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ラス・タイトルマンが回想するリトル・フィートのデビュー・アルバム

「リトル・フィートのファースト・アルバムは私が初めて
プロデュースしたレコードでした。69年当時のロスアンジ
ェルスを振り返ると、リトル・フィートはドアーズやステ
ッペン・ウルフやスリー・ドッグ・ナイトとは比較になら
ないほど無名でした。しかしフィートの連中はいつの間にか
L.Aで新たな音楽的コミュニティを築いていたのです。ロウ
エル・ジョージはとてもファンタスティックなソングライタ
ーであり、南カリフォルニアにフォーク・ロックの学校があ
るとすれば、それら全てを融合したようなものでした。そこ
にはハウリン・ウルフとザ・バンドとランディ・ニューマン
からの影響が認められましたね。とてもカントリー音楽の
匂いがして、そこにはトラック運転手がサービス・エリアで
休憩したり、ウェイトレスがにこやかに振る舞う様、あるい
はすっかり意気消沈した孤独な敗者たちが描かれていました。
そう、ローウェルはそれらを歌に託すのが実に上手かった。

私が彼と出会ったのはラヴィ・シャンカールの音楽教室で、
ちょうどビートルズが『サージェント・ペパーズ』を出した
67年のことでした。あのアルバムに収録されたジョージ・
ハリソンのシタール曲WithIn You,Without Youは衝撃的で、
私たち二人はすぐさまシタールを習おうと学校に通ったので
す。ローウェルは他の楽器にも手を伸ばし、ドラムス、尺八、
そして勿論ギターなども学んでいきました。やがてザ・バー
ズがTruck Stop GirlにWillin'と2曲もローウェルの曲を取り
上げてくれました。私はワーナー・ブラザーズのレニー・ワ
ロンカーのオフィスに彼らを連れていき、ローウェルとビル
・ペインはレニーを前にその2曲を歌い演奏したのです。ビ
ルは部屋に備え付けられていた小さなアップライト・ピアノ
を使っていたなあ。そしてレニーは即答しました『グレイト
だね!すぐさま2階に行ってモー・オースティンと契約して
こい!』ってね」

(ラス・タイトルマンの回想/2007年ニューヨークにて/
08年に再発されたリトル・フィート『ファースト』のモー
ビル・フィデルティ・サウンド・ラブ盤より)

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by obinborn | 2018-09-30 18:20 | Comments(1)  

エディ・ヒントンの追憶

来月発売される『Eddie Hinton Songbook』を楽しみ
に待っている毎日です。英Aceのソングライター・シリ
ーズは様々なシンガーに歌われてきた名曲を作者別にま
とめて選曲するというテーマを持った素晴らしい企画で、
南部のアーティストとしてはこれまでダン・ペンの作品
集が記憶に残っていますが、いよいよエディにまで手を
伸ばしてくれたのかと思うと感慨深いものがあります。

曲目表を眺めたところ、ダスティ・スプリングフィール
ドの「ベッドで朝食を」やトニー・ジョー・ホワイトの
300 Pounds of Hongry、あるいはルルの「エディは何
処に」といったヒントン=フリッツによる代表作が収録
されており、まずはひと安心しました。こうした共作に
関してかつて私はドニー・フリッツに「どちらかが作詞
でどちらかが作曲という役割分担なのですか?」と尋ね
たことがあるのですが、彼が「違う!俺たちは一緒に曲
を書いているんだよ」と諭すように語っていたのが印象
に残っています。記憶を辿ると確かダン・ペンもスープ
ナー・オールダムとの共作について同じような主張をし
ていて、ここら辺は少なくともゴフィン=キングやウェ
ルズ=マンのように明確な分業体制が敷かれていたコン
ビとは、どうやら様相が大きく異なるようですね。

