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カテゴリ:blues with me( 63 )

 

ボズ・スキャッグスの東京公演から見えてきたもの

黒川さんが送付してくれたボズ東京公演のリストを見ると、
彼の代表作『シルク・ディグリーズ』から7曲!も選ばれて
いることに驚かされるが、決して悪いとは思えない。76年に
リリースされたそのアルバムはAORのバイブルと言われ、
その種のガイドブックでも必須アイテムとして登場するが、
それ以前の彼を知る自分にとっては、ボズが彼なりのブルー
アイド・ソウルを発展させたものだったと解釈している。よく
ルーツ音楽とAORとをまるで対立軸のように考える人がいる
けれど、プアな聞き方だと言わざるを得ない。例えばボズが
これまで好んでカバーしてきたアル・グリーンやアラン・トゥ
ーサンにしてもAORライクなアプローチをした時期はあり、
それらを踏まえれば意固地なルーツ原理主義は果たしてどうか
?と疑問を呈さずにはいられない。確かにブルーズ/R&BとAO
Rとでは音の質感が違うのは認めよう。しかし表面的な部分の
下(細野晴臣言うところの共通分母)にあるものを見なければ
大衆音楽は語れまい。というわけで『シルク』アルバムを軸に
しながらも、The Feeling Is GoneにJust Got To Knowと、
最新作からボビー・ブランドとジミー・マクラクリンのブルー
ズ2曲を連ね、アンコールの最後をチャック・ベリーのYou
Never Can Tell(ロニー・レインやエミルー・ハリスも録音し
た)で締める辺りに、ボズの育ってきた音楽背景がはっきりと
伺える。それらルーツの延長線上に『シルク〜』があることを
しっかりと受け止めたい😎✌️

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by obinborn | 2019-05-13 12:12 | blues with me | Comments(0)  

テデスキ・トラックス・バンドの新作『Signs』を聞いて

新作の発売日にコフィ・バーブリッジ(kbd,ft)の死去という
悲劇が伝わってきた。実に複雑な気持ちである。実際コフィの
多彩なキーボードやソングライティングがテデスキ・トラック
ス・バンドに貢献してきた部分は大きかっただけに、無念とし
か言いようがない。享年57歳。この新作『Signs』でも彼は2
曲に共作者として名を連ね、印象的なウォーリッザーやハモン
ドを弾きながら、TTBの音楽に広がりを与えている。私がデレ
レク・トラックスという若きギタリストを知ったのは、彼がウ
ォーレン・ヘインズgとともに古いオールマンズに新しい息吹き
を与えた90年代だったが、当時から単にテクニック的に上手い
というよりは、曲全体をきちんと見渡し、トータルに音楽を把
握出来る人だなという印象を受けたものだ。その気持ちはデレ
ク・トラックス・バンドを経て、夫人であるテデスキと新たに
結成したTTBで以前にも増して強まった。この新作でもデレク
はまるで「ギターなんてバンドのパーツに過ぎないんだよ」と
言わんばかりだ。ここら辺はどの時期のE.Cやベックが好きな
のかという微妙(されど重要)なテーマではあるけれども、
自分の場合は弾きまくる人よりは「一枚の絵画を描くように」
に筆を取る人が好きなんですよ。いずれにしてもTTBは豪放な
アメリカン・ロックの伝統を受け継ぐ部分と、その枠に収まり
切らない新しいエレメントに満ちていると思う。アルバム最後
のThe Endingが泣かせる。グレッグやブッチらに捧げたこの
追悼歌は、まるでかつてオリジナル・オールマンズがスタジオ
録音の最後に収めたLittle Marthaのように響く。


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by obinborn | 2019-02-22 17:27 | blues with me | Comments(0)  

