Dance」を聞
いてマイナスのイメージを抱いてしまう方がいらっしゃるのであれば、申し訳ないと思います。それでもこうやって真剣に私の歌を聞いてくださる方々がいらっしゃるのですから、曲の解釈とはまさに聞き手の自由なのだと私も
思います。私のほうからも自分の曲をこういう解釈で聞いて欲しいという言う気持ちはありません。ただ今回この曲の作詞を担当した立場であえて言わせて頂けるのであれば、あの曲では天災で故郷を追われた人々についての歌ではなく、時代が変わりかつて繁栄した街を自ら離れていった人たちをモチーフにロマンチックな気分も含めて描いています。もう少しはっきり言うと、この歌はロンサム・ストリングスと私のちょっとした物語になっています。桜井さんから曲のデモ音源が送られてきたときに感じた、フィドル・チューンのような侘しさと楽しさが混ざり合ったようなメロディの印象をゴースト・タウンという比喩的なイメージで、そのまま歌詞にしてみたつもりです。考えてみればすごく大きな時間の流れのなかで偶然にも私たちは出会い、今こうして一緒に楽器を奏でている。そしてそれは音楽的な歴史の歩みの中ではちっぽけな出来事かもしれないけれど、いつか長い歳月が経ってから誰かが気が付いてくれたらいいな、という淡い期待もあります。恐らくこのような”Folklore Session”は過去にも他の場所にもたくさんあり、これからも星の数ほど行われていくのだと思いますが、その中で自分たちがトラディショナル・ナンバーを演奏して過去から受け取るだけではなく、先人たちと同じように何かを未来に投じたいという想いなのでしょう。この「Ghost Town Dance」を他の古いトラディショナルカヴァー曲と同軸でアルバムに収録することを考えたときに、私たちもまた伝承し、生み出し、残していくという役割を果たしていることを思い出し、この曲を、過去と現代を直接的に結びつけるような、意義深い特別なものにしたいと思って歌詞を書きました」

ーーぼくのほうこそ、中村さんたちのそうした想いにはまったく気が付きま
せんでした。でもこのCDが100年後、200年後にタイム・カプセルから開け
られて、未来の子供たちが「Ghost Town Dance」を再び歌ってくれたら、
 本当に素晴らしいことですね。


「そうですね。もしそんなことが起きたら本当に嬉しいです!」


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(下巻に続く)
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by obinborn | 2011-09-16 11:51 | インタヴュー取材 | Comments(0)  

ロング・インタヴュー、中村まり(下巻)

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☆☆☆☆歌い始めた頃はもがき苦しんでいました

ーーさて、ここでロンサム・ストリングスのお話はひとまずおしまいにして、中村まりさんの音楽について伺っていきたいと思います。中村さんにはいろ
いろな魅力があると思いますが、ぼくがやはり一番感じ入る部分は、時代や
 流行にはけっして流されまいとする悠然とした佇まいです。それは意識して のことではなく、やはり地のものなのでしょうか。

「もうそのままですね、本当に。だから逆に無理はしていないんだと思います。時間を掛けて、自分のやりたいことと少し得意なことが一致したのが今の音楽スタイルだったんですね。
私自身はよく指摘されるようにことさらブルージーな歌い方を意識しているわけではありません。それよりも体を使う楽器としての声をどうやったら正しく響かせることが出来るのだろうか、装飾なく自然に声を出していくにはどうしたらいいんだろうか、といろいろ試行錯誤していった結果、現在の歌唱法に辿り着きました。またギターという楽器に関しては、歌の伴奏者であり理解者であるといった”二つで一つ”といった関係性がとくに好きですね。例えば今ご指摘があったように、ギターの表現方法のひとつとしてスライド奏法もいいなあとは思うのですが、歌とギターが無理なく一番寄り添える方法が、私の場合フィンガー・ピッキングのスタイルだったんですよね。ミシシッピ・ジョン・ハートにしてもドク・ワトソンにしても、歌とフィンガー・ピッキングがワンセットでしっかり結び付いている点が素晴らしいですね。先の”二つで一つ”のお話じゃないですけれど、私はどうやらトータルでアートと呼べるようなものが好きらしいんです。ジョン・ハートなんかステージでのおしゃべりや人柄も含めて彼の音楽であるような気がします。勿論私はヴォーカルのトレーニングをしてギターの練習もしていますが、ここでうまく歌おうとかうまく弾こうとかことさら意識してしまうとやはり駄目なんですね。それよりは自分の頭や体から無意識のうちに出てくるような歌い方がいい。それは地声で歌っていることとも関係してくるのかもしれません。まあ本当はいろいろな声質を自在に使えたらいいのですが、無理のない歌い方という結論に達してからはすごく楽になりました。私は最初ジョニ・ミッチェルに影響を受けて音楽を始めたのですが、どう考えてもジョニの場合、一体どこから声を出しているの?!という超人的な感じがするじゃないですか(笑)。あれを最初の基準としてしまったがために、初期の私はとにかくもがき苦しみましたね(苦笑)。そしてやがてトラディショナル・ソングのシンプルなメロディやフラットな歌い方に出会ったことも転機になりました」



ーー自主制作のファースト・アルバム『Traveler and Stranger』(02年)の
頃と今とでは、中村さんの印象はかなり違いますね。『Traveler』アルバム
には、それこそジョニ・ミッチェルの匂いがします。


