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残暑奇譚:オビン、婆さんに救出されるの巻

忍者「大将、とうとう熱中症にやられましたね!」

猟奇王「一時は天下を取ったワシとしたことが不覚じゃ。
久しぶりに丸長のつけ麺食べたまでは何でもなかったん
じゃがのう〜」

忍者「天下を取ったって...大将の場合練馬区限定じゃないっすか。
最近はもっぱら引退した悲しい音楽評論家と噂されてまっせ」

猟奇王「ナニい?もう一度言ってみい!聞き捨てならんな!」

忍者「まあ、そうカッカしないでください。そんな調子でいつ
もディスクユニオンの若い店員を説教しているんですか?」

猟奇王「いや〜、西友の帰りに頭が一瞬クラクラしてしまって
な。今日も順調に働いておったんやが、最寄りの日陰でうずく
まってしまったら、近くにいた婆ちゃんが氷をくれてな。いや
〜ホンマ救われた」

忍者「若い娘だとこうは行きませんからねえ〜」

猟奇王「できればタンクトップの姉ちゃんから氷貰いたかったのお〜」

忍者「またそんなことを!婆ちゃんに菓子折り持っていった
ほうがいいっすよ、大将」

猟奇王「バアさんに助けてもらうとは、トホホ、ワシも焼きが
回ったもんじゃ。ところで今日も買ったぞ。リンダDON'T CRY
NOWのオリジナル・マスター盤、スティーヴ・ジョーダンの
『サンフランシスコ大地震』、ジム・パルト『OUT THE WIN
DOW』の3枚じゃ」

忍者「.....」😱


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by obinborn | 2018-08-30 14:24 | one day i walk | Comments(0)  

ボズの新作『OUT OF THE BLUES』をジョー・スコットを通して理解を深める

ボズの新作で驚かされたのはジョー・スコットの名前が記されて
いたことだ。正確には「このホーン・アレンジはジョーのオリジ
ナル編曲を元にしています」とクレジットされており、筆者はも
うそれだけで胸に熱いものが込み上げてきてしまった。ジョー・
スコットといえばデューク/ピーコック・サウンドに欠かせない
トランペッター&バンド・リーダーであり、ボビー・ブランドや
ジョニー・エイスやジュニア・パーカーの作品で馴染んだブルー
ズ/R&Bファンは少なくないだろう。

そんなジョーの名前をわざわざ楽曲のパーソネルに書き、アレン
ジ自体も60年代初頭のデューク/ピーコック録音に倣った部分に
ボズのブルーズ音楽に対する深い愛情を感じずにはいられない。
しかもボビーをカバーした2曲に限って、その旨がさり気なく書
かれている。それを知った時、私は思わず震えてしまった。

ダウンローディング世代にはアルバムのパーソネルを丹念に追い
かける人はきっと少ないはず。しかしながら、それを丁寧に読み
込んでいけばミュージシャンの音楽的な背景を理解する一端とな
ると思いたい。そんなこともあって、本作『OUT OF THE BLU
ES 』はより親しい存在になった。挙げた音源はボビー・ブラン
ドが61年にリリースした『TWO STEPS OF THE BLUES』に
オリジナル・ヴァージョンが収録されている。この曲が58年以上
経った今蘇る。その温故知新を噛み締めたい。テキサスで少年期
を過ごしたボズにとって、ヒューストンを根城にしたデューク・
ピーコック・サウンドはきっと子守唄のようなものだったろう。


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by obinborn | 2018-08-26 18:53 | blues with me | Comments(0)  

孤独な男の自画像〜ボズ・スキャッグスの新作『OUT OF THE BLUES 』を聞いて

ボズ・スキャッグスの新作『OUT OF THE BLUES』、
めちゃくちゃゴキゲンなアルバムですね!97年の『
COME ON HOME』辺りから兆しがあったバック・ト
ゥ・ルーツな姿勢を一段と強化したブルーズ/R&Bアル
バムで、彼が育ったテキサスの風土はボビー・ブラン
ドが歌ったI've Just Got To Forgetのカバーにしっか
り聞き取れる。この意気込みがとにかく嬉しい。他に
も西海岸ブルーズの粋を伝えるジミー・マクラクリン
のI've Just Got To Know、シカゴ・ブルースの巨人
でありながらルイジアナ辺りのレイジーな空気を醸し
出すジミー・リードのDown To Verginiaなど、一筋
縄ではいかないチョイスにボズの矜持を感じずにはい
られない。ロック方面ではニール・ヤングが混迷期に
残したOn The Beachに光を当てている。

