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追悼:ワー・ワー・ワトソン


トニー・ジョーと前後してワー・ワー・ワトソンまで亡くなって
いたんですね...こちらの加齢とともに好きなアーティストの訃報に接する機会が増えるのは止むを得ないとはいえ、モータウン・サウンドの屋台骨だったファンク・ブラザーズの一員まで失うとは悲し過ぎます。トニー・ジョーもワウ・ペダルの名手だったけど、ワー・ワー・ワトソンこそはワウの開祖的な存在だった(誰が最初だったかは諸説あり)彼の代表的名演といえば多くの音楽ファンはまずマーヴィン・ゲイのLet's Get It On、テンプテーションズのPapa Was A Rolling Stone、ハービー・ハンコックのChameleonなどを思い起こすだろう。私もそうです。ただ個人的にはボビー・ウーマックの75年作『Safety Zone』でワトソンの存在を知っただけに、このアルバムでの彼のプレイを反射的に思い浮かべてしまう。複数のギタリストが曲毎に入れ替わり立ち代りするセッションではなく、ウーマックとワトソン二人だけのギターの絡みに賭けた製作者デイヴ・ルービンソンの心意気も大したものだ。結果ワトソンのワウワウ&鋭いカッティングが堪能出来る大名盤となった。この頃のワトソンと言えば翌76年に初めて(そして唯一の)ソロ・アルバム『Elementary』をリリースしたことからも解る通り、あちこちから引っ張りだこの存在となり、彼自身一番乗りに乗っていた時期だったと思うが、それを証明するように非常に生気のあるギターを随所で聴かせる。ワトソンのソロ作でも名を連ねることになるルイス・ジョンソンb、ウィリー・ウィークスb、ジェイムズ・ガドソンds、ハービー・ハンコックpが顔を揃えていることは、恐らくソロ・アルバムへの布石となったはず。主人公のウーマックにとっては、音楽的な故郷であるメンフィスのアメリカン・スタジオやアラバマのマスル・ショールズ・サウンド・スタジオを離れ、シスコのウェリー・ハイダーとロスのヴィレッジ・レコーダーズで録音に臨む画期作になった。南部の包みこむようなリズムも悪くないが、モダンなエレメントを組み込んだここでのウーマックがどれだけ新鮮だったことだろう。テンプス「雨に願いを」のカバーもいいし、ハンコックのピアノ・ソロをフィーチャーしたI Feel A Groove Comin' Onのファンクに脱帽する。そしてベスト盤に組み込まれることも多いDaylight(ジョージィ・フェイムがナイス・カバー)とジャニス・ジョップリンに提供したTrustIn Meの作者版(実は彼にとっては二度目の録音)を聞いていると鳥肌が立つ。それら全てにワー・ワー・ワトソンその人がいた。そのことの価値をいつまでもいつまでも信じていたい。

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by obinborn | 2018-10-27 16:57 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:トニー・ジョー・ホワイト

トニー・ジョーが亡くなってしまった。私が彼のアルバムを
集め始めたのは78年頃に日ワーナーが始めた名盤復活シリー
ズで『ホームメイド・アイスクリーム』が発売されたのがき
っかけだった。まだ個人的には20代になったばかりだったが、
アメリカ南部の最も深いエリアのスワンプ・サウンドを追い求
め、友人たちと競うように音楽地図を広げていった日々を懐
かしく思い出す。あの頃の自分が一番良く聞いていたのはロ
リー・ギャラガーの2枚組ライブ『アイリッシュ・ツアー』
で、そのなかにロリーが生ギターを掻きむしりながら歌う
「カラスが飛ぶように」は収録されていた。その作者がトニ
ー・ジョーその人であり、興味を繋いでくれた。

そんなトニー・ジョーにインタビューしたのは07年の4月だ
った。78年5月の初来日以来およそ29年ぶりに実現した日本
公演は各地で大好評を博した。「生まれたのはルイジアナの
グットウィルというところだよ。河の近くで、一番近くの町
まで50キロくらい離れていた。父親は農夫で、家族は母と姉
が五人、兄貴が一人いる。俺は末っ子だよ。みんなギターや
ピアノが弾けて、夜になるといつも一緒に演奏していたんだ。
そして俺は15歳の時に兄貴が買ってきたライトニン・ホプキ
ンスのレコードを聞いて”コレだ!”と思ったんだ」と彼は物
静かに語ってくれた。ソングライティングに関する質問には
「現実だよ。真実を書くのさ。ウィリーもローラ・メイ・ジョ
ーンズも実在の人物だ。我々は実際に日曜の午後にはベース
ボールをし、夜になればポーチに座ってギターを弾いた。ル
ーズヴェルト、アイラ・リー、ポーク・サラダ・アニー...す
べて実在の人物だよ」と。

取材が興に乗ってくると、トニー・ジョーはいつの間にか
饒舌になっていった。私がロリー・ギャラガーに関する質問
をすると、こんな答えが返ってきた。「俺のショウを見に来
てくれたし、バーで一緒にビールを飲んだこともある。彼に
は浮ついたところがなく、南部気質のようなものを持ってい
て本物だと思った。昨年俺がアイルランドでコンサートをや
った時には、彼の弟のドネル・ギャラガーが楽屋を訪ねてく
れた。とても嬉しかった」

「日本公演が終わったらルイジアナに帰って兄貴と釣りに行
くんだ。ワニが釣れるかもしれないしね(笑)」そんなトニ
ー・ジョーはもういない。


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by obinborn | 2018-10-26 17:26 | blues with me | Comments(0)