今回のSongbookシリーズで個人的に最も嬉しかったの
は、エディがマリーン・グリーンと共作し、ジャッキー・
ムーアによって歌われたCover Meと、エディが珍しく
単独で書き上げボビー・ウーマックに取り上げられたA
Little Bit Saltyの2曲です。特に後者のウーマック・ヴ
ァージョンはじっくりと熱を込めて歌うウーマックとマ
スル・ショールズのAチーム(ジョンソン/フッド/ホーキ
ンズ/バケット)の連携が見事で、また作者のエディ自身
もアクースティック・ギターで参加してもいます。さら
に感動的なのはボビーが得意とするモノローグの部分で
あり、こんなことが語られ歌われています。

「レコーディングも殆ど終わりかけた頃だった。僕はエ
ディに言ったのさ。ねえ、こんな歌でもやらないかって。
恋人に去られるまでは恋なんか解らない。人生も同じさ。
辛いことを経験して初めて素晴らしさが解るんだ。そう
なのさ。喉が乾くまで水の旨さなんか解らないだろ?」

このA Little Bit Saltyはボビーの76年作『我が魂の故郷
〜Home Is Where The Heart Is』に収められています。
当時の彼といえば最も油が乗っていた時期であり、その
知名度も飛躍的に伸びていた頃でした。そんなボビーが
エディ・ヒントンの曲を取り上げ、しかも曲中に彼の名
前を呼んだことは、さぞかしエディを勇気付けたことで
しょう。実際二年後の78年にエディは初めてのソロ・ア
ルバム『Very Extremenaly Dangerous』をリリースす
るのですから、彼にとってもキャリアに於ける重要な足
掛りとなったのでは?と想像しています。

特にヒットした訳でもないこのA Little Bit Saltyですが、
この曲にはそんな裏面史があり、それらを忘れることな
くSongbookに収録してくれた英Aceに感謝したい気持ち
で一杯です。なおこの曲のオリジナル・デモはエディが
95年に死去した後に、彼の音源を纏めて管理しているZ
aneレーベルが発表した『Songwriters Sessions』で、
やっと蔵出しされました。


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by obinborn | 2018-09-29 17:49 | one day i walk | Comments(0)  

9月27日の吉村瞳

精力的に全国各地を回っている吉村瞳のライブを
27日は下北沢のラウンにて。自分の場合は三週ぶ
りだったが、この夜もまた一本芯の通った素晴らし
い歌とギターを聞かせてくれた。筆者にとっては
初体験となるリトル・フィートの「ディキシー・
チキン」とジャニス・ジョプリンの「ムーヴ・オ
ーヴァー」の2曲での骨太いスライド・ギターに
度肝を抜かれる一方、吉村の幾つかのオリジナル
曲では繊細な情景描写が際立つ。そんな両刀使い
が彼女の魅力だ。またこのところ頻繁に選曲され
ているケニー・ロギンスの名曲「プー横丁の家」
でのメリハリのあるヴォイシングにも胸を打たれ
た。

私と吉村とでは、世代的に言えばまるで父と娘の
ような関係だが、こうして70年代のルーツが時空
を超えていく様は、アメリカで言えば「両親が聞
いていた音楽に影響された」と語りながら、ジム
・クロウチやポール・サイモンらの楽曲を蘇らせ
るI'm With Herの感覚に近いのかもしれない。旅
先で目に映るもの、車の窓越しに通り過ぎていく
もの。それらを糧に吉村瞳はこれからも歌を携え
ていくことだろう。

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by obinborn | 2018-09-28 10:24 | one day i walk | Comments(0)  

遥かに、イマムーへ

ホンクの会場で嬉しかったのは、彼らの初期のマネジャーだ
った今村佳子さんと久しぶりに再会したことだった。開演前
に少しお話しさせて頂いたのだが、今は別の国で暮らしてい
ること、たまたま日本に帰ってきた時にホンクのライブを知
り駆けつけたことなどを語ってくれた。幸いにも僕のことを
覚えていてくれた彼女と、僅かな時間だったものの会話して
いたら、何かとても温かい思いが込み上げてきた。