演奏陣はウィリー・ウィークスb、ジム・ケルトナー
ds、今やボブ・ディランの片腕として絶大な信頼を得
ているチャーリー・セクストンg、あるいはエリック・
クラプトンやデレク・トラックス周辺のキーパーソン
であるドイル・ブラムホール2世らが、すべてを削ぎ
落とした(それ故に芳醇な)演奏をじっくり聞かせる。
逆に心配してしまうのはボズの主な購買層となるAOR
ファンが本作の世界に付いてこられるかどうかで、こ
こまで徹底したダウン・トゥ・アースな路線に、一切
口を挟まなかったコンコード・レコーズにも敬意を表
したい。プロデュースは勿論ボズその人であり、多く
のヴェテラン・アーティストがそうであるように、残
された時間を使って自分を育ててくれた音楽に恩返し
したいという思いが直に伝わってくる。

あらゆる土地を旅してきた。各地で絶賛されるトップ
・アーティストになった。それでもビジネスと自分の
本当にやりたい音楽との齟齬は隠せない。一人滞在先
のホテルに帰り、テレビを眺める時の空虚な気持ちか
らは逃れようもない。そんなボズ・スキャッグスの姿
を想像してみると、本作に掲げられたOUT OF THE
BLUESという言葉が、彼の自画像のように思えてきた。


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by obinborn | 2018-08-24 18:35 | blues with me | Comments(2)  

8月23日の吉村瞳

平成のデルタ・レディこと吉村瞳は23日も堂々たるステージ
を繰り広げた。ボニー・レイットを規範としたどこまでもダ
ウン・トゥ・アースな音楽志向と瑞々しい歌心が、自由が丘
のバードソング・カフェを満たした。とくに今回は一時封印
していたワイゼンボーンが復活し、通常のアクースティック
・ギターと振り分けるコントラストがあまりに鮮烈だった。
彼女の看板となるスライド・プレイを押し出しながらも、技
に溺れず、あくまで楽曲を際立たせるための影絵とする。時
に自らのリズム・ギターをループ使用しつつ、ボトルネック
のソロを取る姿に、新しさを感じられる方もいるだろう。

第二部で歌われたゴフィン=キングの「ナチュラル・ウーマ
ン」とビル・ウィザーズの「リーン・オン・ミー」に筆者は
心が溶けそうになった。R&B・ソウル畑で有名になったこの
2曲が、飾らないソングライター・ヴォイスで歌われる。そ
の価値は一体どれほどのものだろう。「終戦記念日にこの曲
を選びました」というMCに続いて歌われたエリック・カズ
の「クルエル・ウィンド」にしても、原詞をしっかり理解し
たシンガーならではの思いが存分に伝わってきた。

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by obinborn | 2018-08-24 06:24 | blues with me | Comments(0)  

音楽評論家・吉原聖洋さんの死を悼む

音楽評論家の吉原聖洋さんが亡くなった。以前から病を患って
いたがとうとう帰らぬ人となってしまった。80年代から媒体に
書いていた彼は僕の大先輩であり『ミュージック・ステディ』
や『Pop-Ins』といった雑誌でよくお名前を拝見していた。ま
た佐野元春のコンサートに行くと僕の近くの席にいらっしゃる
ことが多かった。但し紹介してくれる人に恵まれなかったので、
吉原さんと直接話す機会は遂に叶わなかった。またクリティッ
クとして僕を認めてくださったかどうかも解らないが、二歳上
の彼と並走するように佐野元春のテキストを書いてきただけに、
今は喪失感でいっぱいだ。初期から佐野と親交があった吉原さ
んはライフワークとして佐野元春の評伝を書き上げる予定だっ
たとか。その夢が途絶えてしまったことが悔やまれてならない。
彼が優れた文章家であることは、恐らく最後の原稿となった「
自由の岸辺への長い旅」を読めば感じて頂けるだろう。そこに
はイマジネイティブな閃きがあり、違う角度から物事を見る視
点があり、あえて自問も隠さないほど正直なものだった。

心より吉原さんのご冥福をお祈りします。



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by obinborn | 2018-08-22 17:41 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:ジニー・グリーン〜生粋の南部娘