「そう、ですからまさに悶々としていたんですよ(笑)。とくにヴォーカルは今とはかなり違いますね。あの頃は音楽を始めたばかりだったので、まだまだ修行中という意識もありましたし、自分がやっていることを誰も解ってくれないんじゃないだろうかと考え込んでしまったり、歌にしても演奏にしても気持ちばかりが先走ってしまい、心と体が全然追いついていかなかった感じですね。今でしたらどうしたらもっと音楽的な表現になるんだろう? などと考えるのでしょうが、あの頃はそれ以前に自分の歌を吐き出すだけでいっぱいいっぱいでした。おっしゃって頂いたように当時の「Complicated」や「Foolish Game」といった歌にはシニカルな面がありますしね。でももう一度同じことをやれ!と今言われたとしても、もう二度と出来ないでしょうね。そんな意味ではこれはこれで自分なりの一本気な記録であり、その時の輝きだったかなとも思っています」


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1. Stranger
2. Let Me Be Dead
3. Too Easy To Give Up
4. Sleep Well
5. Complicated
6. Foolish Game
7. Tomorrow I'll Be Gone
8. All We Have To Know
9. Deserted Woman
10. Don't Think Twice, It's All Right

(02年に発売された記念すべきファースト・アルバム。混沌としつつも、歌に対する
ひたむきさが骨っぽくザクザクと伝わってくる)

ーーライヴ活動では弾き語りをベースにしながらも、その時々の様々な共演
者たちによって微妙に音の色彩感や選曲が変わりますね。そうしたニュアン
スの違いも毎回楽しみにしています。


「ライヴではその日の共演者の方々の個性も考えつつ、毎回テーマを決めます。その日に演奏するカヴァー曲に関しては、いつも新しいレパートリーを増やすというわけにはいきませんが、過去に歌った曲のなかから、この人と一緒に演奏するならこの曲がいいだろうな、あの曲はちょっと違うだろうな、といった選択を含めて、やはり様々なことを考えます」


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☆☆☆☆☆もっともっと歌いたい

ーー中村さんは今年、細野晴臣さんのアルバム『Hosonova』にも参加する
など、より広く注目されてきました。人前で歌うようになってから確か11
年めになるかと思うのですが、音楽活動を始めたばかりの頃に比べて、ご自
身で周囲の環境の変化に戸惑うことはありますか。


「一歩ずつやれる範囲を広げてきたので、戸惑うことはありませんね。これがいきなりメジャーになったとか、急にお金持ちになったとかいうのであれば話はまったく別だと思うのですが、私の場合それほどお金が入ってくるわけではありません(苦笑)。ですからそこそこ上がってきた今がちょうどいいバランスなのかもしれません。やはり苦労しない程度にはお金があったほうがいいですし、お金がないほうがいい音楽を作れるという意見に対
しては、そう単純なものではないだろうと思います」


ーージェイムズ・テイラーの初期の作品に「ジューク・ボックスの歌」があ
ります。その歌詞には『人々がぼくの悲しい歌に共感してコインを入れてく
れるのなら、ぼくはいつも悲しい顔をしてなくてはいけないのかな?』とあ
ります。少しアイロニカルな内容の歌なのですが、ジェイムズがかつて陥っ
たこうした違和感についてはどうでしょう。


「歌うことが苦痛になるような状況になったことが私にはまだありません。
語り部のお話ではないですが、むしろ望まれる歌は進んで歌いたい!くらいの心境です(笑)。確かにあの曲を歌ってください、この曲が好きですといったみなさんの声はありますが、その曲を歌いたければ歌いますし、仮にその日のライヴの流れにそぐわないという理由で歌わなくとも、今のところ誰からも責められないですからね」


ーーところで、ライヴ・パフォーマンスとスタジオ・レコーディングの違い
をどう意識されていますか。



「最初の自主制作盤を含めるとこれまで3枚のソロ・アルバムを作ってきましたが、それぞれにトータルな世界を感じてもらえることを目指してきました。スタジオ録音でもライヴのような弾き語りのトラックというのは、まず前提としてあるんですね。そのこと自体はライヴとそれほど変わりません。でもそこに後から必要に応じてギターでもコーラスでも自由に加えていけるのがスタジオ録音の良さだと思っています。逆にライヴの場合は、限られた時間と人数のなかで出来ることを毎回探していくという感じです」


ーー「Peace Of Mind」の録音で中村さんは効果音的なエレキ・ギターも弾
き、終盤ではシンバルも叩いていますね。

「そうなんです(笑)。やはり自分が思い描く曲のイメージというものがあって、なるべくそれに近いものにしたいと願うわけですから、あのシンバルのひと叩きにしても、何度も一人でやり直しているんです。スタジオではいつもそんなカッコ悪い作業を黙々としているんですよ(笑)」


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☆☆☆☆☆☆いつかもっと素晴らしい曲を生み出したい

ーー大袈裟な手振り身振りの歌が世界には溢れ返っています。中村さんのよ
うに市井の人々の暮らしを見つめたり、日々の小さな営みに光を当てていこ
うとする歌は、どうしても置き去りにされがちです。そうした現状に関して
ソングライターとして、どう思っていらっしゃいますか。


「ときに皮肉を言うくらいにとどめて、私自身はあまり批判的な気持ちはないですね。自分と他人とはやはり違うものですから、どうしてこの歌にこういう側面から光を当てないんだろう?とか他人のことを言っても何も始まらないですし。自分で曲を書いていると解るのですが、ソングライターは誰しも、いい曲を生み出そうと真剣なのだと思います。全員がよかれと思って曲を作ろうとしていると思います。ただ、出来上がった曲には自ずと作者の人間的な器や、物事を見るセンス、表現力が出てしまうだけなのだと思います。ですからむしろそれは私自身に突き刺さってくる問題ですね。私もいつかロン・セクスミスや他の素晴らしいアーティストのような歌を書けたらいいと常に思って書いています」


ーー中村まりという知らなかった歌手の「Night Owls」という歌を初めて聞
いた時、ぼくは自分という棘が収まっていくような感動を覚えました。やは
りぼくも人間ですから、時に邪悪な部分が出てきてしまったり、他人に対し
て剣を放とうとするんです。それでもあの歌を聞くことで、その剣を収める
ことが出来た。まるで砂漠のなかにやっと水脈を発見したような思いがしま
した。