今でもはっきり2007年の秋を覚えている。当時行く宛もなく
毎日を無為に過ごしていた僕は、武蔵小山にあるライブカフェ
のAgainで働いていた彼女と出会い、東京ローカル・ホンクと
いう僕にとっては未知のバンドと引き合わせてくれたのだ。
そんなある日のこと、僕はイマムーから貰った名刺を頼りに
電話して、東中野のお店で行われたホンクのワンマンライブ
に駆け付けたのだった。寒さを感じ始めた12月のことだった。

あれから11年の歳月が経とうとしている。早いような気もす
るし、それなりの重みを持った時間だったとも感じる。その
感じ方はまるで毎日の天気のようにコロコロ変わってしまう
のだが、互いの名前を忘れずに言い合えたことを大切にした
い。イマムーとの思い出を反芻してみると、「東京で食べる
ランチは何でこんなに高いんでしょう」とか、「僕は富士そ
ばで間に合わせているよ」といった他愛のない会話ばかりで
ある。それでも彼女の飾らない性格のせいだろうか。それら
ははっきりと記憶に刻まれた。

音楽やバンドはこうしてその周辺にいる人々まで巻き込み、
それぞれのドラマを生み落としていく。年月を重ねればな
おさらのことだろう。イマムー、決してきみのことを忘れ
たりはしていなかったよ。またいつか会いましょう。


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by obinborn | 2018-09-24 13:39 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:チャス・ホッジズ

チャールズ・ホッジズが亡くなってしまった。先日山本君
がイギリスでチャス&デイヴの野外ライブ(他の出演はク
ラプトン、ウィンウッド、サンタナなど)を観てきて、そ
の話を聞かせて頂いたばかりだったので、信じられない気
持ちである。音楽評論家のイアン・サウスワース氏は以前
「チャス&デイヴは英国の大道芸人みたいなもの。そこに
パブ・ロックのメンタリティを探すのは日本人だけだ」と
辛辣な見解を述べていたが、彼らのくすんだ情感に心奪わ
れた音楽ファンは少なくないだろう。

ヘッズ・ハンズ&フィートを皮切りに音楽活動を本格化さ
せたチャールズ・ホッジズはやがてデイヴ・ピーコックと
出会い、デュオのオイリー・ラグスを結成。74年に唯一の
アルバム『Oily Rags』を米シグネチャー・レーベルから
発表する。ザ・バンドにバディ・ホリー、アラン・トゥー
サン、クリス・クリストファーソンのカバーを収録したそ
の盤にはルーツ・ロックへの視座があり、日本ではブラッ
クホークが選ぶ99選にセレクトされたこともあって評判を
呼んだ。そのオイリー・ラグスを改めて76年に再出発した
のがチャス&デイヴだった。チャールズのピアノとデイヴ
のベースを基本とした間合いのあるシンプルでアーシーな
サウンドが彼らの魅力で、時にヘッズ・ハンズ&フィート
時代の盟友アルバート・リーのギターをフューチャーする
辺りがたまらなかった。そのリーが最初のソロ・アルバム
『ハイディング』でチャス&デイヴの名曲Billy TYlerを取
り上げていたことも忘れ難い。

個人的にはそのBillyTylerのオリジナル版を収録した77年
のセカンド『ロックニー』や、リーが参加した79年の『
ドント・ギブ・ア・モンキーズ...』辺りを本当によく聞い
たものである。前述したイアン氏の辛辣な評価は、恐らく
ロック・クラシックを数珠繋ぎにしたり、クリスマス・ア
ルバムを連発する安易な制作方針にあったのだろう。また
実際にイギリスではテレビ出演し歌い演奏するコメディア
ンという認識が一般的であろう。そのお笑いが低俗なもの
であったかどうかはイギリスの風習に疎い私には判断しか
ねるものの、そうした大衆路線をパブ・ロックのエリアで
展開したところにチャス&デイヴの生命線があり、それは
キンクスやボンゾ・ドッグ・バンドあるいはラトルズ辺り
に感じ取れる英ミュージック・ホールの伝統を受け継いだ
ものだと理解している。