I Remember Clifford

チャーリー・パーカーと出会い、アート・ブレイキーに認め
られて世に出たクリフォード・ブラウンは50年代ハードバッ
プのサラブレットだった。ライオネル・ハンプトン楽団に参
加しヨーロッパ公演を終えた54年、ブラウニーはマックス・
ローチと意気投合し、いよいよ自身のクィンテットを旗揚げ
する。メンバーはブラウニーtp、ローチds、ハロルド・ラン
ドts、ジョージ・モロウb、リッチー・パウエルpという黄金
の五人。そんな彼らがニューヨークでスタジオ録音に集中し
たのが55年2月23、24、25日のセッションから成る『STU
DY IN BROWN』だった。朗々と吹きまくるブラウニーとス
ウィング感たっぷりのローチの両軸がしっかりと絡み合い、
残る三人が後押しする理想のスモールコンボであり、陽性の
バップっていいものだなあと実感させられる。またランドと
パウエルもソロを取るのでバンド・アンサンブルの変幻自在
な様子がとてもスリリングに伝わってくる。最も有名なのは
デューク・エリントンでお馴染みの「A列車で行こう〜Take
The A Train」だろう。汽笛を模したイントロが終わるとブラ
ウニーが天衣無縫なソロを繰り出してゆく。エルヴィス・プ
レスリー(原作はジュニア・パーカー)のMystery Trainが
ロックンロールのメタファーなら、「A列車で行こう」はさ
しずめジャズの未来を切り開くような約束手形だったのでは
あるまいか。こうしたトレイン・ソングの系譜はフォークと
ブルーズに顕著だが、ストーンズのALL DOWN THE LINE
をそこに加えても何ら問題はあるまい。ミック・ジャガーは
こう歌っている「おお!汽笛が鳴るのが聞こえるぜ」しかし
ながらブラウニーの祝福された音楽活動は長く続かなかった。
本作『STUDY IN BROWN』の録音からわずか一年ちょっと
の56年6月26日に悲劇は訪れた。リッチー・パウエルの夫人
が運転する車は、フィラデルフィアからシカゴへと向かって
いた。その日は不吉な雨が降っていた。運転を誤った夫人の
車は大破し、同乗していたリッチー・パウエルとクリフォー
ド・ブラウンともども三人は一瞬にして帰らぬ人となってし
まった。それはジャズの未来が奪われたような悲劇的な事故
だった。ブラウニーはまだ25歳の若さだった。


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by obinborn | 2019-01-31 17:09 | blues with me | Comments(0)  

エディ・ヒントンのソングブック『Cover Me』に寄せて

エディ・ヒントンを知る前に彼の書き下ろした曲を初めて
聞いたのはニッティ・グリッティ・ダート・バンドのDown
In Texasだった。ソウル・ファンにはオスカー・トニー・Jr
の持ち歌としてお馴染みだろう。そんなことを懐かしく思い
出しながらエディのソングブック『Cover Me』を聞いてい
る。共作者のドニー・フリッツが自ら「私とエディの記念碑
だよ」と語るダスティ・スプリングフィールドの「ベッドで
朝食を」に始まり、夜明けにエディがふざけて木によじ登っ
た体験を元にしたルルの「エディはどこに?」で終わるこの
コンピレーションは、95年に他界してしまった エディのソ
ングライターとしての側面に光を当てていて、私が知ってい
る曲と知らない曲が半々くらいずつといったところだが、ペ
ン=オールダムやジョー・サウスあるいはダン・グレアらと
ともにアメリカ深南部のR&Bシーンを支えたエディの裏面史
として、本当に申し分ないものとなっている。レフトバンク
「愛しのルネ」に似た作風のボックストップスIf I Had Let
You Inや、シェールのSave The Children、トニー・ジョー
ホワイト自身は意外にも「俺はエディに会ったことがない」
と語るフリッツ/ヒントン作をトニー・ジョーが歌った300
Pounds of Hongry、ボビー・ウーマック自らイントロで
「スタジオ・セッションが終わる間際にエディがこの曲を
持ってきたんだよ”これをやらないかい?”って」と語るA
Little Bit Salty辺りがクライマックスだろうか。またエディ
が最初のソロ・アルバムに収録したヒントン=ペン作I Got
The Feelingのアメイジング・リズム・エイシズ版は恥ずか
しいことに筆者は今回初めて知った。エディ・ヒントンの作
風として一貫しているのは、やはりブルーズとゴスペルとソ
ウルの感覚に違いない。ニューヨークのティン・パン・アレ
イ系コンポーザー(ゴフィン=キングであれリーバー=スト
ラーであれポーマス=シューマンであれ)とは明らかに様相
が異なる実直な心情吐露に、エディ・ヒントンが身をもって
歩んできた南部の音楽風土を思わずにはいられなかった。