「曲を作るというのはとても孤独な作業なので、そう言って頂けるのは本当に嬉しいです。悶々と悩んでいた初期のお話を先ほどさせて頂きましたが、私は私でしかないので無理をせず、何も気に病む必要はないんだなといつしか思えるようになったんですね。そんな私の歌をあるがままに受け止めてくださる方々が案外いらっしゃるんだなという事実は、すごく大きいことです。
私、震災の後しばらくは自分で歌うのも音楽を聞くことからも遠ざかりたい気分だったんです。結局は歌うことで、自分自身の気持ちが和らいだのですが。あの地震の直後にはチャリティのイベント(バンバンバザールが呼び掛けて3月17日に渋谷のクアトロで行われた『勝手にノース・バイ・ノース・イースト』)で何曲か歌わせて頂いたのですが、出演するまでは今こういう大変な時に必要とされる自分の歌が果たしてあるのだろうか、と考えさせられました。そもそも被災された当事者の方々は音楽を聞けるような心理的状況に置かれていないのですから、ある程度音楽というものが非現実的なものであり、聞く側の余裕を前提にして成り立っているんだな、とも思い知らされました。普段演奏しているレパートリーにしても、ブルースや物事のマイナスの部分を扱った歌が多く、この深刻で生々しい現実に対していかに無責任で甘ったれた内容の歌詞が多いか、また私もそうした曲しか持ち合わせていなかったかと思えてきたんです。そんな中で歌う気持ちになったのがカーター・ファミリーの「Keep On The Sunny Side」やロン・セクスミスの「Former Glory」で、それらの曲が持つ普遍的な底力に驚きました。どんなどん底の状況の中でも聴くに耐えうる歌、差し支えのない歌というものが、最終的に一番必要とされる歌だと思いましたし、今後はそのような曲を書かなければならないと思います」



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ーー今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。それでは最後
に生涯のフェイヴァリット・アルバムを5枚挙げて頂けますか。



「こちらこそありがとうございました。生涯の5枚ですよね。う~ん、どうしようかな。難しいですね。HMVの『無人島アルバム』のアンケートとも重複してしまいますが、まずは大好きなロン・セクスミスの『Cobblestone Runway』ですね。それからリールタイム・トラヴェラーズの『Livin' Reeltime, Thinkin' Old Time』、アメリカン・ルーツ・ミュージックの教科書として『Anthology Of American Folk Music』も忘れられません。ポール・マッカートニーのアルバムとしては『Ram』ですね。そして私はジョニ・ミッチェルの「Big Yellow Taxi」を聴いたことがきっかけで古い音楽に目覚めたと言っても良いので、最後はやはりジョニを選びましょう。「Big Yellow Taxi」が収録されている『Ladies Of The Canyon』ですかね」



(2011年8月16日 新宿スカラ座にて)
取材・文 小尾 隆
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by obinborn | 2011-09-16 11:48 | インタヴュー取材 | Comments(4)  

9月24日

西荻窪のRonnie'sにて ムーさんこと中原由貴さんの取材を

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ドラムスを始められたきっかけから現在のバンド活動までに至るお話を聞いていて
伝わってくるのは ひたむきに音楽活動への道を探っていった彼女の
むしろ不器用過ぎるくらいの人間ドラマだ そうしたお話の数々を伺えただけで
ぼくは思わず嬉しくなってしまった 

中原さんは微笑みながら少しも気取らず 率直に話す 16ビートのさざ波のことを
バンド・グルーヴの産みの苦しみや喜びのことを あるいは子供時代の思い出を、、、

それらがすべてが ムーさんの現在の音楽へとしっかりと手を携えながら連なっている
そのことの価値を思った

誰にも浸食出来ないその尊さのことを
帰りの電車のなかで考えた

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「オビさんは聞き上手ですね〜 思わず話したくなります」
「いやいや、ワシなぞまだまだじゃよ、ナカハラくん^ー^」

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ナカハラさん自筆による”ある日の私”
台風で足下が滑り階段を泣く泣く転げ落ちていくの図なのでした^0^
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by obinborn | 2011-09-15 20:16 | インタヴュー取材 | Comments(0)  

ロング・インタヴュー、木下弦二 (上巻)

 東京ローカル・ホンクの木下弦二と初めて言葉を交わしたのは、
忘れもしない07年秋のことだった。ちょうど彼らのセカンド・アル
バム『生きものについて』が発売されたばかりであり、その時の
弦二は初対面のぼくをまえに、自分たちの音楽をどう説明しよう
か思案しているようだった。

 あれからおよそ3年半が経った。その間ぼくは可能な限り彼らの
ライヴに通い詰めた。最高の時の彼ら四人はまるで奇跡のような
サウンドを鮮やかに描き出した。演奏が多少平均的な出来映えに
終始した夜でさえ、帰り道を歩くぼくは幸せな気持ちに満たされた。

 今回実現した木下弦二へのロング・インタヴューを、どうか丹念に
読み込んでいただければと思う。自分たちが作る音楽への情熱はむろん
のこと、現在のホンクに辿り着くまでの試行錯誤や、日本の音楽シ
ーンの断片も、そこからはくっきりと浮かび上がってくる。ソングライ
ターとしての弦二の”作法”に触れるいい機会でもあるだろう。

 なお最後に、今回の東日本大震災を受けて弦二とぼくはメールで
互いの今現在の気持ちを報告し合ったのだが、その往復書簡も巻末に
記した。

(小尾 隆 2011年3月)

*            *            *

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☆「リマスターすることで、もっと届けたかったんです」

ーー『生きものについて』のリマスター版が
昨年の11月に完成しました。おめでとうござ
います。弦二さんがご自身のブログでこの作
品に対する並々ならぬ”想い”を語られていま
したね。自分の子供のように愛おしいアルバ
ムだと思うのですが、今はどういうお気持ち
ですか。