ジニー・グリーンが亡くなってしまった。近年はずっと病気
を患っていたらしいが、とうとう力尽きてしまった。僕がま
ず最初に彼女の名前を意識したのはボズ・スキャッグスのメ
ジャー・デビュー作(69年)でドナ・ゴドショウらとバック
・コーラスを担当していたからだった。ゲイトフォールドの
ジャケットを開くとマスル・ショールズのAチームやデュエ
イン・オールマンらとともに彼女らの写真があった。同じ頃
にはエルヴィス・プレスリーの名作『イン・メンフィス』に
も参加していた。そんなジニーが頭角を現したのは、何とい
ってもアラバマ・ステイト・トゥルーパーズのフィーチャリ
ング・ヴォーカリストとして登用されたからだろう。このR
&Bレヴュー・バンドは何でもエレクトラ・レーベルがドン
・ニックスのセカンド・アルバム『LIVING BY THE DAYS』
をプロモートするために結成されたそうだが、戦前ブルース
の巨人ファーリー・ルイスを広くロック・ファンに知らしめ
る役割も果たした。そのバンドのツアーの模様を収録した2
枚組のライブで、ジニーはティッピー・アームストロング作
の「JOA-BIM」に全身全霊のゴスペル・フィールを込めてい
た。

そんなジニーがエレクトラからようやくソロ・デビューした
記念碑が『Mary Called Jeanie Greene』(71年)である。
アラバマ・ステイト・トゥルーパーズで交流したドン・ニッ
クスがプロデュース役に収まったのはごく自然な流れだった。
前述した「JOA-BIM」のスタジオ録音版をはじめ、アルバー
ト・キングが傑作『LOVE JOY』の最後に収録していたニッ
クス=ダン・ペン作「Like A Road Leading Home」やドニ
ー・フリッツとアーサー・アレクサンダーが共作しアレクサ
ンダーが72年のワーナー盤で発表した「Thank God He Ca
me」などを収録した到底忘れられない名作だ。ニックスにし
ては珍しくシャッフル・ビートで跳ねる「Only The Childre
n Know」で可憐な表情を見せるジニーも大好きだった。ミシ
シッピー州に生まれ、10代の頃にはチェット・アトキンスに
見出され、メンフィスのサン・レコードに吹き込む機会もあ
ったとか。そんなジニーは生粋の南部娘だったに違いない。
残念ながらソロ・アルバムはこのエレクトラ盤のみというキャ
リアに終わってしまったが、彼女のような脇役がいたからこ
そ、70年代にゴスペル・ロックのシーンが豊かに育まれたこ
とを忘れたくない。まるで草原を笑顔で駆け抜けるような「
Only The Children Know」を聞いていると、失ってしまっ
たものの大きさに初めて気が付く。


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by obinborn | 2018-08-21 18:26 | one day i walk | Comments(0)  

8月18日のイトウサチ&ブンケンバレエ団

18日はイトウサチ&ブンケンバレエ団を高円寺のJIROKICHI
にて。難産の末に完成した新作『きぼうのうた』のレコ発ライ
ブだけあって、超満員となった会場を前にイトウは達成感に満
たされた清々しいまでの笑顔を見せた。一番良かった頃のリン
ダ・ルイスを彷彿させるヴォイシングと、アクースティック・
トリオならではの骨格を剥き出しにしたシンプルな演奏がひた
すら気持ちいい。時にゲストとして鍵盤とパーカッションを加
えた色彩感溢れるグルーヴは、ジョニ・ミッチェルの『コート
&スパーク』や『夏草の誘い』を懐かしく思い起こさせる。

散文詩のような歌詞もいい。きっと彼女は言葉が説明的になっ
てしまう危うさを本能的に回避しているのだろう。だからこそ
削ぎ落とされた一字一句が際立ち、聞き手にイマジネイション
の余地を与え、ザクザクと刻まれるカッティングやしっとりと
したフィンガー・ピッキングを伴いながら胸に染み渡る。歌の
主人公が動き始め、自分の窓から見える世界を丁寧に描き出す。
そう、季節の変わり目のようないわし雲を見上げながら。


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by obinborn | 2018-08-19 00:37 | one day i walk | Comments(0)  

ココモに最初の雪が降る〜アリーサのために

英国のパブ〜ファンキーロック・バンドにかつてココモがいた。
グループ名はアリーサ・フランクリンの自作曲「ココモに最初
の雪が降る」に由来すると伝えられている。アリーサが72年の
傑作『黒人賛歌』で発表したナンバーだ。ダイナミックな歌唱
で知られる彼女が、珍しく抑制の効いたヴォーカルを聞かせる
ナンバーだが、そこからネーミングしたココモの気持ちが僕に
は何となく理解出来たものだ。そんなココモは75年のデビュー
・アルバムでアリーサの妹であるキャロリン・フランクリンが
書いたAngelを取り上げている。姉のアリーサは73年のアルバ
ム『Hey Now Hey』で歌っていた。