チャールズさん、今まで長い間本当にありがとうござい
ました。あなたのホンキー・トンク・ピアノとコックニ
ー訛りそのままの歌声、その気取りのないユーモアが私
は大好きでした。アルバート・リーの『ハイディング』
にあなたの名前を見つけて心ときめいた日々が、まるで
昨日のことのようです。

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by obinborn | 2018-09-23 17:41 | one day i walk | Comments(0)  

昨夜見た夢

音信不通になっていた夫婦から声が掛かり、久しぶりに
彼らの家に遊びに行った。豪華な食事でもてなしてくれ
たが、どうにも話が弾まない。それを察したのか夫婦は
そろそろバンドを呼びましょうと言って、地下室に私を
誘った。何と彼らは家にバンドをレンタルしたらしい。
しかしそのバンドがまた最悪で、こんなものを観るくら
いなら死んだ方がマシだと思い、私は地下室からの逃げ
道を探り、四苦八苦しながら非常階段を登りやっと地上
に辿り着いた。そこは恐らく家の庭園なのだった。私は
軽く安堵したのだが、それも束の間だった。例の夫婦が
ヘラヘラ笑いを浮かべながら手錠で私をロックしてしま
った「オビよ、お前は詰めが甘いんだ。こうなる事態を
予測出来なかったとはな!」と彼らは言い放った。私は
歯軋りしながらこう言い返した「来てみればこのザマだ。
お前らもすっかり落ちぶれたな」と感嘆してみせ、涙を
浮かべて同情を買おうとした。その一瞬のスキを狙った
私は彼らを足蹴りにし、手錠を嵌められたまま逃走した。
とにかく全速力で逃げた。しかしまた彼らが私を待ち構
えていた。どうやらバンドの連中も彼らに加担し、さな
がら愚連隊の様相を呈してきた。私は舌打ちをしながら
また逃げた。左の道を行き右の道を探り、地下に再度潜
ったり四苦八苦して最後には自分が何処にいるのか解ら
なくなった。草と土の匂いがした。また庭に戻ってきた
らしい。夜はまだ明けず、私は漆黒の闇の中で途方に暮
れ、やがて睡魔に襲われてこのまま死んでいく自分を感
じた。何処か遠くでコオロギの鳴き声がした。それは甘
美な旋律のように響いた「還暦前に死ぬとは予想不可能
だったな」と私は呟き、もう一方の頭では自分の家の照
明をLEDに変えて電気代が安くなったことをぼんやりと
思った。最期に考えるのはこんなくだらないことなんだ
なと苦笑した。どうやら天使は現れないらしい。毒ワイ
ンが身体中に回り、私は遂に意識を失った。


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by obinborn | 2018-09-20 04:34 | blues with me | Comments(0)  

ザ・バンドの匿名性〜next of kinについて

next of kin(親族の、同種の)という言葉は、リック・ダンコ
が歌う「火の車」に出てくるのだが、ジョージ・ハリソンが嘆
いた英国盤の『ビッグ・ピンク』で省略されてしまったのが、
下記の写真next of kinである。ジョージが気に入ってアップル
にアセテート盤まで作らせたデラニー&ボニーも、スタックス
からのデビュー・アルバム『ホーム』では祖父と一緒のデラボ
ニ夫妻が写っていたから、こうした家族的な雰囲気にジョージ
が何らかの気持ちを動かせていたことは想像に難くない。

今改めてこの写真を見直してみると、中央に立っているリチャ
ード・マニュエルの若さと端正な顔立ちに驚かされる。リヴォ
ン・ヘルムはかつて「リチャードこそがザ・バンドのリード・
ヴォーカルだと思っていたよ」と述懐していたが、68年のデビ
ュー・アルバムの時点では、リチャードがグループの一番星だ
ったのかもしれない。

そんなリチャードも、リヴォンもリックも”親族たち”のなかに
紛れ込んでいる。最初は誰がザ・バンドのメンバーかが判然と
しなかった経験をされた方はどのくらいだろうか。実際に聞こ
えてくる音楽も、手巻きオルガンのような悲しい調べと老人の
嘆きが混ざり合う「怒りの涙」から始まっていた。”俺の叫び
を聞け!”というのが60年代後半のユース・カルチャーの生命
線であるならば、ザ・バンドはそこから遥か遠くに離れていた。