「人によっては初版(07年)の方が良かった
という意見もあるんです。確かに初版は録音
からミックスまで全部ぼくらが自分たちで行
った重要なアルバムです。でも時間が経つに
つれて、もう少し作品に客観性を持たせて、
もっと人に届くような音にしたい、という気
持ちがどんどん強くなってきたんですね。人    
間って変化しないで止まっていることは出来
ないじゃないですか。とくに『生きものにつ
いて』はメッセージ色の強い作品だと思って
いますから、言葉にすると嘘っぽくなってし
まうかもしれませんが、『世の中を良くして
行こう』という流れに少しでも貢献できたら、
という気持ちがすごく大きくなってきたんで
す」

ーー音像が太く逞しくなりました。同時に透
明感が増したな、という印象も受けました。

「CDでも部屋で落ち着いて聞くことでやっ
といいものだな、と思える音楽ってあります
よね。今までのぼくたちはどちらかというと
そっちの側に傾いていたところがあったんで   
す。音楽という美味しい料理を作るだけで精
一杯だったという気もするんです。でもみん
なに料理を食べてもらうには出し方もちゃん
と考えなければいけない。そう考えるように
なったんですね。すごく簡単に言ってしまえ
ば、今回のリマスターの音は明るく、太くな   
っています」

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◎東京ローカル・ホンク/生きものについて(リマスター版) マインズ・レコード
(収録曲)
1.生きものについて - Beautiful No Name
2.犬
3.いつもいっしょ
4.笑顔
5.四月病
6.ハイウェイソング
7.おバカさん
8.社会のワレメちゃん
9.伊豆半島

ーー実際のリマスター作業にはメンバーも参
加したのでしょうか。

「いえ、久保田麻琴さんにお任せしました。
とくにこちらからの注文はしていません。と
いうのも麻琴さんが以前からこのアルバムを
評価してくれていたからなんですね。ぼくた
ちのことを深いところで理解してくれていた
ので、安心してお任せしました。麻琴さんは
プロでなければ解らないような、ぼくにも判
別出来ないような細かい作業をされたし、幾
つものヴァージョンを作ってくれました。や
はり麻琴さんにはプロのエンジニアとしての      
豊かな経験値もあり、さらに聞き手の立場に     
なって音楽を聞く耳を持っているんですね。      
そして麻琴さんがスゴいのは、理屈ではなく  
『ハートに届くかどうか』で判断する、動物    
的勘みたいなものをもっているところだと思
います」

ーーリミックスも行ったようですね。ミック
スをやり直すというのは、レコーディングの
最終段階での極めて重要な作業ですが、作り
直した部分は大きかったのですか。

「各トラックがバラバラの状態で麻琴さんに
お願いしましたから、正確にはまさにリミッ
クスを行ったということです。ただ、今回の
作品はリミックスという言葉に伴う世間的な    
イメージとは違うもので、余計なことは何も
していないし、初版の印象を損なう音に仕上
げたわけでもありません。だからあえてリミ
ックス・アルバムとは謳っていないんです。
ぼくは今回の作業をして良かったと思ってい
ます」


ーー変わっていない部分と変わった部分が
違和感なく混ざっていますね。変わった部分
をとくに感じたのは、「笑顔」や「ハイウェ
イソング」でのヴォーカルのダブっぽい残
響処理や、「伊豆半島」でのちょっとアンビ
エントな音空間でした。「伊豆半島」ではア
ラケン(新井健太)さんのウッド・べースの
弓弾きが、すごく鮮度よく聴こえてきて驚き
ました。

「そうですね。『伊豆半島』ではちょっとだ
け洒落っ気を出してみました。初版の音に関
しては、解ってくれる人は解ってくれるだろ
うとか、ぼくたちの文脈に乗ってもらおうと
いったような敷居の高さも反省点としてあっ
たんです。でもリマスターすることでもっと
明るく力強い作品に仕上げたかった。もっと
人に届けたかったんです」


☆「自分なりの音楽表現を見つけるまで、遠回りしてきました」

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ーーアルバム表題曲の「生きものについて」
や「社会のワレメちゃん」は、弦二さんに
とっても真ん中となるような重要な曲だと
思います。「ワレメちゃん」の歌の主人公に
しても、ノンポリではあるんだけれど、部屋
の一歩向こう側に不穏な空気を感じ取って
いますね。

「たとえばボブ・マーリィーのように『お前
らはここを出て行け!』って強い言葉で言う
ことが出来ればいいんでしょうが、ぼくには
確証を持ってそれを言うことは出来ないんで
すね。でも社会にはこういうものが必要なん
だと思ったり、何かを願うことは出来る。み
んなが不幸にならない世の中を実現するには
どうしたらいいんだろう?って考えることも
出来る。でも現実としてはもっとお金は欲し
いし、自分たちや家族が食べていくだけでい
っぱいいっぱいという部分もあります。クジ
引きがあったら当たればいいなあ、と思う自
分とかは絶対いるわけじゃないですか(笑)。
ぼくははっきりと見えないものを言うことは
出来ないし、自分の手が震えるものや、肌で
触れることが出来る身近なものしか、歌にす
ることは出来ないんです」

ーー歌作りに対する弦二さんのそうした姿勢
は、「ヒコーキのうた」や「昼休み」にも
”気配”として立ちこめていますね。

「はい。音楽が面白いのはこちらがはっきり
としたテーマを持たせた曲でも、不思議と聞
き手それぞれの事情にどんどん当てはまって
いくことだと思うんですね。こっちが意図し
た部分とはまた別に、歌が聞き手たちのもの
になる。だからぼくは想像の余地を残してお    
くような歌作りを心掛けています。たとえば、   
日本の古典的な悲劇といえる『忠臣蔵』は封     
建社会の理不尽さや連帯、家族愛など見る人
によっていろいろなことを訴えかけてきます
よね。だからいつの時代もリアリティがある。
ぼくもそんな歌を書くことが出来たらと思い
ます」