アリーサの訃報が伝えられた日、真っ先に僕が思い起こしたの
は「ココモに最初の雪が降る」のエピソードであり、ココモの
パディ・マクヒューが歌うAngelだった。



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by obinborn | 2018-08-17 22:21 | one day i walk | Comments(0)  

73回めの終戦記念日に

昭和33年生まれの私は考えてみれば戦後13年めに誕生した
典型的な「戦争を知らない子供たち」の一人だった。その
代わり両親や親戚から戦争の悲惨さを直に何度も聞かされ
た。今亡き父は気象庁に勤めていたのでかろうじて兵役は
免れていた。母親は少女時代旧満州に疎開する体験をして
いた。また町のお祭りに行けば普通に傷痍軍人が頭を垂れ
ながら募金を募っていた。片手や片足がない彼らの姿は子
供心に衝撃的であった。私のような戦後第一世代がもはや
60歳近くとなり社会の第一線から退きつつある今、私たち
の親世代に至ってはもはや他界する一方である。こうして
戦争の語り部が少なくなってしまったことを残念に思う。
そのせいか平成生まれの若者たちに戦争のリアリズムが伝
わらないのは仕方ないのかもしれない。

社会が何らかの閉塞感に覆われた時、孤立的愛国主義者が
台頭し人々に連帯を煽る。「美しきニッポン」なる安易な
キャッチコピーが躍り、マイノリティをバッシングする。
学校の教科書から真実が削除され、官僚や政治家から批評
能力が消えてしまう。恐ろしいことにそれが今の日本の現
実なのだ。私個人の力など微々たるものだが、それでも何
らかの牽制役となり、この世界を変えていくことは不可能
ではあるまい。それが私たち戦後第一世代の責務ではない
だろうか。今私はそんなことを考えている。


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by obinborn | 2018-08-15 19:07 | one day i walk | Comments(0)  

再訪:ネッド・ドヒニー『ハード・キャンディ』

関東地方はもの凄い豪雨だったので今日はレコ屋再訪を諦め、
家で『ハード・キャンディ』ばかり繰り返し聞いていた。こ
ういう名盤をすぐに取り出せる自分を褒めてあげたい(笑)
ジャジーな「ヴァレンタイン」でジョン・ガーリン(L.Aエク
スプレス)が叩く以外は、全曲ゲイリー・マラバーがドラムス
を担当しているのが印象的だ。ネッド・ドヒニーはファースト
でもマラバーを全面に起用していたから、何らかの信頼関係が
生まれていたのだろう。マラバーは西海岸のスタジオマンとし
てはゴードンやケルトナーのような超売れっ子という訳ではな
かったものの、ジーン・クラークの『ホワイト・ライト』やヴ
ァン・モリソンの『ムーンダンス』での名演は、数多くのSSW
ファンがきっと胸に刻んでいることだろう。そんなマラバーが
本作のようなホワイトR&Bとバッチリ対応したことに今さらな
がら驚かされる。猛練習をしたのか、元々16ビートへの理解が
あったのかはよく解らないが、ともあれそれは嬉しい驚きだっ
た。『ハード・キャンディ』が最初から最後まで見事に一貫し
た方向性を保っているのは、きっとマラバーの功績に違いない。
サルサ・タッチの「シング・トゥ・ミー」でさえ、そのハマり
まくったドラムは聞き逃せない。そしてデヴィッド・フォスタ
ーのキーボードが時代を切り開いていく。とかく夏の風物詩と
して語られがちな『ハード・キャンディ』だけれども、そこに
白人SSWによる真摯なソウル・サーチンがあったことを忘れて
はなるまい。そのリズミックな語彙の数々は、今も目眩がする
ほど鮮やかだ。そういえばスティーヴ・ミラー・バンドの傑作
『フライ・ライク・アン・イーグル』で素晴らしいドラムスを
披露していたのも、ゲイリー・マラバーその人に他ならなかっ
た。奇しくもそれは『ハード・キャンディ』とほぼ同時期に
生まれた76年のアルバムだった。
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by obinborn | 2018-08-13 19:02 | one day i walk | Comments(0)