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by obinborn | 2018-11-20 14:42 | blues with me | Comments(0)  

追悼:トニー・ジョー・ホワイト

トニー・ジョーが亡くなってしまった。私が彼のアルバムを
集め始めたのは78年頃に日ワーナーが始めた名盤復活シリー
ズで『ホームメイド・アイスクリーム』が発売されたのがき
っかけだった。まだ個人的には20代になったばかりだったが、
アメリカ南部の最も深いエリアのスワンプ・サウンドを追い求
め、友人たちと競うように音楽地図を広げていった日々を懐
かしく思い出す。あの頃の自分が一番良く聞いていたのはロ
リー・ギャラガーの2枚組ライブ『アイリッシュ・ツアー』
で、そのなかにロリーが生ギターを掻きむしりながら歌う
「カラスが飛ぶように」は収録されていた。その作者がトニ
ー・ジョーその人であり、興味を繋いでくれた。

そんなトニー・ジョーにインタビューしたのは07年の4月だ
った。78年5月の初来日以来およそ29年ぶりに実現した日本
公演は各地で大好評を博した。「生まれたのはルイジアナの
グットウィルというところだよ。河の近くで、一番近くの町
まで50キロくらい離れていた。父親は農夫で、家族は母と姉
が五人、兄貴が一人いる。俺は末っ子だよ。みんなギターや
ピアノが弾けて、夜になるといつも一緒に演奏していたんだ。
そして俺は15歳の時に兄貴が買ってきたライトニン・ホプキ
ンスのレコードを聞いて”コレだ!”と思ったんだ」と彼は物
静かに語ってくれた。ソングライティングに関する質問には
「現実だよ。真実を書くのさ。ウィリーもローラ・メイ・ジョ
ーンズも実在の人物だ。我々は実際に日曜の午後にはベース
ボールをし、夜になればポーチに座ってギターを弾いた。ル
ーズヴェルト、アイラ・リー、ポーク・サラダ・アニー...す
べて実在の人物だよ」と。

取材が興に乗ってくると、トニー・ジョーはいつの間にか
饒舌になっていった。私がロリー・ギャラガーに関する質問
をすると、こんな答えが返ってきた。「俺のショウを見に来
てくれたし、バーで一緒にビールを飲んだこともある。彼に
は浮ついたところがなく、南部気質のようなものを持ってい
て本物だと思った。昨年俺がアイルランドでコンサートをや
った時には、彼の弟のドネル・ギャラガーが楽屋を訪ねてく
れた。とても嬉しかった」

「日本公演が終わったらルイジアナに帰って兄貴と釣りに行
くんだ。ワニが釣れるかもしれないしね(笑)」そんなトニ
ー・ジョーはもういない。


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by obinborn | 2018-10-26 17:26 | blues with me | Comments(0)  