ーーボブ・ディランの「激しい雨が降る」
(A Hard Rains  A Gonna Fall 62年)に
しても、キューバ危機の歌だと後から説明
されてしまうと、とたんに歌のイメージが萎
れてしまいますよね。歌ってそういうもので
はないだろううとぼく自身も思いたいんです。
あの歌にはもっと広がりがあるし、様々な解
釈が出来る。込められた暗喩もキューバ危
機にとどまらない、もっと普遍的なものだと
ぼくは信じているんです。

「遠藤ミチロウさんが以前、新聞記事を歌に
してドンドン歌ってもいいんだよ、ってイン
タヴューで言っていたんですね。そのときは
カッコイイなあと感じたし、そういう方法も
あると思うんです。でもぼくの場合はもっと
長く歌える歌を作りたい。そのためにはどう
しても篩(ふるい)に掛けるような作業が必
要なんですね」

ーーホンクはサウンドスケープもユニークで
すね。「犬」や「おバカさん」のリズム・セ
クションだけを拾い上げてみると、アフリカ
音楽にも通じるようなミニマルな動き、旋回
していくようなグルーヴを感じるんです。そ
れが優しいメロディと平行しながら歩いてい
くところにもホンク・サウンドの不思議さが
あると思います。アフリカ音楽は好きですか?

「実は大好きなんです。ぼく自身は少し意識し
ている部分もありますね。サリフ・ケイタな
んかもヨーロッパのミュージシャンを使って
一時期のマイルズ・ディヴィス・グループを
思い起こさせますし、そうしたヨーロッパ経
由のアフリカ音楽と現地のアフリカ音楽との
違いも面白いです」

ーーパパ・ウェンバもザイール発の音とパリ
で録音したものでは、全然質感が違いますね。


「うん、まったく違いますね。現地での音は
もう圧倒的なファンク!という感じですから。
それとぼくはエチオピアの60年代から70年代
にかけての音楽を体系的にまとめたCDを聞く
機会があって、シーンが確立される以前の混
沌とした様子がすごく興味深かったです。そ
うだな、日本人が60年代にR&Bを探りながら
演奏しているのと何だか同じ匂いがしたんで
す。チャック・ベリーにしたって、あのスタ
イルを確立する以前には絶対何かがあったは
ずなんですね。世界各地で微妙に時期がずれ
ながら、音楽に新しい動きが出てくる瞬間っ
ていうのは本当に面白いなと思います」


ーーぼくが初めてホンクの生演奏に接したの
は、狭山での第二回ハイドパーク・フェス
(06年9月)を除けば、07年12月の東中野・
驢馬駱駝でのワンマンだったんです。もうその
頃にはある程度ホンク・サウンドというものを
確立されていたと思うのですが、前身である
”うずまき”時代(90年代)を含めて、果たして
最初は一体どういうバンドだったんだろう?と
いうことをどんどん知りたくなりました。

「ごくごく初期から話を始めると、一番古く
からの付き合いであるドラムズのクニオ(田
中クニオ)とは、オリジナルのロックンロー
ル・バンドを、今と同じ四人編成で組んでい
たんです。でも音楽をやり始めたばかりです
から、どうしても形から入るというか、最初
からロックンロールという言葉やスタイルに
寄り掛かっていたんですね。俺はロックンロ
ーラーだ! 俺はブルーズ・マンだ! とい
う風に(笑)。白人と黒人がいればやっぱり
黒人だろうという意識もあったし、そういう
世界に自分を当てはめて生きていました。で
もそういう仲間がいた反面、少しでも知らな
いミュージシャンがいるとイジメが始まって
しまったり(苦笑)。その世界ではブルーズ
やソウルやレゲエは語るけれども、キング・
クリムゾンのことはたとえ知っていても口に
は出さないように蓋をして、自分をどんどん
追い込んでいくんです。すごく大雑把に言え
ば、ジャック・ダニエルズをラッパ呑みしな
がらキース・リチャーズの真似をする。そん
な世界がひとつのライフ・スタイルとしてあ
りますよね。それはそれでいいのかもしれま
せんが、ぼくはもっと普通にいろいろな音楽
が好きな人だったので、それは結局出来なか
ったんです」

ーーすごく狭い世界での気取りがあり、ウン
チク合戦がある。そのことに対して次第に嫌
になってくる。ぼくはずっと聞き手の立場に
いましたが、弦二さんと同じような経緯を辿
ってきました(笑)。ブルーズの世界にして
も何だか年功序列みたいな部分があって、
とても窮屈な思いをしていました。

「ハハハ(笑)。ぼくもある日突然気が付い
たんです。ぼくが今やっていることは何てカ
ッコ悪いんだろう、ぼくは何でこんなに無理
をしているんだろうなって。やはりぼくにと
ってはストリートという表現よりも、商店街
という言葉のほうが遥かにリアリティがある
んですね。ストリートはアズベリー・パーク
にはあるのかもしれないし、ロンドンに行け
ばあるのかもしれない。でもぼくには解らな
い。スウィンギング・ロンドンって言われて
も、ロンドンがスウィングしているのかどう
かも解らない。当時そうした意識を持ってい
た人はぼくの周りでは殆どいませんでした。
ぼくはずっと戸越銀座に住んでいるんですが、
自分の町から見える風景をどうして歌にする
ことが出来ないんだろう?という悔しさをず
っと感じていました」

☆「『俺、もうロックは辞めるから』 そう宣言したこともありました」

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ーー洋楽好きの少年時代から始まって、ずい
ぶん遠回りをしましたね。