そっと老婆に寄り添うような「淋しきスージー」が、デイル・
ホウキンス(奇しくもザ・バンドを育てたロニー・ホウキンス
の従兄弟)のガール礼賛「スージーQ」への反語にも聞こえて
くる。カーレン・ダルトンのカバー・ヴァージョンでも知られ
る「イン・ア・ステーション」が、時代という迷宮を彷徨うエ
レジーのように響く。アルバムの最後に置かれた「アイ・シャ
ル・ビー・リリースド」でやっと立ち昇る希望も、無名の囚人
たちが塀越しに眺める朝靄のようだった。

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by obinborn | 2018-09-14 18:27 | one day i walk | Comments(0)  

9月6日の吉村瞳

6日は新橋のアラテツにて吉村瞳のワンマン・ライブを。
ダニー・オキーフのGood Time Charie’s Got The Blu
esに始まり、マディ・ウォーターズのRollin' and Tumb
lin'で最後を締めるまでの約90分、吉村は今回も圧倒的
なステージを見せた。骨っぽいヴォーカル、技量あるギ
ター、ルーツ色全開の選曲と、どれも文句の付けようが
ない。この夜も前半をラップ・スティールで統一し、後
半を通常のアクースティック・ギターに切り替える場面
転換が鮮やかで、時間が経つのをしばし忘れた。スティ
ーブ・ヤングのSeven Bridges Roadやヴァン・モリソ
ンのCrazy Loveといった古典を取り上げる姿は、フォー
ク・ミュージック本来の”語り部”としての意義を感じさ
せる。昨今は雰囲気勝負の女性SSWも少なくないが、
筆者の知る限り、中村まりと吉村瞳は格が違うなと思っ
た。たとえ大地が裂け山が崩れても、彼女たちは歌って
いくことだろう。

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by obinborn | 2018-09-07 06:21 | blues with me | Comments(0)  

服部高好著『最後の切り札〜米国ルーツ音楽再訪』を読んで

『アンシーン・アンド・アンノウン〜アンサング・ヒーロー
達から聴こえる米国ルーツ音楽』に続く、服部高好氏の著作
が届いた。前回も渋い音楽家ばかり取り上げられていたが、
今回もカンザス・シティ・ジャズのジェシ・ストーンやルイ
ジアナ・バイユーのリロイ・ワシントンといった、日本では殆
ど語られることのないミュージシャンに光が当てられている。

服部氏の評論スタイルはごくオーソドックスなもので、対象
となる音楽家の史実をまずはきちんとリサーチし、その楽曲
のカバーや関連ミュージシャンを通して理解を深めていく方
法を取る。文章はごく平易な筆致だが、これだけ深く掘り下
げる人も珍しい。わずか4人の音楽家にA4サイズ370項を
費やし、膨大な注釈とコラムで本文を補完するという徹底ぶ
り。その情熱に瞠目するプロの音楽評論家もいるだろう。

とりわけイアン・マクレガンとビル・カーチェンの章はルー
ツ・ロック愛好家の共感を呼びそうだ。彼らが青年期に影響
を受けた楽曲や人脈から興味を広げ、文字に落とし込んでい
く様には、思わぬパーツからミッシング・リングが完成して
いくような喜びが伝わってくる。奇しくもマクレガンとカー
チェンの場合、英米を跨ぎながら活動していったキャリアの
持ち主だけに興味が尽きない。

今回の著作には『最後の切り札〜米国ルーツ音楽再訪』とい
うタイトルが冠されている。とかく沈滞気味の音楽ジャーナ
リズムだが、悪しき状況を一喝する”最後の切り札"(An Ace
In The Hole)になって欲しい。そんな愛すべき私家版だ。

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by obinborn | 2018-09-02 09:30 | Comments(0)