昨夜見た夢

音信不通になっていた夫婦から声が掛かり、久しぶりに
彼らの家に遊びに行った。豪華な食事でもてなしてくれ
たが、どうにも話が弾まない。それを察したのか夫婦は
そろそろバンドを呼びましょうと言って、地下室に私を
誘った。何と彼らは家にバンドをレンタルしたらしい。
しかしそのバンドがまた最悪で、こんなものを観るくら
いなら死んだ方がマシだと思い、私は地下室からの逃げ
道を探り、四苦八苦しながら非常階段を登りやっと地上
に辿り着いた。そこは恐らく家の庭園なのだった。私は
軽く安堵したのだが、それも束の間だった。例の夫婦が
ヘラヘラ笑いを浮かべながら手錠で私をロックしてしま
った「オビよ、お前は詰めが甘いんだ。こうなる事態を
予測出来なかったとはな!」と彼らは言い放った。私は
歯軋りしながらこう言い返した「来てみればこのザマだ。
お前らもすっかり落ちぶれたな」と感嘆してみせ、涙を
浮かべて同情を買おうとした。その一瞬のスキを狙った
私は彼らを足蹴りにし、手錠を嵌められたまま逃走した。
とにかく全速力で逃げた。しかしまた彼らが私を待ち構
えていた。どうやらバンドの連中も彼らに加担し、さな
がら愚連隊の様相を呈してきた。私は舌打ちをしながら
また逃げた。左の道を行き右の道を探り、地下に再度潜
ったり四苦八苦して最後には自分が何処にいるのか解ら
なくなった。草と土の匂いがした。また庭に戻ってきた
らしい。夜はまだ明けず、私は漆黒の闇の中で途方に暮
れ、やがて睡魔に襲われてこのまま死んでいく自分を感
じた。何処か遠くでコオロギの鳴き声がした。それは甘
美な旋律のように響いた「還暦前に死ぬとは予想不可能
だったな」と私は呟き、もう一方の頭では自分の家の照
明をLEDに変えて電気代が安くなったことをぼんやりと
思った。最期に考えるのはこんなくだらないことなんだ
なと苦笑した。どうやら天使は現れないらしい。毒ワイ
ンが身体中に回り、私は遂に意識を失った。


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by obinborn | 2018-09-20 04:34 | blues with me | Comments(0)  

9月6日の吉村瞳

6日は新橋のアラテツにて吉村瞳のワンマン・ライブを。
ダニー・オキーフのGood Time Charie’s Got The Blu
esに始まり、マディ・ウォーターズのRollin' and Tumb
lin'で最後を締めるまでの約90分、吉村は今回も圧倒的
なステージを見せた。骨っぽいヴォーカル、技量あるギ
ター、ルーツ色全開の選曲と、どれも文句の付けようが
ない。この夜も前半をラップ・スティールで統一し、後
半を通常のアクースティック・ギターに切り替える場面
転換が鮮やかで、時間が経つのをしばし忘れた。スティ
ーブ・ヤングのSeven Bridges Roadやヴァン・モリソ
ンのCrazy Loveといった古典を取り上げる姿は、フォー
ク・ミュージック本来の”語り部”としての意義を感じさ
せる。昨今は雰囲気勝負の女性SSWも少なくないが、
筆者の知る限り、中村まりと吉村瞳は格が違うなと思っ
た。たとえ大地が裂け山が崩れても、彼女たちは歌って
いくことだろう。

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by obinborn | 2018-09-07 06:21 | blues with me | Comments(0)  

ボズの新作『OUT OF THE BLUES』をジョー・スコットを通して理解を深める

ボズの新作で驚かされたのはジョー・スコットの名前が記されて
いたことだ。正確には「このホーン・アレンジはジョーのオリジ
ナル編曲を元にしています」とクレジットされており、筆者はも
うそれだけで胸に熱いものが込み上げてきてしまった。ジョー・
スコットといえばデューク/ピーコック・サウンドに欠かせない
トランペッター&バンド・リーダーであり、ボビー・ブランドや
ジョニー・エイスやジュニア・パーカーの作品で馴染んだブルー
ズ/R&Bファンは少なくないだろう。

そんなジョーの名前をわざわざ楽曲のパーソネルに書き、アレン
ジ自体も60年代初頭のデューク/ピーコック録音に倣った部分に
ボズのブルーズ音楽に対する深い愛情を感じずにはいられない。
しかもボビーをカバーした2曲に限って、その旨がさり気なく書
かれている。それを知った時、私は思わず震えてしまった。

ダウンローディング世代にはアルバムのパーソネルを丹念に追い
かける人はきっと少ないはず。しかしながら、それを丁寧に読み
込んでいけばミュージシャンの音楽的な背景を理解する一端とな
ると思いたい。そんなこともあって、本作『OUT OF THE BLU
ES 』はより親しい存在になった。挙げた音源はボビー・ブラン
ドが61年にリリースした『TWO STEPS OF THE BLUES』に
オリジナル・ヴァージョンが収録されている。この曲が58年以上
経った今蘇る。その温故知新を噛み締めたい。テキサスで少年期
を過ごしたボズにとって、ヒューストンを根城にしたデューク・
ピーコック・サウンドはきっと子守唄のようなものだったろう。


by obinborn | 2018-08-26 18:53 | blues with me | Comments(0)  