「本当にそうですね(笑)。60年代があって、
小尾さんたちの70年代があって、その次くら
いにぼくらの世代があって、いずれにしても
まだヒップホップが出てくる以前でしたから、
ぼくらはまずジャンルのなかで生きるしかな
かったのかもしれません。逆に今の若い人な
らもっと過去も現在も飛び越えて平行して音
に接していますから、すんなりと自分の表現
に入っていけるんでしょうね。ぼく、ある日
みんなの前で宣言したんです。『俺、もうロ
ックは辞めるから』って。あれは確か22歳か
23歳の頃(80年代後半)のことだったと思い
ます」

ーー思い切った選択でしたね。

「ぼくのそうした気持ちを当時理解してくれた
のはクニオだけだったんです。だからずっと
スタジオに籠りながら、日本の文化や西海岸
のカウンター・カルチャーの話に夢中になっ
ていました。音を出すのはほんとに最後だけ、
みたいなときもありました。でも当時の日本
では”くじら”というバンドが独特のオリジナ
リティを持っていて、それは今ホンクがやっ
ている音楽とはまた違うんですが、あの頃は
相当影響を受けました。それからある日、ラ
イヴハウスでアコースティック・デイという
ものがあったんです。時期的にはアンプラグ
ドのブームの頃(90年代前半)だったんで
すが、多くの人たちはアコースティックとい
っても普通に大きな音で演奏していた。でも
ぼくらは一切のPAを通さずに完全な生音でプ
レイしたんですね。ぼくらは当時ブライアン
・イーノのアンビエント音楽や環境音楽も聞
いていましたから、そうした小さな音への意
識はすごくありました。そうするとお店の人
に『空調を切ってください』と言って抵抗さ
れたり、客席にいるバンド仲間でもまあ帰っ
てしまう奴はいなかったけれど、明らかに戸
惑っている様子がこっちには伝わってくるん
ですね。そのとき自分たちが周りの空気を切
り裂いているんだな、という快感を覚えたん
です。でもそういう静けさのなかで途中から
リズムが入ってくると、すごく曲が生きてく
るんです。あのときは確か20分くらいのステ
ージで、(久保田麻琴と)夕焼け楽団の『バ
イ・バイ・ベイビー』や細野(晴臣)さんの
『蝶々さん』、RCサクセションの『わかっても
らえるさ』を歌いました。ぼくのオリジナルの
『遠い願い』もあの頃はもう出来ていたので、
それも歌いました。そうやってクニオやベース
の迫田敬也(99年の12月に自分の音楽を
追求すべく脱退 新井健太が新たに加わった)
といっしょに演奏していくようになりました」

ーー弦二さんは日本語のきれいな響きを大事
にしていますね。弦二さんにとってソングラ
イティングとは、どういうものでしょうか?

「ぼくは一時俳句の世界に入り込んだんです。
ショックでした。すべてを言い切るのではな
く、限られた簡素な形式のなかで、ただ風景
だけがそこにあるんです。ですから俳句はぼ
くにとって”窓”のような存在でした。そこに
入っていくのも出ていくのも自由なんだとい
うのは、ものすごく大きな発見でしたね。デ
ィテールが細かく書き込まれたものも素晴ら
しいし、トム・ウェイツやブルース・スプリ
ングスティーンのような物語性のある歌も大
好きです。ウェイツの『サンディエゴ・セレ
ナーデ』なんかもう本当に美しい。スプリン
グスティーンの『ザ・リヴァー』の主人公の  
その後の人生を想像してみたり。『ハイウェ
イ・パトロールマン』には映画『ディア・ハ    
ンター』と共通する世界を感じたり。子供の
頃って映画が終わると、『もう終わってしま
ったの?』という感じで寂しくなったことっ
て誰にでもあると思うんですが、そういう感
覚に近いかな。話は戻りますが、そうしたス
トーリーのある歌も好きですが、ぼくは自分
というのは”窓”であればいいな、って思った
んです」

ーー”窓”であり、”鏡”であるかもしれません。

「ああ、それは初めて聞く感想なのですが、
鏡かもしれませんね。俳句のなかでも種田  
山頭火は自由律だったから、余計に好きにな
りました。彼の句に『分け入っても 分け入   
っても 青い山』というものがあるんですが、
初めて知ったときはもう本当にびっくりして
しまいました。ハイキングをしているのとは
明らかに違う様子、厳しい旅をしているその
人の気配が漂ってきましたから。それから日
本語のことで言うと、夏休みにおばあちゃん
の家で食べた西瓜の味とか祭り囃子の音って、
ずっと記憶に残るものですよね。俳句はそう
いう題材で歌を作っていくいいきっかけにな
りました。でもそうした日本的な表現をやっ
と発見した反面、和食だけを重視する自分も
不自然だとまた感じ始めてしまったんですね
(笑)。そういうトンネル状態から解放され
て、和食でも洋食でも、古くても新しくても、
美味しければいいじゃん!というところまで
辿り着くまでも、すごく時間が掛かってしま
いました(笑)」

(続く)
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by obinborn | 2011-03-25 00:09 | インタヴュー取材 | Comments(4)  

ロング・インタヴュー、木下弦二 (下巻)

☆「『いつもいっしょ』を書くことで、ぼくは救われたんです」

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ーーホンクの四人はそれぞれが引き算の美学
というか、ワビサビの感性を持った優秀なプ
レイヤーの集合体ですが、井上(文貴)さん
のギターも俳句的ですね。

「メンバーのことを褒めるのは手前味噌にな
ってしまいますが、井上は『これが弾ける!』
というレベルでは絶対に音を選択しない人で
すね。きっと彼のなかにある美意識が一段高
い所に設定されているんだと思います。井上
が言うんですよ。『ギター・スリムのフレー
ズのなかに重要なものはすべてある』って。
それが奴のなかでどう消化されているのかは
解りませんが、結果的に井上の語法へと結び
付いているんでしょうね」