孤独な男の自画像〜ボズ・スキャッグスの新作『OUT OF THE BLUES 』を聞いて

ボズ・スキャッグスの新作『OUT OF THE BLUES』、
めちゃくちゃゴキゲンなアルバムですね!97年の『
COME ON HOME』辺りから兆しがあったバック・ト
ゥ・ルーツな姿勢を一段と強化したブルーズ/R&Bアル
バムで、彼が育ったテキサスの風土はボビー・ブラン
ドが歌ったI've Just Got To Forgetのカバーにしっか
り聞き取れる。この意気込みがとにかく嬉しい。他に
も西海岸ブルーズの粋を伝えるジミー・マクラクリン
のI've Just Got To Know、シカゴ・ブルースの巨人
でありながらルイジアナ辺りのレイジーな空気を醸し
出すジミー・リードのDown To Verginiaなど、一筋
縄ではいかないチョイスにボズの矜持を感じずにはい
られない。ロック方面ではニール・ヤングが混迷期に
残したOn The Beachに光を当てている。

演奏陣はウィリー・ウィークスb、ジム・ケルトナー
ds、今やボブ・ディランの片腕として絶大な信頼を得
ているチャーリー・セクストンg、あるいはエリック・
クラプトンやデレク・トラックス周辺のキーパーソン
であるドイル・ブラムホール2世らが、すべてを削ぎ
落とした(それ故に芳醇な)演奏をじっくり聞かせる。
逆に心配してしまうのはボズの主な購買層となるAOR
ファンが本作の世界に付いてこられるかどうかで、こ
こまで徹底したダウン・トゥ・アースな路線に、一切
口を挟まなかったコンコード・レコーズにも敬意を表
したい。プロデュースは勿論ボズその人であり、多く
のヴェテラン・アーティストがそうであるように、残
された時間を使って自分を育ててくれた音楽に恩返し
したいという思いが直に伝わってくる。

あらゆる土地を旅してきた。各地で絶賛されるトップ
・アーティストになった。それでもビジネスと自分の
本当にやりたい音楽との齟齬は隠せない。一人滞在先
のホテルに帰り、テレビを眺める時の空虚な気持ちか
らは逃れようもない。そんなボズ・スキャッグスの姿
を想像してみると、本作に掲げられたOUT OF THE
BLUESという言葉が、彼の自画像のように思えてきた。


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by obinborn | 2018-08-24 18:35 | blues with me | Comments(2)  

8月23日の吉村瞳

平成のデルタ・レディこと吉村瞳は23日も堂々たるステージ
を繰り広げた。ボニー・レイットを規範としたどこまでもダ
ウン・トゥ・アースな音楽志向と瑞々しい歌心が、自由が丘
のバードソング・カフェを満たした。とくに今回は一時封印
していたワイゼンボーンが復活し、通常のアクースティック
・ギターと振り分けるコントラストがあまりに鮮烈だった。
彼女の看板となるスライド・プレイを押し出しながらも、技
に溺れず、あくまで楽曲を際立たせるための影絵とする。時
に自らのリズム・ギターをループ使用しつつ、ボトルネック
のソロを取る姿に、新しさを感じられる方もいるだろう。

第二部で歌われたゴフィン=キングの「ナチュラル・ウーマ
ン」とビル・ウィザーズの「リーン・オン・ミー」に筆者は
心が溶けそうになった。R&B・ソウル畑で有名になったこの
2曲が、飾らないソングライター・ヴォイスで歌われる。そ
の価値は一体どれほどのものだろう。「終戦記念日にこの曲
を選びました」というMCに続いて歌われたエリック・カズ
の「クルエル・ウィンド」にしても、原詞をしっかり理解し
たシンガーならではの思いが存分に伝わってきた。

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by obinborn | 2018-08-24 06:24 | blues with me | Comments(0)