ーー「いつもいっしょ」は比較的ポップで親
しみ易い歌ですが、この曲だけでホンクを判
断して欲しくない、といった気持ちはありま
すか。

「いや、それはまったくありません。という
か、どの曲もぼくたちの歌なんだから、むし
ろいい曲だと言ってくれるだけでぼくは嬉し
いです。どの曲がその人にとってホンクへの
入り口であったとしても、ぼくはそれを歓迎
します。あの曲が生まれた背景を説明してし
まうと、NHKのドキュメンタリー番組で(終
戦間際の)沖縄戦を取り上げていたんですね。
ぼくは普段は殆どテレビを見ないのですが、
たまたま見ていました。日本軍がかなり追い
詰められてパラノイアのような状況にまでな
ってしまうんです。そこである沖縄の女の子
が目の前で両親を、何故か日本軍によって殺
されてしまうんです。またその女の子自身も
手榴弾を浴びてしまったのですが、アメリカ
兵によって助けられ、終戦後はお兄さんに育    
てられ、そのお兄さんはのちに精神を病んで   
しまいます。女の子は体中に破片の痕があり
いじめを受けて苦しみます。辛い記憶から逃
れて大阪で暮らしていたその女性が長い歳月
を経てやっと沖縄に戻ってくるんです。その   
とき彼女が両親を殺された浜辺で『お父さん
!』って叫ぶんです.........。ぼくは当時娘が
二歳になったばかりだったのですが、その胸
に刺さった叫びをどう受け止めてよいか解ら
ず、ずっと頭のなかを離れませんでした。そ
れで『いつもいっしょ』を書くことでやっと
自分が救われたような気持ちになりました。  
そうした悲しい物語を明るくポップな表現で
伝えるということを考えながら、あの曲が生  
まれました」

☆「ぼくたちホンクには喜びがある。聞き手たちがいる」

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ーーうずまきを結成されたのが94年の初頭と
いうことですから、もうかれこれ17年も音楽
をやり続けてきたんですね。その間にはJポッ
プの隆盛もあれば、渋谷系も喫茶ロックのブ
ームもあった。音楽仲間の鈴木祥子さんはす
っかりメジャーな存在になった。いつかMC
で弦二さんは『結局どのブームにも乗れませ
んでした』なんて笑いとしておっしゃってい
ましたね(2010年9月 高円寺・JIROKICHI
にて)。そうした状況を横目で眺めながら、
どう感じてきましたか?

「ぼくたちは美味しい料理を作るから、美味
しい料理を食べて欲しい。ぼくたちはそれを
きちんと届けたい。そういうことです。勿論
現実的には辛い部分もありますが、それ以上
にぼくらは幸せなんだなと思っています。と
いうのも、ぼくらより先にメジャー・デビュ    
ーして、ぼくらより有名になったけれど、も    
う解散してしまったバンドも、幾つも見てき   
ました。でもぼくたちは今も音楽を続けてい
る。いろいろなライヴハウスが声を掛けてく
れて、充実したライヴ活動を今日も行ってい
る。キヨシローさんをはじめ、春日(博文)
さん、麻琴さん、(鈴木)茂さんたちがきち
んと評価してくれる。そして一番嬉しいのは、
ぼくたちの音楽を目的にライヴを見にきてく
れるお客さんがちゃんといるということです。
このまえここ(2010年12月 渋谷B.Y.G)で
打ち上げをやったじゃないですか。こっちの
席でもあっちの席でも、ぼくたちの歌について、
『あの歌はこういう歌ですよね』とか、『あの
歌で会いに行くのは彼ですか、彼女なんで
すか』とか夢中になって話してくれる........。
これは本当に素晴らしいことだと思っていま
す」

ーー友部正人さんとの出会いもありました。

「友部さんはとても強い人です。揺るぎない   
のに撥ね付ける感じがまったくない。足下は
しっかりしながら、とても柔らかく立ってい  
られるんだなと思います。具体的には横浜の
サムズ・アップの社長さんがすごく勘のいい
人で『今度、一緒にやってみたら?』と言わ
れたのが最初のきっかけだったのですが、共
演してからは結局一緒にアルバムを一枚作り、
一緒にツアーにも出ました。友部さんが『今
までのバンドのなかで一番歌いやすい!』っ
って言ってくれたのが、とにかく嬉しかった
ですね。それはぼくたちが余計なことは何も
しないバンドだったからだと思うんです。で
も糊白はきっちり付けていくぞ!といったと
ころかもしれません。これがバンドではなく
個人としての共演となると、みんな自分なり
の切り口を見せなければいけない、と意識し
てしまったと思うんです。でもぼくたちはホ
ンクというバンドとして参加したので、普段
とまったく変わりようがなかった。それがい
い、と周りの人たちも言ってくれました」


ーー以前、おおはた雄一さんに取材した際に
彼が『いつかぼくも歌うのを止めるのかもし
れない』って、おっしゃったんですね。弦二
さんはそういう気持ちになったことはありま
すか。

「いや、まったくありません。おおはた君は
冗談で言ったんでしょう?」

ーーもし自分の音楽がワンパターンになって
しまい、過去を切り売りするばかりの状態に
なってしまったらどうしますか? という話
の流れでのぼくの質問でした。

「おおはた君はメジャーの世界にいて、曲も
ぼくなんかよりずっと早いペースで作ってい
るから、そう感じるときがあるのかもしれま
せん。おおはた君と比べることに意味はない
ですし、彼の本当の気持ちも解らないのです
が、ぼくの場合は曲を作るのが遅いし、別に    
多作というわけでもないから(笑)、歌を止   
めようと思ったことはありません」


ーーひとりの音楽ファンに戻ってみて、弦二さ
んの生涯のフェイバリット・アルバムを
5枚選んでいただけますか。勿論今日の気分
ということで構いません。

「はい。まずはスティーヴィー・ワンダーの
『キー・オブ・ライフ』。ジョン・レノンは
『イマジン』と『ジョンの魂』のどちらも好
きです。ビートルズでは『ヘルプ!』のアル
バムがとくに好きなんです。あとはジャコ・
パストリアスがビッグ・バンドと共演した『
ツインズ』という日本でのライヴ盤が今日の
気分かもしれません。最後はキース・ジャレ
ットが演奏したバッハの作品集『Das Wohlte
mperiete Klaiver Buch I』ですね」


ーー今日はお忙しいなか、どうもありがとう
ございました。最後にどうしても言っておき
たいことはありますか。

「ありがとうございました。そうですね、ぼ
くは(社会学者の)宮台真司がけっこう好き    
で一時期わりと読んでいたのですが、あの人    
が『意味を求めるな、喜びを求めろ』って言    
っていたんですね。凄いなあ、そうか、そう
いうことなんだなって思いました。喜びがあ
る。ぼくたちには音楽がある。バンドがある。
ぼくたちには聞き手たちがいる。だからこれ
からも音楽という美味しい料理をしっかりと
作って、それが温かいうちに届けていきたい
と思っています」

2011年2月5日 渋谷B.Y.Gにて

取材/文:小尾 隆
写真(2010年の彼ら):uta
also thanks to:今村佳子 常木晴亮 そしてホンク・ファンの方々


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☆その後の”往復書簡”

ーー小尾

弦二さん、その後お元気でしょうか。この取材のあと3月5日に
渋谷のB.Y.Gでホンクのワンマン・ライヴがあり、すぐ次に東日本大震災が
起きてしまいました。ぼくはテレビや新聞でそれを知るしか術がなく、
また家でたまに音楽を聞いていても少しも楽しい気持ちになれない自分
がいます。やはり何か歪んでしまったような、色彩あるものがいきなり
単色になってしまったような、そんな印象を受けてしまうのです。
音楽家は音楽を作ることは勿論、聞き手へと届ける役割も担っていますね。
まずはミュージシャンとして現在の心境を聞かせていただけますか。

ーー弦二

小尾さん、ご無事で何よりです。
私は自分に何が出来るのか問いかけつつ、自分たちの日常生活の不安も抱えながら日々をすごしています。
そんな中、ラジオから聞こえてくる「励まし」や「癒し」をテーマとした歌たちを聴きたくない、という不思議な感覚を覚えます。それは災害時でなくても、もともと好きになれないものであったのかもしれません。しかし、例えばこんな時に自分が歌いたい歌が、自分の作品中にあるだろうか?と問いかけると何も思い浮かびません。
こんな時はいつも
「自分たちの歌がはたして有効なものなのか?」という思いにかられます。
被災していない自分の正直な感覚としてはむしろ、ビートルズの「シーラブズユー」やビージーズの「メロディーフェア」のような曲がラジオから流れて欲しいと思ってしまいます。
それが何を意味しているのか自分でもよくわかりません。
今、自分はミュージシャンとしての自分は凍りつき、顔も知らない被災者を見つめながらも、家族の事を考える一人の裸の人間になってしまっているような気がします。
しかし、ホンクのメンバーとも話しましたが、みんな
「自分には音楽しかない、これで何かの役に立つ方法はないのか?」という思いで一致していることも事実です。
被災していない地域は、普段よりも活発に活動し、経済も含めて日本を活気付けて行かなければとも思います。
こんな時こそ笑顔で歌って、少しでも喜びを共有する場を提供するのがプロといえるのかもしれません。
小尾さんの率直な考えを聞かせていただけるとうれしいです。

ーー小尾

弦二さん、おっしゃるように”癒し”や”励まし”の歌ばかりがラジオから聞こえてくるというのも、
巧妙に仕組まれたメディアの罠のような気がして、ぼくはラジオは聞きませんが気持ち悪いと思います。
ぼくとしてもビートルズのあの無邪気な「ツイスト&シャウト」や、駄目男の日常を描いた「ヤー・ブルーズ」
を爆音で聞きたい!という衝動に駆られます。それは後付けかもしれませんが、説明的な歌詞で納得したくない、
というぼくの思いからかもしれません。

歌いたくないときは歌わなくていいと思います。弾きたい気持ちになれないときはギターを抱えなくていいです。
むしろそうして表から遠ざかり、深く潜行することからきっと、新しい歌が生まれてくるのだと思っています。
そして歌いたくなったら、また歌ってください。曲を作りたくなったら、また曲を作ってください。

むやみに自主規制するのも馬鹿げているし、”不謹慎”という名のもとで楽しい感情やハッピーなロックンロールを
押さえ込むような動きに、ぼくも抵抗します。

それでは今回最後の質問です。

弦二さんは戸越銀座にお住まいですが、震災後の自分の町を言葉としてスケッチしていただけますか。

ーー弦二

お返事、ありがとうございます。
私の住む戸越銀座で何が起きているかといえば、
スーパーマーケットとドラッグストアに行列ができています。
そして、私が小さかったころのように、道端や商店で人と会話を交わすことが増えたような気がします。
私も含めて、原発事故や余震の影響で不安に駆られた行動をとる一方、ある種の壁が取り払われて緩やかな連帯が生まれているのかもしれません。
たとえば、子連れでスーパーマーケットのレジで並んでいるときに、見ず知らずの人から
「紙をむつはもう買いました?昨日大型店に昼ごろ行ったら、もう売り切れ間近でしたよ。行ったほうがいいですよ!」と声をかけてもらいました。
我先に食品など大量に買い込む人々が、同じ境遇の人を気遣いもする。
私もその一人であり、複雑な気持ちです。

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by obinborn | 2011-03-25 00:08 | インタヴュー取材 | Comments(2)